羽琉 約束の行方。

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羽琉 約束の行方。

「連絡するなら早い方がいいと思いますよ」  アイスを冷凍庫に入れ終わった隆臣はそう言うと冷蔵庫に入れなかった果物を僕の前に置く。西瓜とかメロンとか葡萄とか、こんなにしなくてもと思うけれど、食べやすいもの、好きなものばかりを用意してくれたのが伝わってくる。 「どれか一種類でいいのに」  聞こえないふりをして口にするけれど、このままやり過ごせるとは思っていない。僕に物事を強要することのない隆臣は促すことはしてもそれ以上は何も言わないし、何もしない。隆臣から連絡をして欲しいとお願いすればすぐにでも連絡してくれるのだろうけれど、流石の僕でもそれをお願いすることは違うと理解できる。 「本当は羽琉さんの好きな苺もあればよかったんですけどね。あ、でもショートケーキはありますよ」  まるで子ども扱いだ。 「遠くに行くって言っても来るって言いそうだから病院から出れないって言った方がいいんだろうけど、変に心配されるのも面倒臭いよね」 「ですね。  海外に行くと言うのは?」 「パスポート無いって言っちゃったし」 「また余計な事を、」  そんなふうに呆れた口調で言いながらも果物を口にする僕を見て満足そうにしているのは気のせいじゃない。今までもさりげなくゼリー飲料を渡されたりしていたけれど、先生公認の差し入れのせいか張り切り過ぎてる気がする。 「正直に今年は病院で過ごしますって言えばいいかな。データ取るためって言えばおかしくないんじゃない?」 「おかしくないですし、それが無難ですかね」 「こんなことなら約束なんてしなければよかった」 「羽琉さんらしくないことするからですよ」 「だって、」 「今年は徹底的に精密検査ってことで話を合わせないといけないですね。  先生はなんて?」 「ここでゆっくり考えなさいって」 「そうですか」  他愛もない言葉を繰り返し。 「じゃあ今日は帰りますね。あ、ご両親と学校には伝えたので大丈夫です。成績は郵送されるそうですが、宿題は用意できたら連絡をくれるとのことでした。連絡があり次第取りに行ってきますね」  そう言いながら学校に持ち帰りたいものを残してないのかと聞かれたけれど、特に困るものはなかったはずだ。 「成績なんてどうでもいいよ」  そう応えた僕に「余裕ですね」と笑い病室を後にした隆臣は「欲しいものがあったら連絡してくださいね」と言い残すことは忘れなかった。  隆臣に言われたから、というわけではないけれど仕方なくメッセージアプリを呼び出す。今朝も入っていた僕を気遣うメッセージは伊織からのもので、燈哉からのメッセージは昨夜のまま事務的なやり取りだけだ。  〈夏休み、療養は中止になりました〉  〈夏休み、退院できなくなりました〉  簡潔に伝わるようにと文面を考えるけれど、どれもしっくりこない。深刻にならずに軽い感じにと思うものの、夏休みの間中入院だなんて大事でしかないと改めて自覚する。今までは父のヒートに合わせて検査入院をしていたから長くても1週間ほどで、隆臣と過ごすようになってからは療養と称して家を離れている時間の方が長かったはずだ。 「今年は療養無しか、」  口に出してみると思っていた以上に意気消沈している自分に気付く。伊織や政文との時間を楽しみにしていたわけではないけれど、夏の楽しみが減ってしまったことが少しだけ淋しい。  いつの間にか隆臣と過ごす夏休みは僕の中では当たり前のことになっていたのだろう。  それにしても、どうしてこんなことになったのか。 『わかった、じゃあ退院したら遊びに行くよ』  はじめにそう言ったのは伊織だった。  突然の言葉に「え?」と声を上げると今度は『そんな驚くことか?』と政文の声も聞こえてくる。突然の申し入れに戸惑い「遊ぶって言われても、僕の家は人呼べないし」と応えれば諦めるだろうと思ったのに話が終わる気配は無い。 『そんなこと知ってるよ。  でも退院したらどこかで療養するんでしょ?』 「そうだけど…」 『あ、もしかして海外とか?』 「海外は無理かな」 『そんなに体調悪いの?』 「違う、パスポート持ってない」  この時に素直に事実を告げず、その可能性を示唆しておけばよかったと溜め息を吐く。 『海外じゃないなら僕と政文が遊びに行くよ。Ω専用の施設に入るわけじゃないでしょ?』 『それって、羽琉の体調次第では外出もできたりするのか?』 「どうだろう?  明日の診察の時に聞いてみる」  勝手に進んでいく夏休みの予定に戸惑いながらもそう応えてしまったのはいつものように打算が働いたから。  ここで夏休みにふたりと会う約束をすれば燈哉にそれが伝わるはずだと。  今居涼夏の存在というか、彼との関係を断たないままで毎朝のマーキングを僕に施すことをよく思っていない伊織は燈哉に対してその嫌悪を隠そうとしない。今回のことだってきっと、黙ったままではいられないだろう。 『羽琉と遊べるの、楽しみだね』 『伊織、はしゃぎ過ぎじゃないか?』 『だって、燈哉のこと気にせずに羽琉と過ごせるんだよ?』  ほら、これが伊織の本音。  政文というパートナーがいるのにやたらと僕に構うのは、燈哉に対する対抗意識か何かなのだろうか。 