Ωだから仕方ない、それは僕の逃げ言葉

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Ωだから仕方ない、それは僕の逃げ言葉

 初めての出会いがいつだったのか覚えてもいないほど幼い頃、気付けば僕の隣にはいつも燈哉がいた。  4月生まれだというのに病気がちだった僕は、幼稚舎の頃から入退院を繰り返していたため幼い頃の記憶は病室で過ごした時間が圧倒的に長い。 〈Ωだから仕方ない〉  言葉の意味は理解していなかったものの、何か理由があるせいで他の子のように毎日幼稚舎に行くことができないのだということは幼いながらに理解していたのだと思う。  たまに行く幼稚舎では常に誰かが付き添い、少し走っただけで息切れしてしまうため戸外で遊ぶクラスメイトを羨ましく思いつつ、それでも病院でよく耳にする〈Ωだから仕方ない〉という言葉を思い出して自分に言い聞かせる。 「Ωだからしかたない」  膝を抱えて座り、大人しく外を見ている僕は独りにしていても大丈夫だと思われていたらしく、こんな時は付き添いもないままに、ただただ時間の過ぎるのを待ちながら園庭の様子を見ているだけだった。 「またこんなとこにすわってる」  久しぶりに登園した日の戸外遊びの時間。 「お外に行かなくてもお部屋で絵本読んでても良いんだよ?」  そう言ってくれた先生からは〈部屋にいて欲しい〉という気持ちが伝わってきたけれど、体調を崩せばまた病室に逆戻りになるため少しでも外にいたかった。  だから「みてるだけだから」と願い、日陰になっている軒先から出ない事を約束して部屋から出る許可をもらう。  鬼ごっこをしたり、ボールで遊んだり。砂場ではせっかく作った山が壊れてしまったようで泣いている子もいる。  砂遊びくらいならしても良いんじゃないかと思うけれど、退院したばかりの僕には許されない。  そんな時にかけられた声。 「とうやくんっ!」  嬉しくて声が弾む。  僕が座っていると必ず声をかけてくれる燈哉は、僕のヒーローだった。  園庭を自由に走り回り、他の子が苦戦する遊具でも怯む事なく挑戦する。転んでも大きな声で笑い、怪我をしても平気な顔をしている。 「あそばないの?」 「たいいんしたばかりだから…」 「それでいなかったんだ」  何度この会話を繰り返せば一緒に遊ぶことができるようになるのだろう。 「じゃあ、ぼくもつかれたからきゅうけい」  そう言っていつも僕の隣に座ってくれるのが嬉しかった。 「またにゅういんしてたんだ?」 「うん」 「だいじょうぶ?」 「Ωだからしかたないんだよ」  意味が理解できているようで、できていないような会話。まだまだ性差の重味も知らない無邪気な会話。  燈哉はこの時の会話を覚えているのだろう。  僕がΩだと正式に判定されるのはまだまだ先の話。だけど、4月生まれなのに同級生と比べて成長しない身体と細い食。無理をすればすぐに発熱し、食事もままならなくなり入退院を繰り返す事から〈Ω〉として育てられたのだ。  Ωである僕の産みの父が子供の頃に同じ体質だったせいもあるのだろう。  今でこそ寝込む事なく生活している父だけど、僕が入院する度に「ごめんね」と謝られるのはとても悲しかった。  丈夫に産んであげられなくてごめんね。  自分の体質を遺伝させてしまってごめんね。  Ωとして産んでしまってごめんね。  たくさんの意味が詰まった「ごめんね」は父にとっては心を軽くする言葉だけど、僕にとっては重荷を背負わされるようなものなのに、それなのに繰り返される「ごめんね」の言葉。  何度も謝られるほどの罪を背負って産まれた僕は、その罪を償うために〈良い子〉でいるしかなかった。  体調が悪くても元気なフリをしてしまい結果、手遅れとなり入院をする。  入院先ではわがままを言わず、ただただ大人しくベッドで横たわる。  退院すれば部屋に大人しく閉じこもり、出された食事には無理をして手をつける。たとえ残したとしても手をつけていれば大人は安心するらしい。  父親は自分の唯一が他者に気を取られるとこを許さない。たとえそれが自分の息子であっても。  会うたびに息子を心配して、「ごめんね」と謝る唯一を見たくないと僕に会う回数を徐々に減らされ、僕のお世話はβの青年を当てがわれた。  家族であって家族でない関係。  だから僕がそのベータの青年、隆臣を兄のように頼るようになったのは必然。  物が欲しいと欲すれば父親が何でも用意してくれたけれど、僕の欲しかったものは手に入らない。  父親と、産みの父と、3人で過ごしたいと願うには父親は父のことが好き過ぎたのだろう。父親と父の遺伝子が混ざり合って生まれた僕にはあまりにも関心がなさ過ぎた。 「ねぇ、隆臣。  僕は何で此処にいるの?」  