【side:羽琉】【番候補】の意味。

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【side:羽琉】【番候補】の意味。

「席はとりあえず名簿順のままだって」  教室に着くと伊織が教えてくれる。  クラスの別れてしまった政文が自分の鞄をクラスメイトに託して着いてきているのは僕の鞄を持っているから、ではなくて少しでも伊織と一緒にいたいだけだろう、きっと。  伊織とは名簿が近いため当然だけど席も近い。幼稚舎の頃から知っているだけでなくクラスが同じになる度に席が近くなるせいで仲良くなったけれど、それがなければ今もこんなふうに仲良くしていることは難しかったかもしれない。  考え事をしながら適当にふたりの話に相槌を打つ。ふたりの時間を邪魔したくないけれど、時折同意を求められたりするから仕方ない。 「おはよう」  そう言って僕たちの話を中断させた燈哉はいつもと変わらない外見だったけれど、本人は知ってか知らずか身に纏う香りがその変化を告げる。燈哉のフェロモンと纏わりつく別の香りが気持ち悪い。 「今日、駐車場に着くの早かった?  行ったらもういなくて焦った」  自分の変化に気付いていない様子の燈哉は僕に近づいてくる。ねっとりと纏わりつく香りが気持ち悪くてその香りから逃げようとするけれど、それは伊織に止められてしまった。  そっと僕の腕を押さえた伊織と、立ち上がって燈哉の視線を遮る政文。  燈哉の香りの変化にふたりも気付いたのだろう。   「ちょっと燈哉、いい?」  そう言いながら燈哉を引っ張りどこかに行く政文と、それを見て気遣わしげな視線を僕に向ける伊織。あの香りと相まって決定的な何かを察するしかなかった。 「やっぱりそうなんだ?」  僕の言葉に伊織がこくりと頷く。 「ふたりで何話すのかな?」 「さあ、でも政文も怒ってたし」 「怒ってたの?」 「そりゃあ、羽琉は大切な友達だし」 「燈哉だって友達でしょ?」 「燈哉は頑丈そうだから大丈夫」  なんとなく話を逸らされてしまう。  僕が聞きたいのは怒っている内容というか、燈哉が纏っていた香りのことなのに。もっとはっきり言ってしまえば燈哉が『涼夏』と呼んだΩのことなのに、今の段階で彼の話をしてくれる気はなさそうだ。  チャイムギリギリで教室に戻ってきた燈哉は僕の方を見てはいたけれど休み時間になっても僕に近付くことはなく、昼には伊織と政文に連れられて空き教室で過ごした。  燈哉が何か言いたそうな顔をしていたけれど、纏わり付いた匂いが忘れられなくて僕の方から声をかける気にはなれなかったのだから仕方ない。 「何でこんなとこ知ってるの?」  ふたりに連れられて行った先は今は使用されていないらしい教室で、入学してばかりの政文がこの教室の存在を知っていることに驚かされる。いくら中等部と施設がそっくりだといっても空き教室まで同じなんてことはないだろう。 「持つべきものは先輩だね」  そんなふうに笑うけれど、政文の先輩なら僕の先輩でもあるはずだ。  政文も伊織も、もちろん燈哉だって交友関係が広いせいで昨日の出来事は広く知られているだろう。そのせいで僕に対しての何かしらの配慮が生まれたのかもしれないと苦々しい気持ちになる。  配慮されるような事柄が知りたくて、こんなふうに扱われる自分の立場が居た堪れない。 「ストレス溜めちゃダメなんでしょ?  だったらストレスの原因は排除するのが1番だしね。  羽琉だって気付いたみたいだし。  燈哉来たら顔色悪くなってたし。  でもとりあえずお弁当食べちゃおうか」  僕としては早く話を聞きたいところだけれど、食べてしまえば食欲を無くすような内容なのだろう。そう促されて仕方なく弁当箱を開けるけれど、食べたいと思えず「お腹空いてないからいらない」と蓋を閉じる。 「少しは食べたほうがいいんじゃないか?」  大きな弁当箱を前にした政文がそう言うけれど、「無理して食べることないよ。はい、これあげる」と言って伊織から果物を渡された。デザート代わりなのか数種類の果物が入れられていたけれど、それを口にする気にもなれなくて、「ありがとう」とだけ告げ持参したお茶を口にする。  