『羽琉、宿題手伝うって口実は?』  誰に伝えるための口実なのかと疑問に思うけれど、僕たちはΩとαなのだから大義名分が必要なのだろう。  馬鹿らしい。 『早く終わらせたら遊び放題だよね?』 『放題かどうかは知らないけどな』 「僕、邪魔じゃないの?」  遠回しにだけど拒否の姿勢を見せたのは僕が望んだことではないと示したかったからで、その言葉に『なんで?』『なんでだ?』と声が重なる。伊織はともかく、政文まで本気で言っているとは思えない。 「僕がいたらふたりで過ごせないし、行けない場所もあるだろうし、できないこともあるだろうし」  そんなふうに答えながら思い出すのは燈哉と彼のことで、あの日、楽しそうに夏の予定を話していたことを思い出して唇を噛む。  あの場所は、燈哉の側は僕の居場所だったはずなのに。 『うん、それがどうかしたの?』 『ふたりがいいならそもそも遊びに行くなんて言わないし、羽琉がいて行けない場所とか、できないことって何だ?』 『え、羽琉の行きたくない場所とかやりたくないことじゃなくて?』 『それ、羽琉の希望聞けばいいだけじゃないのか?』 『だよね』  勝手に進んでいく会話。  勝手に決められていく夏の予定。  置いてきぼりの僕。  伊織にも、政文にも、燈哉にも置いてきぼりにされる僕の気持ち。 『羽琉?』  こちらを伺うような優しげな声に熱が込められているように思うのは気のせいなのか、絡め取られるような声色に気色の悪さを感じる。 「ん?」  嫌悪が伝わらないように短く答えたけれど、正解の答えが思い浮かばず伊織の言葉を待つ。口を開いてしまえば先ほどの声色を思い出して嫌悪の響きが伝わってしまうかもしれないから。 『こっちで盛り上がっちゃってごめん。  とりあえず療養先決まったら教えて?  遊びに行くし、療養先で何か出来ることがないか調べるから』 『羽琉も一緒にやりたいこととかあったら考えておいて。  急に悪かったな、長くなったけど疲れてないか?』 「大丈夫。  伊織も政文もありがとう」  話の終わりを告げる言葉にホッとした声が漏れる。 『こちらこそ、連絡くれてありがとう』 『もし羽琉が連絡しずらいときは隆臣さん経由でも大丈夫だからな』 「うん。  明日の診察の後でまた連絡するね」 『『分かった』』 「じゃあ、また連絡するね」 『待ってるからね』  そんな言葉で終わった会話。  大きく息を吐き、流されるままにしてしまった約束の行方を考える。  この約束が燈哉に伝わるのはいつなのか。そして、この約束はどんな形で終わりを迎えるのか。    〈今年は療養の許可が出ませんでした〉  〈体力戻るまで退院できなさそうです〉  悩んで悩んで、結局は無難な言葉を選ぶ。燈哉に伝わるようにと意図しての約束だったけど、先生に止められたのは本当のことだから仕方ないこと。だけど、僕の狡さや僕の嘘はいつかは露呈するだろう。その時に僕の周りには誰も残っていないのかもと考えてしまう。  隆臣に連絡をしてもらうこともできるけど、流石にそれは不誠実すぎると思い考えた結果のメッセージは白々しい嘘のように伝わらないかと不安になる。  検査と言ってしまえばいどこが悪いのかと聞かれるだろうし、ヒートのことは伊織や政文には関係のないことだから言いたくない。体力が落ちているのは本当のことだから嘘ではないのに少しだけ罪悪感を覚えてしまう。  《大丈夫?》  しばらくして入ったメッセージに〈大丈夫〉と短く答えると《残念》と返される。詮索されないことがありがたい。  《一緒に遊ぶの、楽しみにしてたのに》  そんなふうに続けられた言葉には〈ごめん〉と返すことしかできなかった。  僕の体調を気遣うメッセージから始まったやり取りは、他愛もない言葉の交換を繰り返し、夏の予定が無くなったことは伊織から政文に伝えておくとメッセージが来たことで終わりを告げる。  《そう言えば夏休みの宿題、どうするの?》  〈用意できたら隆臣が取りに行ってくれるって〉  《いつ?》  〈知らない〉  〈学校から連絡が来るって言ってた〉  《じゃあ、次に会えるのは2学期?》  〈そうだね〉  そして、次に会うのは2学期だと確認して《何かあったらまた連絡して》というメッセージには〈ありがとう〉とだけ返しておいた。  伊織のことだから燈哉に夏の予定を告げるのだろうと思っていたのに、その名前が出てこなかったことに落胆する。  僕が早退したことで燈哉は何も言っていなかったのか、僕が早退したことで何か変化があったのか。  今日1日、燈哉がどう過ごしていたのか。  こちらから聞くこともできたけどそれを知ることで傷付きたくなかったし、自分から聞くには僕のプライドは高過ぎてしまう。  伊織とのメッセージを終えた指先は、無意識に燈哉とのメッセージ履歴を呼び出す。伊織との砕けた口調のメッセージと違い、続くのは事務的なメッセージばかりで燈哉の温度は伝わってこない。  〈また連絡します〉  僕からの事務的なメッセージに既読を付けたことで返事をしたと思っているのかもしれない。  これがきっと、僕たちの今の距離なのだろう。
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