【side:羽琉】僕の想いは醜い想い。

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【side:羽琉】僕の想いは醜い想い。

「羽琉、おはよう」  翌日、駐車場で僕を待っていたのは伊織でも政文でもなく燈哉だった。 「…おはよう」  燈哉が来てくれたことが何を意味しているのかが分からず、僕を迎えにくると言った伊織と政文の姿を探す。  車を駐車場に入れる時に燈哉に気付いていたのだろう。普段、登校時は車から降りることのない隆臣が「羽琉さん、忘れ物です」と言って降りてくる。  忘れ物なんて無いのに、と不思議に思っているとちょうどそこに伊織と政文が来たため「おふたりにお願いしておきますね」と小さな包みを渡す。  きっと、昨日処方された抑制剤だろう。 「それは?」  燈哉が訝しげな顔を見せるけれど「燈哉には関係無いから」と伊織に一蹴される。忘れ物と言いながらふたりに包みを渡しているのだから燈哉が不審に思うのは当たり前で、余計な一言を言った伊織との間に緊張が走る。 「隆臣さん、大丈夫ですから」  ふたりの様子を見ながら政文がそう言って隆臣に帰るように促す。朝の駐車場は独占して良いものじゃない。 「連絡しますから」 そう告げる伊織の声も聞こえ、「羽琉、行くよ」と当たり前のように僕の鞄を持った政文が歩き出し、伊織に手を引かれた僕も歩き出す。  何が起こっているのか分からないまま歩き出すけれど、意識は燈哉に向いたままだ。 「羽琉」  その声にどんな感情が込められているのか探る。友情なのか、愛情なのか、それとも義務的に呼んでいるだけなのか。僕に向けられた視線を気にしながら引かれた手を振り解いた方がいいのかを考える。 「来る場所間違えてない?」  伊織にそう言われながらも着いてくる燈哉がその言葉に対して何も言わないせいでその気持ちを測りかねるけど、今日の燈哉に纏う香りがないことがせめてもの救いだろう。 「明日からは俺が羽琉に付き添うから」  彼とのことを何も言わないまま、伊織の言葉にも何も答えないまま言ったせいで「今居は?」と政文が呆れた声を出す。 「あれだけ周りに見せつけておいて、羽琉のとこに来たら今居くんが可哀想だよ」  それに被せるように怒りを含ませ「そもそも付き添うとか、どんな立場で物言ってるの?」と伊織が声を荒げる。 「俺が守るって約束したから」  そう言った燈哉は「涼夏は校内でならひとりでも大丈夫だろうし、Ωだけど案外強いよ」と続け、何かを思い出したように薄く微笑む。  そして、涼夏は自分のΩ性を正しく理解し、コントロールしているだけでなく自分を守る術を身に付けているため下校時に強くマーキングをすれば問題無いと主張した。  最悪だ…。  僕は一体何を見せられ、何を聞かせられているのかと不快に思う。今居涼夏を褒める言葉と彼に向けられた優しい表情。今まで僕のモノだった燈哉のマーキングを彼にも施したと告げられてしまい何が問題無いのかと問い詰めたくなるけれど、何を言えばいいのか分からず口を噤む。 「お前達が涼夏の香りを纏わなければ羽琉の側にいても良いと言ったんだろう?  涼夏にもそれを伝えて、了承してもらってる。どのみちクラスは別だし、涼夏ならすぐに友達もできるだろうし」  僕の気持ちを置き去りにしたまま続けられる燈哉の言葉は僕の気持ちを萎えさせる。その言葉が、その態度がどれだけ僕を傷付けているのかなんて知る気もないのかもしれない。 「羽琉にだって俺たちっていう友達がいるから問題ない」 「それでも俺が守るって約束したから」  そう言った燈哉が少しだけ政文を威嚇する。  以前はあれほどまでに心地良いと思った僕を想って放たれる弱い威嚇だったけど、今の僕はあの時のことを思い出し緊張してしまう。  そんな僕に気付いた伊織が「燈哉、威嚇。羽琉が怖がるから」と鋭く注意したせいで威嚇を収めるはするけれど、今度は「伊織も、羽琉に触るな」と僕の手を取る。  嬉しかった。  まだ僕の手を離したわけではなかったのだと安堵した。  昨日政文に触れられた時には嫌悪しかなかったのに、慣れ親しんだその手は僕を安心させ、慣れ親しんだその香りに高揚する。  そして、そんな自分を情けなく思いもする。僕の目の前であんなにも今居涼夏を褒め称えたくせに、と思いながらも拒絶できないのは僕がまだ燈哉を欲しているから。 「伊織、政文、燈哉と話していい?」  もっと側にいたくて、もっと触れて欲しくてそう申し出ると「じゃあ、一緒に」と言われたけれど、その申し出は断る。僕と燈哉の問題なのだから余計な口出しをされたくなんてないから。  