9人が本棚に入れています
本棚に追加
「えっと、その。八束さん、いつもこの桜見てますよね」
「見てたんですか?」
「はい。通勤時間帯被ってるんで」
「確かにそうですね。バスの到着時間が同じなんでしょうか。私も時々五味さんを見かけます」
「なんでかわかんないけど、八束さんにゆっくり桜を見られる時間を過ごしてほしいって思ったんです。信号待ちの間だけじゃなくて、思う存分」
「本当に、なんでかわからないんですけど」
言葉に詰まった時、ふいに強い風が吹いた。花びらが一枚、ひらひらと二人の間を舞う。落ちそうで落ちない軌道を目で追い、八束さんはおもしろそうに小さく笑った。
「わかった。俺、桜を見てる八束さんが好きなんだ」
「え?」
「あっ!」
俺は自分の口を覆い、八束さんから目を逸らした。今のは言葉にするには早過ぎただろう。
「桜を見てない時の私って、怖いですか?」
「そういうことじゃなくて!」
顔を上げると、八束さんは桜を見ながら笑った。
「ちょっと意地悪言っただけです。業務中に無駄に愛嬌振り撒かないのはわざとですし。面倒ごとを避けるための私なりの処世術です」
わかる気がする。存外、八束さんは押しに弱いから。
「俺はちょっと意地悪な八束さんもいいと思います」
「私は強引な人はあんまり好きじゃありません。でも、五味さんのそういうところは嫌いじゃないかもしれません。花見、楽しみにしてますね」
会釈し、遠ざかる八束さんの背中は少し照れているようだった。
約束とは別に、俺たちは明日もここで桜を見るだろう。信号待ちの間だけ。
最初のコメントを投稿しよう!