「絶対に秘密だよ」

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 僕は、どこにでもいる普通の男。  朝、目を覚まし、夕方まで働き、日が暮れるころには家へ帰る。一日三度のご飯を食べれるし、夜には布団に入り寝ることが出来る。そんな毎日に、すごく充実したわけではないけど、これといって大きな不満もなかった。    そんなある日、僕は、突然に思い出した。魂だったころの記憶を。神様との約束を。  僕が境界線があやふやな魂だったとき、神様は僕にこう言った。  「地上で私とかくれんぼをして遊ぼう。私が隠れるから、あなたは私を探してみて。もし遊んでくれるのなら、あなたに君自身と時間を与えよう」  こうして僕は形のある人間として、この世に誕生した。  神様との約束を思い出した僕だが、そのまま、すんなりと神様の隠れている場所を探すわけではなかった。    僕には勇気がなかった。神様を探す旅に出たら、いままで通りの生活は送れない。ご飯を食べられない日もあるかもしれない。屋根のあるところで寝れないかもしれない。そう思うと行動に移せなかった。  僕は、神様との約束を頭の片隅に追いやった。極力、思い出さないように仕事の雑務に集中しようとした。そして、いつもの通りの平凡な生活を送ることを選んだ。  しかし、しばらくすると僕は夢を見るようになった。  その夢は、僕がまだ言葉も喋れないような幼子だった頃、神様と一緒に遊んでいる夢だった。神様の姿は、温かな光に包まれていて、はっきりと見えないのだが、それが神様だということは、なぜか知っていた。幼い僕は無邪気に楽しそうに遊んでいて、なんの不安も感じず、安心感に満ち溢れてる幸せそうな夢だった。  そして夢から覚めると、微かに夢で感じた幸せな感触が残っていた。それは陽だまりの温かさに包まれていたような心地よさだった。  僕は、何度も何度も同じ夢を見た。すると、いままでの生活が退屈でつまらなく感じるようになってきた。僕は、胸に空いた穴を埋めたいと思った。神様を探しに、旅に出たくてたまらなくなっていった。  そして僕はすべてを投げ捨て、神様を探す旅に出た。  旅に出て、改めて気づかされた。思った以上に過酷な旅だった。  どこを探せば神様を探せるのか分からず、僕はひたすら歩いた。足にはマメができ、それが潰れ血だらけになるし、夜は寒いし、野宿だってする。食事も満足に食べれない日だってある。もう辛くて引き返そうと思ったことは何度だってある。(くじ)けそうになった日、その夜に必ずあの夢を見た。神様と一緒に幼き僕が遊んでいる夢を。その夢を見るたび、僕はもう一日だけ頑張ろうと思えた。そして僕は今もまだ、神様を探す旅を続けている。  ある日、僕は花畑にたどり着いた。辺り一面に色とりどりの花が咲いていて、とても綺麗だった。  僕は、こんな素敵な場所に神様はいるに違いないと思い、花畑をくまなく探した。綺麗な花を傷つかないよう、慎重に花びらをめくり、花の付け根まで確認した。  広い広い花畑。一本一本の花の花びらをめくる作業は、かなりの時間がかかった。  あるときは、花の蜜をもらいに鳥が飛んで来たこともあった。また、あるときには、強い風が吹きわたり、せっかく咲いた花の花びらを散らすこともあった。そんなあるとき、僕は小さな小さな花に出会った。  いつものように神様を探すため、花の付け根まで確認していたところ、小さな花を見つけた。きっと、神様を探していないと見逃していたであろう小さな花だった。その小さな花は、まだ花びらは開かず小さな(つぼみ)を付けているだけだった。  「びっくりした。なんだい突然」と、その小さな花は驚いたように言った。  どうやら僕は、小さな花を驚かしたようだ。「ごめん、ごめん。どうやら驚かしたみたいだね。ごめんね」と僕は謝った。  「何か探し物かい?」と小さな花は訊いてきた。  「探し物ではないんだけど・・・・・・」。僕は神様とかくれんぼしている事情を小さな花に説明した。「綺麗な花畑だったんで、花の中に神様が隠れていると思って、今、探していたんだ」  僕は話のついでに小さな花に訊ねた。「ここに神様はいる?」  「それは言えないよ。