本当は燈哉とふたり、誰もいないところで話したかったけれど、僕たちが2人で過ごす姿を周りに見せたくて中庭のベンチに向かう。  特別目立つわけではないけれど、どこからも視界に入るその場所。わざわざそこを監視する人はいないけれど、なんとなく気に留めるその場所で話をしていれば今居涼夏の目にも入るかもしれない。 「おめでとう」  中庭に着くと燈哉が口を開く前にそう言ってみる。本心からの言葉ではないけれど、燈哉の本心が知りたくてわざと言った言葉。 「おめでとうって、」 「だって、【運命】なんでしょ?」  目を伏せて微笑んで見せればバツの悪そうな顔をする。もっともっと罪悪感に苛まればいいいのに。 「【運命】ではないよ」  そう言ったあとで「それでも涼夏のことも守りたい」と告げられる。【運命】じゃないのに守りたいだなんて、本能で抗えないわけじゃないのに守りたいだなんて、『おめでとう』の言葉を否定しないくせに【運命】は否定するのかと可笑しくなる。 「羽琉のことは大切だし、今までみたいに守る。だけど、登下校の間だけは涼夏のことを守らせて欲しい」  僕のことを守ると言った口で、他のΩも守りたいと言う燈哉は頭がおかしいのかもしれない。αは独占欲が強いと言うけれど、Ωにだって独占欲はあるのだ。  わかりやすい燈哉の独占欲よりも、蜘蛛の巣のように張り巡らし、逃げられないように囲い込んだ僕の独占欲の方が強いかもしれないと思うけど、燈哉はそのことに気付いていないのだろうか。 「涼夏にも羽琉のことを話したし、羽琉とは今まで通り付き合うとも言ってある。涼夏のことは学校から駅までエスコートするけど校内では今まで通りで大丈夫だから」  燈哉の言葉を聞きながらそこに僕の意思は必要無いのだと痛感させられる。 「伊織と政文がいるから大丈夫だよ?  昨日、隆臣とも話してたし」  燈哉が今居を守ると言うのなら、そのことを隠す気がないのなら僕にだって自由にする権利はあるはずだ。  そんなに彼のことを守りたいのなら勝手にすればいい。 「何言ってるの?」  僕の意思を冷たい声で遮った燈哉は正面から僕を抱きすくめると僕の頸に唇を寄せる。  鞄を手に持っていたはずなのにとどうでもいい事を考えたのは、燈哉のその行動が何かの間違いだと思ったから。  頸に感じる熱さが僕だけのモノだったらいいのに。そう思うと自然に涙が溢れ出す。僕だけが知っていると思っていた熱さを僕よりも先に分け与えられた相手がいることが許せなくてその腕の中から逃げようとするけれど、力で敵うわけがないし、許せないと思う気持ちが有るくせにその熱さが嬉しくて身を任せたくなる。  ネックガードなんて無ければいいのに。ヒートの最中ならこのまま噛んで、燈哉のモノにしてくれたらいいのに。  彼よりも先に、彼よりも深く噛んでもらえたら、僕は燈哉の【唯一】になれるかもしれないのに。 「羽琉、今までみたいに俺といるって言って」  頸に鼻先を埋めたまま燈哉が囁く。  本当は頷きたいけれど、彼のことが頭から離れない。 「大切な人ができたんだから、僕のことは」 「羽琉?」 「ひっ、ゃだ」  僕が言い終わる前にネックガードに軽く歯を立てられたせいで変な声が出てしまう。鼓動が早くなり、呼吸が浅くなる。  この熱さが僕だけのモノなら良かったのに、この熱さは僕だけのモノじゃないのに。熱に流されそうになりながらも彼のことを思い出してしまい、今度は意思を持ってその腕から逃げようともがく。 「俺といるでしょ?」 「やだってば」 「羽琉?」  反意の言葉に明らかな苛立ちと僕に向けられた威嚇。僕のことを想い、僕のためだけに向けられた威嚇は僕の本能を刺激して何かを引き摺り出そうとする。 「ぃゃ、だ」  本当は嫌じゃない。 「こわい、」  怖いのは本当。  本能で何かを察して全てを遮断するかのように、手足が痺れ視界が暗くなる。本当はこのまま身を任せたいのに邪魔な声が聞こえてきたせいで、理性が僕を引き戻そうとする。 「ほら、うんって言うだけでいいから」  言われるままに頷いたのは、燈哉に支配されたいという僕の本能。 「羽琉、良い子」  その言葉を聞きながら、僕は意識を手放した。  気がついた時には保健室のベッドに寝かされていた。 「羽琉、大丈夫?」  身体に残る熱のせいか、燈哉の声だけで鼓動が早くなる。この熱を気付かれてはいけない、そう思うと発する言葉も選んでしまう。 「授業は?」 「今、一限目。  心配だって言ったら保健医が付き添いの許可くれたから」  そう言って優しく笑うけれど、その目は熱を孕んでいるように見える。 「大丈夫だから授業に出てきたら?」 「別に、授業に出なくても平気だよ。  