正直なところ、朝の匂いが鼻の奥に残っているような気がして、その匂いと弁当の匂いが混ざってしまい不快感は増すばかりだ。 「それで、何があったのか教えてくれる?」  ふたりが食べ終わるのを待ち自分から口を開く。これでまた流されてしまうようならここに来た意味が無くなってしまう。知らないふりをするには大きすぎる出来事だろう。  僕の覚悟が伝わったのか、言いにくそうに伊織が口を開く。 「昨日、燈哉と一緒にいたのは今居 涼夏。  気付いたと思うけどΩだよ」 「うん、ネックガードしてた」  昨日気づいたことを素直に伝える。  ネックガードに気付かなくても燈哉のあの顔を見てしまえば理解するしか無かったとも思うけれど、僕が知りたいのはそこじゃない。 「俺も戻った時には式が始まってたけどなんか、雰囲気がね。  新入生挨拶で燈哉が壇上に立った時には冷やかしと蔑みと半々って感じだったかな?」  そう言って政文が溜め息を吐くと「そりゃあ、あんなこと言ったらね」と伊織まで溜め息を吐く。  2人の様子が僕にとって悪いことでしかないと伝えているけれど、それでも次の言葉を待つ。  聞いても聞かなくても同じなら聞かないけれど、聞かないままやり過ごすことはできないのだから仕方がない。何が起こったかを理解して、自分の立ち位置を確認する必要があるだろう。 「羽琉が保健室に向かった時に燈哉怒ったじゃない?  あの後、やっぱり茶化す奴がいたんだ。羽琉ちゃん政文に取られちゃうよ、とか」 「ごめん」  政文が僕を保健室に連れて行ってくれたせいで、伊織も聞きたくないことを聞いてしまったのだろう。 「羽琉は悪くないから謝らない。それに、政文にお願いしたのは僕だよ」 「そうそう、俺にしてみれば伊織にヤキモチ妬かせてくれてありがとうだし」 「やっぱりヤキモチ妬いた?」 「妬かないって言ったら嘘になるけど、どっちかって言えば嫉妬ってより周りの反応にイラっとしただけかな。それに、自分の大切な人が自分以外を大切そうに運んで嫉妬するのは普通でしょ?」  僕を安心させるようにそう言うと「それに今はそんな話じゃないよ」と話を続ける。『大切な人が自分以外を』という言葉に反応してしまいそうになるけれど、それを意図してスルーする。 「それで、今居君が『羽琉って誰?燈哉君の何?』って言い出して…。  それで、大切な【幼馴染】だからって」 「まあ、間違いじゃないけどな」 「まあね。  それで、今居君が面白くない顔を見せたら羽琉のことは身体が弱いせいで自分がずっと面倒を見てきたからとか言って。  自分以外には触らせたくないとか言ってたの、どの口だよって周りはドン引き。  聞いてるこっちにしてみれば何それって感じだよね」  昨日の朝までは、僕と番になるのは自分だと主張していたはずの燈哉がそんなことを言い出せば確かにそうだろう。だけど僕にとってはドン引きで済ませることのできない言葉。  今までは燈哉の庇護が当たり前だと思い、その時が来れば燈哉と番になるのだという認識の中で過ごして来たけれど、僕を番にする気は無いと言われたのと同じなのだ。 「俺たちが一緒にいるから」  僕の不安を感じ取ったのだろう。  政文がそう言って伊織にも確認する。 「とりあえずクラス単位で動く時は伊織がいるし、登下校は隆臣さんが来てくれるだろ?」 「政文、やることないじゃん」 「え、弁当は一緒に」 「でも2人とも学食でしょ?」 「羽琉が弁当持って一緒に学食に来れば席取りお願いできるんじゃない?」 「え、羽琉に席取りさせるとか政文鬼畜。  あ、僕と羽琉は座ってるから政文が並んでくれるとか?」  ふたりで勝手に進める話に苛立つけれど、それしか方法はない。だけど、燈哉のことを諦めきれない僕はその提案を受け入れたくなくて、何か他の方法がないのかを模索する。 「燈哉に言っておいたんだ」  そんな僕の様子に気付いたのか政文が重い口を開く。 「他のΩの匂いさせて羽琉に近付くなって」  その言葉の意味を考え、昨日の2人を思い浮かべる。彼のことをそっと抱きしめた燈哉は僕に見向きもせずに、ただただ彼のことを愛おしそうに見つめていた。あの時の接触はそれだけだったし、いくら【唯一】であっても衆人環視のもと香りを纏うような接触をするとは思えないから、その後でふたりきりの時間を過ごしたのだろう、きっと。 