神様から、隠れている場所は秘密だよ、って言われているからね」と小さな花は答えた。  「せめてヒントくらい教えてくれないかな?」。僕は神様を探し疲れてクタクタだった。何か神様を見つけるためのきっかけが欲しかった。  小さな花はしばらく考え、「周りと比べないことかな」と答えた。  僕は小さな花が言った意味が分からなかった。神様の隠れている場所のヒントが、周りと比べないこと?僕は「どういうこと?」と訊き返した。  「自分だけの花を咲かせればいいってことよ」と小さな花は答えた。  僕は小さな花の言葉を聞いて考えた。ひょっとしたら、神様は小さな花の花びらの中に隠れているじゃないかと思った。今は(つぼみ)だけど、それが咲いたとき、そこに神様がいるかもしれない。  僕は、この小さな花が咲くまでここまで待とうっと考えた。  僕は小さな花に声を掛けた。  「もし良かったら、僕が陽の当たるへ連れて行ってあげようか?」  僕は小さな花が他の花たちに覆われていたので、陽の当たる場所に移動させてあげようと思った。そうしてあげたほうが早く花が咲くと思ったからだ。  しかし、小さな花の答えは意外なものだった。  「私はここで十分よ。陽が当たる場所が私のいる場所とは限らないし」  「でも、陽が当たる場所のほうが早く花が咲くんじゃない?」と僕は食い下がった。  「私は早く咲かせたいわけじゃないし、大きな花を咲かせたいわけじゃない。私は自分らしい花を咲かせたいの」  小さな花がそう言うので、僕は渋々諦めた。  僕は、その日から小さな花の観察をした。雨が降る日も、寒い夜も、花畑でじっと座って、小さな花が咲いてないかを確認する日々を続けていた。  花畑の花たちは、花を咲かせては散っていき、段々と花を咲かせている数は減って行った。それでも小さな花は花を咲かせなかった。  僕は「君の花は咲かないんじゃないの?」と訊いたこともあった。  「咲くわ」と小さな花は堂々と答えた。  「なぜ、そう思えるんだい?」と訊ねると、「咲くって決まってるからよ」と返って来た。  花畑の花はすべて散り、最後の一本、小さな花だけが(つぼみ)のまま残っていた。小さな花を観察しやすくなったが、本当に花が咲くのか、僕は不安になっていた。    そんなある夜、僕が寝ていたところ、どこからか声が聞こえてきた。「起きて。起きて。早く起きて」っと。僕は虚ろな意識で声のするほうを見た。初めはぼんやりと視点が定まらない感じだったが、段々ピントが合ってきたみたいで、周りの景色がはっきりと見えた。  そこには、小さな花が花を咲かせていた。  その日は満月で、うっすらと明るい光が射していた。小さな花は、その月の光が映し出されているような色で咲いていて、小さいながらとても可愛いらしい花を咲かせていた。  「ね、咲くって言ったでしょ」と小さな花は僕に向かって言った。そして付け加えて、「私はお月様の光で咲く花なのよ。お日様の光で咲く花と違って、滅多に私が咲いているところは見られないのよ」  小さな花は、誇らしげにそう言った。花が咲いたことに安堵しているのかもしれない。  僕は小さな花に駆け寄った。そして花の中を覗いた。しかし、そこには神様はいなかった。  「神様は?」と小さな花に僕は訊ねた。  「見つけられたの?」。僕は黙って頷くと、「それは残念だったわね」と小さな花は言った。  そんなとき、突然に強い風が吹いた。小さな花の花びら数枚が、風によって空中に舞い上がった。  僕は花びらが散ってしまわないように、小さな花を風から守るように体で防いであげた。  「ありがとう」と小さな花はお礼を言ってくれた。「でも、もういいの。私は散っていくの」  「そんな・・・・・・さっき咲いたばかりなのに」。僕は小さな花を観察した日々を思い出す。「雨の日も、寒い夜も、我慢していたのに・・・・・・こんな一瞬で散ってしまうなんて、あまりにも悲しいよ」  「それは違うわ。今日という日のために、全てが必要だったの。雨の日も、寒い夜も。全てが、今日咲くために必要な栄養だったのよ。私はとても嬉しいの。あなたもそれが分かる日が、きっと来るはずよ」    風が吹き、さらに花びらが散っていく。咄嗟に僕は、舞っている花びらを捕まえようとした。