授業より羽琉の方が大事」 「大丈夫だってば。  それに朝も、」 「これから毎朝マーキングするから。  今までよりも、涼夏にするよりももっとキツく」  僕の言葉を遮り燈哉が宣言する。  その言葉に歓喜するけれど、こんな時にまで彼の名前を出されてしまい深い場所にできた傷から何かが流れ出す。 「マーキングなんてしなくて大丈夫だよ?」  僕だけに向けられる想いなら嬉しいけれど、誰かと分け合う想いなんて必要ない。「今居くんに申し訳ない」「どうしても気になるなら移動の時だけ一緒にいて」そう告げれば「今までと変わらないって言ったでしょ?」と一蹴されてしまうし、「今までは今居くんがいなかったから」と言えば「涼夏は俺のこと、信じてくれてるから」と返されてしまう。  僕は、燈哉を信じていないと思われていたのだろうかと少しずつ傷が広がっていく。 「あ、伊織と政文には羽琉は今まで通り俺といるからって言っておいたから」 「でも今居くんが」 「煩いなあ。  朝から帰るまでは羽琉と一緒にいるって言ってるだろ?  涼夏とはその後で過ごすし、週末は涼夏のために使うから良いんだって。  羽琉は俺の言うことに逆らうべきじゃないと思うよ?」  そう言って強い威嚇を向けられてしまい、それほどまでに強い想いなのに週末は彼と過ごすし、彼とは体液の交換をするのだと傷がまた深くなる。  僕も欲しいのに。  そんなふうに思い、無理矢理でもいいから僕を支配してくれたらいいのにと思ってしまったせいで昂りそうになるのを隠したくて思わず身体を丸めてしまう。兆しているわけではないけれど、こんなふうになってしまう自分が居た堪れなくて燈哉の顔を見ることができない。  今の僕は、きっと欲にまみれた顔をしているはずだ。  露わになった頸にそっと指を這わせた燈哉が蔑むように「だって、伊織も政文も羽琉のこと守るって言うけど番にはしてくれないでしょ?」と嗤う。 「燈哉だって」 「別に、羽琉が望めば羽琉のこと、番にできるよ?  ヒートが来ればだけどね」  僕の抵抗の言葉は簡単に一蹴される。  身体を丸めたままの僕の頸を指でなぞり、「伊織も政文もΩと番う気はないっていつも言ってるでしょ?でも俺はそんなこと言わないよ」と執拗に頸をなぞる。昂りを、漏れそうになる声を抑えているせいで反論ができない。 「羽琉だって、そのつもりだったくせに」  だけど、その言葉ひとつで僕の気持ちは急速に冷えていく。  僕の気持ちを知っているのに彼を選び、彼を選んだことを隠しもせず僕のことを縛り付けるのは僕を壊したいからなのだろうか、そんなことまで考えてしまう。  僕自身にはなんの力もないけれど、僕の【番候補】という立場は利用価値があるだろう。【番】にする気が有るのかどうかは分からないけれど【番候補】という立場は手放したくないのかもしれない。  もしも僕が壊れてしまったら、もしも僕が考えることをやめてしまったら。  今まで僕がどんなに望んでも性的な関わりを避けてきた燈哉がこんなふうに触れるのには何か訳があるのだろうと勘繰る。本来なら【唯一】が見付かったことで離れるはずなのに、それなのにこうやって僕を翻弄するのは彼のためなのだろうか。  そんなふうに考えてしまうと触れられた頸の熱さも薄れ、昂りも治っていく。  無言のまま過ごしているうちに一限目の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。 「羽琉は少し寝てな。  自分がどうするのが1番良いのか考えれば誰と一緒にいるのが正解なのか、分かるよね?  教室で待ってるから」  そう言った燈哉は僕の頸に唇を這わすと「先生呼んでくるから」と保健室から出ていく。  唇が這った頸が熱い。  その感触が再び僕を翻弄しようとする。本来ならαとΩをふたりきりにする事はないけれど、【番候補】という言葉のせいで許される僕たちの距離。  昨日の今日で生徒間の出来事など把握していないのかもしれないし、今までの実績から燈哉が何か言えば鵜呑みにしても不思議ではない。  だったら、もっと僕を支配してくれたらよかったのに。  保健医に僕たちの破綻しかけた関係を告げればこの時間は無かっただろう。  だけど、それを告げるには僕は燈哉のことを諦めきれずにいる。そう考えると僕の取るべき行動は一つしかない。 「羽琉君、お家に連絡する?」  僕に声をかけた保健医に対する答えはひとつだけ。 「燈哉がいるから大丈夫です」  今居涼夏が、燈哉燈哉の【唯一】が現れても僕の心は燈哉に支配されているのだ。
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