僕の言葉に隆臣は困ったように眉を下げるのだった。  隆臣の役割は主に僕のお世話だ。  登下校は勿論のこと通院の付き添いも隆臣の仕事だし、本来親がするべき事の金銭的負担以外は隆臣がしていると言っても言い過ぎじゃない。僕が初等部の3年生になった頃に迎えられた隆臣は当時はまだ大学を卒業したばかりで、仕事の合間に僕の世話をするつもりが僕の世話の合間に仕事をする生活に不満を隠せない様子だった。  登下校の間、車に乗っていても無言。食事の用意自体は通いの家政婦さんが作ってくれるけれど、一緒に食事をしてくれることはない。黙々と食事をしてさっさと入浴してベッドに入る。  少し長めの髪を乾かすのに苦戦すれば手伝ってくれるけれど、ベッドに入ってしまえば隆臣は自分の部屋に下がる。夜中に何かあった時にすぐに動けるためにと隣の部屋をあてがわれたせいで、父はますます僕の元から足が遠のく。  枕元には何かあった時のために隆臣に直通のナースコール、隆臣コールが設置されていて、それだけが僕の救いだった。  嫌われていても、疎まれていても、それでもこの先には隆臣がいる、1人じゃないと思えば安心して眠ることができた。 「羽琉さんは大人しいですね」  そんな風に言われたのは隆臣が僕のそばにいるようになって半年ほど過ぎた頃。 「Ωだから仕方ないんだよ」  条件反射的に答えた僕に隆臣が顔を顰める。 「何ですか、それ」  誰もが僕に言った言葉を口にしただけなのにそんな風に問われ、返答に困ってしまう。事あるごとに言われ、事あるごとに自分に言い聞かせて来た言葉だったけど、隆臣の反応で言ってはいけない言葉なのかと不安になる。  なんと答えればいいのか戸惑う僕に気付いた隆臣は「外では言わないほうが良いですよ」と言い「言うのは私の前だけにしてくださいね」と少しだけ笑う。   「言っちゃダメなの?」  そう聞いた僕に隆臣が言ってくれた言葉。 「その言葉で羽琉さんが安心できるなら言っても良いです。でもそれは自分も周りも不安になる言葉なので言いたい時は私の前だけにしてください」 「隆臣は不安にならないの?」 「私はβなので羽琉さんがΩでも何も変わりません。それに、羽琉さんにとってそれがおまじないなら大切にしたほうが良いんですよ」  その日からその言葉は僕のおまじないの言葉になる。    自分を慰めるため。  自分を奮い立たせるため。  淋しい時、辛い時。  そして、弱音を吐きたい時。  人には言わない方がいい言葉でも隆臣が一緒に受け止めてくれると思うと口にすれば少しだけ気持ちが軽くなる言葉はそれ以降、僕を支えるための言葉になる。    僕は身体があまり丈夫ではないせいか、4月生まれだというのにかなり小さい。高等部ともなれば誕生月での差なんて有って無いようなものだけど、コンプレックスを持っている僕にとっては大きな問題だ。いっその事、父のお腹で暴れて3月に無理やり出てきていたらこんな風にコンプレックスを持たずに済んだのにと思ってしまう程に。  だから自分ではどうしようもないことが起こるたびに呟いてきた言葉。 「Ωだから仕方ない」  今日も僕は口癖になった言葉を唱え、後部座席で横になる。  高等部に入り昔よりはマシになったけれどそれでも無理をすれば発熱するし、ストレスが蓄積されれば今日のように通院が必要になるくらい体調を崩してしまうから。 「Ωだから仕方ない」  だけど、この言葉が何の救いにもならない事を今の僕は知っている。  だって、あの子もΩなのにあの子は僕みたいに発熱することもないし、体調を崩して検査を受けることもない。  好きな場所に行って、好きな事をして、好きな人と過ごす。  僕のできない事を何でもできるのに、友達だってたくさんいるのに。  燈哉を選ばなくても彼の周りにはたくさんの人がいるのに、それなのに燈哉を選んだのは…もしかしたら運命なのかもしれない。 〈万が一〉を防ぐためにα用の抑制剤を服用している燈哉はαに対しても、Ωに対しても、もちろんβに対しても平等だ。  幼稚舎の時に孤立していた僕に話しかけてくれたように、性差関係無しに誰にでも話しかけるし手を差し出す。  そして、燈哉の周りには人が増えていく。  僕に対しては幼稚舎の頃から変わらず、気付けばそばにいてくれるせいで僕は燈哉の特別だなんて思っていたけれど、それは勘違いだったのだと最近になって思い知らされた。  僕がいない時の方が楽しそうとか、僕がいない時にはあそこに行ったとか、そんな話を耳にしてしまえば嫌でも気付いてしまう。  そして、僕の入院を喜ぶような今日の言葉。 「Ωだから仕方ない」   自分に言い聞かせ、自分に暗示をかける。  そう、Ωだから仕方ないんだけど。
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