きっと、別れが来るのを避けたかったのだと思う。  小さな花は、自分の花びらなんて気にする様子もなく、話を続けた。    「私はツイていたわ。本当なら私が咲いたところ見るのはお月様だけだったのに、でも、あなたも見てくれた。あなたは、私の花が咲いた証。私を見つけてくれて、ありがとう」  小さな花は喋っている間も風は吹き、花びらはとうとう最後の一枚になった。小さな花は「あなたが神様を見つけられることを祈っているわ」と言って、最後の一枚も舞って行った。  僕は「さよなら」と呟いた。  僕は、それからも旅を続けた。神様を探す旅を。  もちろん辛い時もある。そんなときは、いつも自分の幼いころの夢を見る。そして夢の中で神様に出会う。まるで僕を励ましてくれているようだった。  ある日、僕は森に着いた。森の木たちは天高く真っすぐに伸び、木の葉っぱは空を覆い尽くし光が一切入ってこなかった。僕は木の葉っぱに神様が隠れているのではないかと思った。これだけ葉っぱが覆い尽くしているところなら隠れる場所には事欠かない。僕は木を登ることにした。  何本目かの木に登ったとき、僕は鳥に出会った。  「びっくりした」と、鳥は驚いたように言った。  どうやら僕は、木の上になる鳥の巣を覗いてしまったようだ。「ごめんよ」と僕は謝った。  「何か探し物かい?」と、その鳥は訊いてきた。  僕は事情を説明した。神様をかくれんぼしていて、探している途中なんだと。「これだけ覆い茂っている葉っぱなら、神様が隠れるにはもってこいなんじゃないかと思って」  僕は話のついでに鳥に訊ねた。「ここに神様は隠れている?」と。  「それは言えないわ。神様から、隠れている場所は秘密だよ、って言われているからね」と鳥は答えた。  「せめてヒントを教えてくれないか?」と僕は頼んだ。  鳥はしばらく考えてから答えた。「じゃあ、ヒントを教える代わりに、私のお願いを聞いていただけないかしら?」  「どんなことだい?」。僕は鳥からのお願いを訊いてみた。  「この周りの枝を剪定(せんてい)してくれないかしら?」  僕は周りの木を見渡した。「どうして枝を切ってほしいんだい?」と訊いた。  鳥は自分の体を少しだけずらした。すると鳥の下にはいくつかの卵が見えた。鳥は僕に卵を見せた後に言った。「この子たち雛の間は、空を見せて育てたいのよ」  この周りの枝を切って、空が見えるようにするには、骨が折れる作業だと思いながらも、鳥の提案に了承した。「分かったよ。じゃあ、ヒントを教えてよ」と僕は訊いた。  「力を抜くことよ」と鳥は言った。  僕は鳥の言ったことが理解できなかった。僕は詳しく教えてもらいたくて、「どういうこと?」と訊いた。  鳥は、「飛ぶためには必要なこと」と言った。  「飛ぶために?ひょっとして神様は空に隠れているっていうの?飛べない僕には、探せれないじゃないか?」。僕は腹が立って声を荒げてしまった。  「落ち着きなさい」と鳥は僕をなだめた。「誰も空に神様が隠れているなんて一言も言ってないでしょ」  「じゃあ、どこなんだよ」と僕は訊く。  「それは言えないわね。秘密だから」と鳥は、いたずらっ子のように答えた。    僕は、やるせない気持ちになり、ため息を吐いた。  そんな僕に鳥は、「まあ、うちの子が生まれ飛ぶところを見たら、何か分かるかもしれないわよ」と言った。  僕は、鳥の言葉で閃いた。ひょっとしたら鳥の巣の奥に神様は隠れているのかもしれないっと。だから鳥は、子が飛ぶところを見ると、と言っているのかもしれない。  僕は、自分で納得し、鳥との約束を実行することにした。   石を砕き、その石で石斧をこしらえた。僕は木に登り、枝を叩き折り、少しずつ森の中からでも空が見えるようにしていった。  僕が剪定(せんてい)している間に、鳥の卵は孵化し、五羽の雛が生まれた。僕は、引き続き剪定(せんてい)をしながら、雛の成長も見守ることにした。  森に光が射しこみ、鳥の巣から空が見えるほどになった頃には雛も大きく育っていた。鳥はいそいそ雛のエサを取って来る。その作業は大変そうに見えるのだが、しかし鳥は楽しそうにしていた。空を飛びながら、気持ちよさそうに歌を歌っていた。僕は剪定(せんてい)作業を中断し、空を見上げた。