「燈哉は今居は羽琉みたいに守るべき存在ではないけれど、放っておけないって。  話にならないから今居の匂いが消えるまでは羽琉と話すことも許さないって言っておいた。  羽琉のことは俺と伊織が守るから」 「そんな、駄目だよ」  咄嗟に口にしたのは燈哉と離れたくないから。燈哉が『羽琉みたいに守るべき存在ではない』と言ったのなら、僕はまだ守るべき存在だと思われているのだろう。それなのに伊織や政文と一緒に過ごしてしまったら今度こそ燈哉が離れてしまうのではないかと怖くなる。  今居涼夏の存在は気に入らないけれど、それを黙認すれば燈哉の側にいられるのならそれでもいいと思ってしまう。 「でも、もう言っちゃったし。  羽琉がストレスで体調崩したのは燈哉の行動のせいだって言っておいたし」 「そこまで言ったんだ」  政文も伊織も面白そうにしているけれど、正直僕には笑えないことばかりだ。  僕のことを守るべき存在だと思いながらも【幼馴染】だと格下げしたこと。昨日の朝までは僕のことを【番】扱いしていたのに、あの短時間で僕はその地位を失ったのだろうか?  そして、燈哉が彼の香りを纏っていたことも僕を落ち込ませる。  今までは僕を守るという大義名分で僕に触れ、自分の存在を周知していたけれど僕の香りを燈哉が纏うことはなかった。 『羽琉、早く大きくなりな』  そう言って僕の頸を香ることはあってもそれ以上僕に触れてくれはしなかった。αである燈哉がΩである僕の頸を香ることによって自分の庇護を主張していたけれど、それは一方通行の行為。  燈哉のことを受け入れたい、燈哉の香りを纏い、燈哉に香りを纏わせたい。  自分がΩだとはっきりと自覚し、αとΩがどうやってヒートを過ごすのかを具体的に知ってからずっと願ってきて、それでも叶えられなかったことなのに、今居涼夏は会ったその日に燈哉に香りを纏わせ、燈哉の香りを纏ったのだ。 『羽琉にヒートが来たらその時にね』  そう言って僕の頸にそっと鼻先を埋めたくせに。  僕とは唇を重ねることすらしてくれなかったくせに。  僕にだって欲はあるし、燈哉にだって当然欲はあるだろう。校内でしか一緒に過ごすことができないせいで肉体的な接触、体液を交換するような行為をすることは無理だと思っていたけれど、今居涼夏とそれができたのなら僕とだってできたはずなのに。そんなふうに思うと自分が可哀想で、結局燈哉は僕のことを好きだったわけではなくて、【番候補】という役割を果たしてくれていただけだったのかと思い、いろいろ考えることが面倒になってしまう。 「僕、どうしたらいいの?」  考えたくなくて楽な道を探す。 「燈哉は僕のこと、番にしてくれるんじゃなかったんだね。  あの子、今居君?  今居君はきっと、もうヒートが来てるんだね。そうだよね、僕みたいに小さくないし、僕みたいに弱くなさそうだったし。  僕にヒートが来てたら燈哉は今居君に気付かなかったのかな?  僕と番になってたら今居君と番にならなかったのかな?」 「まだ番じゃないと思うけどね」  僕は真剣に考えていたのに茶化すような言葉を発した政文が伊織に嗜められる。『番じゃない』と言う言葉は僕を慰めるための言葉だったのかもしれないけれど、【番】になっていないのに体液の交換をしたであろうことが僕を更に傷つける。  【番候補】だったのに体液の交換すらさせてもらえなかった僕と、【番候補】でも【番】でもないのに体液の交換をした今居涼夏。  共に過ごした時間なんて関係無いのだと思い知らされた気がする。 「とりあえず羽琉は僕と一緒にいれば大丈夫だから。僕だってαなんだし、僕だけじゃ無理な時はすぐに政文が来てくれるだろうし。  燈哉がそばに居なくても僕たちが一緒にいればαから守ってあげられるから」  そんなふうに心配してくれるけれど僕の欲しい言葉はそんな言葉じゃないし、僕が欲しいのはふたりから与えられる施しじゃない。  そんなふうに捻くれたことを考えてしまうけど、Ωの僕はαであるふたりに従うしかないのだろうと諦めることしかできなかった。  
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