僕のほうまで愉快な気分になっていった。  僕が木の枝を切っていると、いろんな動物からお礼を言われた。鹿やウサギ、リスなど、森で暮らす動物からお礼を言われた。光の入らない森では、エサが育たないらしい。僕のおかげでエサが食べれる、と動物たちは喜んでいた。枝を切る作業は骨が折れる作業だったが、動物たちの喜ぶ姿を見たら疲れも和らいだ。  しばらくすると雛たちも大きくなり、飛び立つ日がやって来た。  僕も雛たちの成長を見守って来た者として、身内のような気分で応援した。  親鳥は巣の上を旋回しながら飛び方を見せえていた。いつものように歌を歌いながら楽しそうに飛んでいた。子供の鳥たちは、巣の縁に立って、翼をバタつかせ空を飛ぼうと頑張っていた。しかし翼が動くだけで、子供の鳥たちは親鳥のように飛べなかった。  僕は、「頑張れ、頑張れ」と叫んでいた。  子供の鳥たちは、僕の応援に応えようと懸命に翼を動かしていた。しかし一羽も飛べなかった。  見かねた親鳥は巣に近づいて、子供の鳥たちに、こうアドバイスをした。「頑張らなくていいのよ」と。  親鳥のアドバイスを聞いて、僕が戸惑った。「え、どういうことなの?」と飛ばない僕が訊いてしまった。  親鳥は僕にも聞こえるように、子供の鳥たちに説明をした。  「自分の力で飛べないのなら、風に助けてもらいなさい。風が吹いたときに翼を広げ、風に乗ればいいのよ」  子供の鳥たちは、翼を動かすのを止め、風が吹くのを待っていた。  親鳥は僕に近づいて、話を始めた。  「頑張ることも大切だけど、相手に任せることも必要よ。私があなたに枝の剪定(せんてい)を任せたように。私に剪定(せんてい)なんて到底出来なかったわ。ありがとう」  親鳥は、僕にお礼を言った。そして、そのまま話を続けた。「頑張っても出来そうにないときは、一度、周りを見渡してごらんなさい。誰か助けてくれそうな者がいたら、手を貸してもらいなさい。助けてもらうことは恥かしいことではないし、出来ない自分を恥じることないわ。そんな自分も認めてあげなさい。それが、力を抜くってことよ」  しばらくすると風が吹いた。子供の鳥たちは、一羽一羽、巣から飛び出していった。そして最後の五羽目も無事に巣から飛び出し、みんな空を気持ちよさそうに飛んでいた。親鳥のように歌を歌いながら。  鳥が僕に近づいてき、話し掛けてきた。「神様を見つけられた?」と。  僕は、すっかり神様のことを忘れていた。子供の鳥たちが飛ぶのを見入ってしまった。僕は急いで巣の中を覗いたが、神様は見つからなかった。僕は鳥に、「神様を見つけれなかったよ」と伝えた。  「それは残念だったね」と鳥は言った。そして「今度はきっと見つけられるよ」と励ましてくれた。  親鳥と子供の鳥は、僕に「ありがとう」と「さようなら」を告げて、青い空へと消えて行った。  僕は神様を探す旅を続けた。  旅の途中で、僕はある噂を耳にする。その噂というのは、この先に空に届く山があるというのだ。その山の頂上は、雲を突き抜け、(ふもと)からは見えないそうだ。  僕はその山を目指すことにした。鳥が気持ちよさそうに空を飛んでいたのが忘れなかったのもあるし、なにより、(ふもと)から見えない所なら、神様が隠れてる場所なのかもしれない、と思ったからだ。    僕はその山がある土地に訪れた。遠方からでもその山は見えていた。しかし、その山の(ふもと)にたどり着くまでに数日かかった。(ふもと)から見る山は雄大で、登ることを物怖(ものお)じしてしまう。それでも僕は一歩を踏み出した。  山頂を目指して登るのだが、登っても登ってもたどり着けない。上に行けば行くほど道は険しくなるし、天気は荒れるし、風も強くなる。酸素も薄くなり息苦しく、持っていた食料も底を突きそうだった。  しかし辛い時は、夜、あの夢を見る。幼い僕と神様の夢。  僕は、もう少しで雲が触れほどの高さまで登って来た。しかし、ここからしばらく崖っぷちを歩かなくてはならい。道は細く、下は覗いても底が見えないほどの谷である。僕は山の斜面側を向いて、横歩きしながら、一歩一歩進んでいった。時折、谷から強風が舞い上がる。まるで、僕の()く手を阻むかのように。そのたび僕は斜面の崖にしがみつく。  崖っぷちを歩いて数時間が経った。ようやく細い道が終わり、開けた道が見えた。僕は、先の道が広がったのを確認すると、ようやく一息を吐いた。  その瞬間、僕が踏ん張っていた足の片方の崖が崩れた。僕はそのまま背中から谷のほうへ落ちていく。  落ちていく中、一瞬のことなのかもしれないが走馬灯のように過去のことを僕は思い出した。旅に出た日。そして数々の大変だった日のこと。辛いことを思い出したのだが、それはそれで満更(まんざら)でもなかった。むしろ楽しい思い出として変わっていた。    僕は人生に満足したのか、それとも諦めの境地に達したのか、自分でもよく分からないが、落ちていく中、全身の力をフッと抜いた。  次の瞬間、谷底から僕の背中に向かって風が吹いた。とても強い風だ。僕の体がフワッと浮いたように感じた。っが、その刹那、僕は衝撃を受ける。地面に叩きつけられた感覚だ。  僕の意識は朦朧としていた。暗い空間の中、上空のほうだけキラキラと小さな光が輝いていた。僕は無意識にそっちの方向に向かった。すると急に境界線が変わった感じがした。すると、僕は思いっきり空気を吸った。  僕の意識を段々と取り戻した。僕は水の中にいた。谷底に大きな川が流れていた。僕は、助かったっと理解した。  僕は川から上がり、川岸で仰向けになり、本能のまま呼吸をした。  僕の呼吸が段々と整いだしたとき、私は自分の体が思い通りに動かせるかを確認した。手も足も、指も、隅々まで動かした。異常もなければ、痛みもなかった。私は安心すると同時に、落胆もした。今まで山を登って来たのに、すべてが無駄になったのだ。私は上空を見る。自分が元いた場所は遥か上にある。  体は動くはずなのに、何をすればいいか分からなかったし、何もしたくないとすら思った。  「びっくりした」  突然、声が聞こえた。僕は周りを見渡したが、誰もいなかった。  「誰かいるのかい?」と僕は訊ねた。  「私は風よ。生まれたばかりの風」という声がした。  僕は凝視してみると、微かだが風が渦を巻いているのが見えた。  「何をしてるんだい?こんなところで」と風が訊いてきた。  僕は、「何もしてない。ただ落ちてしまったんだ」と答えた。  僕は落ちた時のことを思い出した。そういえば、突然に強い風が吹いから僕は助かったんだ。僕は風に、その時の様子を説明し、「ありがとう」とお礼を言った。  しかし風は、「その風は、私ではないわ」と言った。そして、僕に「私たち風はひと吹きの命。その風と私は別々のものなの」と教えてくれた。  「ところで、こんな高い山に何の用で登ろうとしていたの?」と風が訊いてきた。  「神様を探しているんだ」と僕は答えた。そして僕は神様とかくれんぼしていることを説明した。  「でも、もう僕は、神様を探すことを止めようと思う」と僕は泣き言を言った。  「どうして?」  「だって考えてごらんよ。せっかく雲に届くほど高くまで登ったんだよ。それが今は、ふりだしに戻されたようだよ。一瞬で全てが無駄になってしまたんだ」  「それは残念だ。神様が今ここに隠れていても、君は探さないんだね」  「えっ、ここにいるの?」と僕は驚き、声を上げた。  「例えばだよ、例えば」  「そりゃ、今ここにいると分かっているなら、今すぐにでも探すよ」  「じゃあ、神様とのかくれんぼを君自身はやりたいわけだね。だったら、やればいいじゃないの」  「だけど、山を登って行って、また失敗して落ちるかもしれない。それに探しても探しても、神様は見つからないかもしれない。だとしたら、全部無駄に終わるじゃないか?」  「それは無駄ではないわ。あなたは体験したことを得たのよ」  僕は答えを出せずにいた。かくれんぼを続けるべきか、やめるべきか。悩んでいる様子の僕に、風は話を続けた。    「私たち風の命は一瞬なの。今しか、生きるすべはないの。だから過去の後悔や、未来の不安なんてしている暇はない。でも、だからこそ自由なの。今を生きているから自由なの。私たちはやりたいことをやる」    風の語気が強まると同時に風力も強まってきたように感じた。  風はそのまま話続けた。  「そりゃ、自由に生きれば、嫌がられることもある。しかし、逆に喜ばれることもある。あなたにとって向かい風の時もあれば、追い風の時もあるみたいに。でも、他の者からどう思われるかなんて、私たちが関与でないの。だから私は、ただ吹きたいように吹くだけ。あなたも、やりたいようにやりなさい。あなたの命も次の瞬間に終わるかもしれない。命は、今ここにしかないのよ」  僕は風の話を聞いても、まだ悩んでいた。そんな簡単に決断できなかった。  それを察してか、風は僕にこう提案してくれた。「とりあえず、山に登るにしろ、登らないにしろ、(ふもと)には戻る必要があるわね。その川を下って行けば、(ふもと)にたどり着くわ。(ふもと)まで、しばらくかかるから、その間に決めてもいいかもしれないわね」  僕は風の提案を受け入れようと思った。僕は風にお世話になったので、お礼を言おうとしたとき、風が「もう時間ね。そろそろ行くわ」と言った。  次の瞬間、風の渦が、突風に変わり、上空に舞い上がった。僕は風に、お礼も別れもきちんと言えなかった。  僕は(ふもと)へ向かって歩いた。その道中、風の提案通りに、神様とのかくれんぼを続けるかどうか考えていた。こういうときは、いつも夜になると神様の夢を見るのだが、なぜかもう、その夢は見なくなった。  だから僕は、これからは自分で決めないといけないと感じた。朝起きた時、神様から今日という時間を頂けたと思うことにした。そしてその頂けた今日を何に使いたいかを考えながら歩いた。  (ふもと)に着いた時には、僕は決めていた。もう一度、この山に登ろうと。  僕は、今度は準備を入念にした。食料や水、衣類にテント、ピッケルにロープ、一度途中まで登った経験を生かして、準備を整えた。  今度の登山は、僕が落ちたところまでは割と楽に着いた。楽と言っても、肉体的には疲労がたまる。だけど、一度、通った道だから分かっている分、精神的には楽だった。  僕が落ちたところの道は、命綱を付けて渡った。次に落ちたら、今度こそ命はないだろう。僕は、油断することなく最後まで渡り切った。その難所を渡り切ってしばらくすると、僕は雲の上に立った。僕はそこからの景色を見渡した。雲海とは、よく言ったものだ。雲が波打つように一面に広がっている。  そして僕は上を見る。頂上が見える。あともう少しだ。  頂上が見えて、あともう少しだと思っていたが、そこからが長かった。距離的には大したことないのだが、斜面が急で滑りやすかった。登っては戻され、登っては戻され、の繰り返しだった。僕は立って歩くのを止め、這いつくばって、少しずつでも登って行った。  腕も脚もボロボロになり、棒のように疲れ切ったとき、僕は登頂に成功した。しかし、ここにも神様は見つからなかった。  僕はこのとき、清々しかった。僕は神様を見つけるために、あらゆる場所を探した。もうこれ以上、探す場所なんてないくらいに。僕は、やりきった、という気持ちになっていた。悔しさより、達成感のほうが強かった。  僕は頂上で、空を見上げながら寝転んでいた。両手を広げ、自分が飛んでるような気持になりながら。一日中、寝転んでいた。日が落ち、夜になっても。  夜空がとても綺麗だった。僕の目の前に広がるのは、パノラマの宇宙だ。無数の星たちは(きらめ)き、丸い満月が白くて幻想的な光を発していた。こんなに大きく見える月は初めてだった。まるで月が落ちてきているように思えてしまう。  「こんなところに人がいるなんて珍しい」と月が言った。  僕は、誰に対して月が話しかけているのか分からず、きょろきょろ周りを見渡した。ここを山の頂上、誰もいないに決まっているのに。僕は月に向かって、「僕のことかい?」と訊ねた。  「そうよ。君よ」と月は答えた。  僕は月に向かって、ここにいる理由を話した。神様とかくれんぼをしていて、ここまで来たこと。そして、探し尽くして、もう諦めようと思っていることを。  月は僕の話を聞いた後で、「探すのを諦めるのも一つの手かもしれないわね」と言った。  「一つの手?どういうこと?」と僕は訊き返す。  「だって、なくし物を探しているときだって、探しているとき全然見つからなくて、諦めて違うことをしているとき、不意に見つかることがあるじゃない」  「なくし物を探すのと神様を探すのが一緒な訳ないよ」  「そうとも限らないわよ」と月は言い、ウフフっと含み笑いを浮かべる。  「そんなものなのかな?」と僕は半信半疑でいた。  「そうだ」と月は何かを思いついたかのように僕に提案してきた。「もし山から降りて、することが無いのなら、満たされて与えれる、ことを心掛けなさい」  「満たされて与えれる?」  「そうよ。私はお日様から光を貰い、それで満たされているから、こうして夜の暗闇の中、あなたたちに明かりを与えることが出来ているの」  僕は月のない世界を想像した。もし月が無ければ、どれだけ夜が怖くて寂しいものになるだろうか。  僕は月に質問した。「でも、どうやって、その満たされて与えられるような事が見つかるの?」と。  「そうね」。月はしばらく考えてから答えた。「自分の心に正直になりなさい。そして、まず満たされることに注力しなさい。満たされれば自然と与えたくなるし、満たされないで与えていると辛くなるわ」  僕は、とりあえず月の助言を受け入れようと思った。  それから僕はいくつもの夜を月と話をした。月との会話は楽しく、僕を前向きにしてくれた。  でも、僕が初めて会話した月は満月だったのに、今はその1/3 以下の三日月になっていた。そんな月を見て、僕は訊ねた。  「段々、小さくなることに不安を感じないの?光を与えないで、自分の元に光を留めようとは思わないの?」と。  月は微笑みながら答えた。  「そんな些細なことで私は不安を感じたりしないわ。それは、私がとても長く生きているせいかもしれないわね。それに、ここから地球を見ていると、花も鳥も風も人も、おのおのバラバラに生きているようで、でも実際には、一つの輪の中で生きているのよ。その輪の中で、お互いに生かし生かされている存在なの。じゃあ、宇宙から見たら、私も地球も、宇宙の輪の循環の一部だし、さらに、宇宙よりさらに偉大な存在から見たら、宇宙ですら、その偉大な存在の循環の一部なの」    僕は、月の言葉を聞いて、夜空の星々の遥か向こうまで想像した。  この世界はとても大きく、僕なんてちっぽけな存在だと思うと同時に、僕も大きな存在の循環の一部だと思うと、誇らしかったし安心感も得た。  「それに」と月は話を続ける。「私たちは、何も持たずに生まれ、なにも持てずに死んでいく。ゼロからゼロの間で、どう生きるか?その途中で、プラスになろうが、ゼロになろうが、マイナスになろうが、そんなことは大した問題ではないのよ」。最後に月は、「まあ、これは、私ほど長い時間を生きていると、分かってくることなのかも知らないけど」と付け加えた。  僕は月の話を聞いて、下山を決めた。僕に貰えている時間は限られている。下山して、何かをしたい気持ちが強くなった。  僕は月に、次の朝、下山することを伝えた。僕は月に「さよならだね」と言った。月は笑って、「いつでも会えるわ」と言った。それもそうだ。僕も一緒に笑った。  僕は下山して、他のみんなにも僕の旅の出来事を伝えたいと思った。    僕は絵を描いた。花の美しさを伝えるためにいろんな色を使って。  僕は歌を歌った。鳥のように青空に響き渡るように。  僕は踊りを踊った。風のように自由に。  僕は詩を書いた。月のように暗闇を照らす言葉を(つづ)って。  僕は夢中になった。より正確に表現できるように、ひた向きに打ち込んだ。でも、それらの活動は、僕にとって苦にならなかった。それどころか、心が満たされ、上達するたびに喜びを感じた。  寝食を忘れるほど、無我夢中になった。僕の意識は、まどろみの中にいるかのようだった。自分の存在も、時間も、はっきりしない感覚になっていた。  「とうとう見つかっちゃった」  僕の目の前には神様がいた。夢の中と同じで、神様の姿は温かな光に包まれていて、はっきりと見えなかった。だけど、僕はそれが神様だと分かったし、僕は幸せな感覚に満たされていた。  僕は理解した。この旅は、この日のための旅だったんだと。  そして神様は続けた。  「あなたに君自身と時間を与えたのに、それを手放すほど夢中になれる物を見つけたんだね。実は私は、あなたの夢の中に隠れていたんだよ」
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