【side:隆臣】βの願い。

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【side:隆臣】βの願い。

「先生、羽琉さんはそんなにですか?」  羽琉の変化に気付いていたけれど、それでも見て見ぬ振りをしていたことを告げずに白々しくもそんな質問をする。【番候補】である燈哉との仲が上手くいっていないことには気付いていたけれど、羽琉はそれを悟られることを恐れているように見えたため静観していたのだ。  羽琉が病室を出たのを確認してから口を開いたのは自分が知っていることを羽琉に知られたくなかったから。羽琉が隠したいのなら知らない振りをしておけばいい。 「さっきも言ったように1番の原因は栄養失調。  必要なエネルギーに対して摂取してる栄養が少なすぎるね」 「多少は食欲が落ちていましたけど暑さのせいだと思ってました」  本当の理由を告げた方がいいことは分かっているけれど、本当に知ってもらいたいと思えば羽琉が自分で口を開くだろう。それをしないのならまだその時ではないということだ。  ただ、食欲が無ければゼリー飲料を渡したり、羽琉の好きそうな間食は切らさないようにしていたつもりだ。 「暑さとストレスも原因だよ。  でもそれは羽琉君を落ち着かせるための表向きの理由」  白々しい自分の言葉は肯定されつつも、他にも理由があると暗に示され仕方なく次の言葉を促す。暑さと【唯一】である彼の存在以外にだってストレスは感じるのだろうけれど、1番の原因は分かりきっているのにそれ以上何があると言うのかと気になってしまう。 「表向き、ですか?」 「そうだね。  本人には入院中に話そうと思ってるけど体調の変化はヒートのせいもあるかな」 「ヒート…ですか?」  予想外の言葉に戸惑ったのはふたりの関係がこの先どうなるのかが分からなくなってしまったためで、何でこのタイミングでと思ってしまう。  羽琉の父親から部屋を用意するように言われて燈哉の家の近くに部屋を用意してはあるけれど、今の燈哉に任せるのは正直不安でしかない。燈哉とは違う相手と出会うことや、燈哉とは違う相手とヒートを過ごすことを想定して別の部屋も探してはいるけれど、こんなタイミングでヒートだなんて現実は残酷だと思ってしまう。  羽琉にパートナーがいなければこのクリニックの専用の部屋を使うことも可能だけれど、【番候補】である燈哉がいたためそんなことは想定していなかった。その時が来たらふたりで過ごし、卒業して互いの意思が決まれば【番】となる予定だったふたりだったから。だけど燈哉に【唯一】が現れてしまった【今】熱を鎮めるだけのために燈哉に身体を許すことを羽琉は良しとするのだろうか。  弱く見えて羽琉が強かなことには随分前から気付いている。周りを自分の思うように動かし、自分の思い描いた【羽琉】という存在を印象付けるところは父親ではなくて父に似たのだろう。  人の気持ちを試すようなことを平気でするし、自分のモノに他人が触れようとするだけで許すことが出来ない。と言ってもその気持ちを向けるのは燈哉にだけで、羽琉の行動はどんなものであっても燈哉を繋ぎ止めておきたいだけのものだった。  時折やりすぎではないかと思うことがあっても燈哉はそれを受け入れ、羽琉を慈しみ、その関係を深めていると思っていた。  それだけに今回の【唯一】の存在は意外でしかない。  燈哉が羽琉以上に惹かれる相手が現れるだなんて想定外過ぎて、何も聞けないまま、何も言えないまま傍観することしかできなかった。 「羽琉君、結局パートナー候補だった子とは?」   「あちらは羽琉さんに執着してます。  別の方とも懇意にしていますが羽琉さんを手放す気は無いみたいで、大切な人がいても羽琉さんを番にすることはできると言って他のαが近付かないように毎朝マーキングしています」 「………若いね」  医師はそう言って苦笑いを見せるけれどその目は決して笑ってはいない。続けて「でも、今日はマーキング薄かったよ?」と言うため今朝の出来事を告げる。  登校中に【唯一】と歩くαを見てしまったこと。  その仲睦まじい様子にショックを受けていたため別の友人に羽琉を託したこと。  本来なら朝迎えに来た時点で羽琉に対してマーキングするため、別の場所で車から降りた今朝は羽琉にいつものようなマーキングが出来なかったはずだと告げる。 「毎朝のマーキングって?」 「羽琉さんの頸に指で触れてから唇でも触れています」  そう告げれば苦笑いではなく苦々しい顔を見せられる。  あの日、伊織と政文と過ごすつもりだった羽琉と、伊織と政文を見て不快感を示した燈哉の間に何があったのかを羽琉は話してくれない。だけど伊織から貰ったメッセージで羽琉が半ば強制的に燈哉を選ばされたと告げられた。 《何とかしたかったけど、羽琉に燈哉を選んだって言われたら何もできない》  そんな伊織の後悔の言葉だったけど、羽琉が本当に嫌だと思えば逃げることだってできたはずだ。だけどそれを受け入れたのは羽琉が合意したから。 〈気にかけていただきありがとうございます〉 〈何がありましたら教えていただけると助かります〉  そう返信をしたけれど、教えられたところで羽琉を見守るしかできないことにもどかしさを感じる。伊織と政文の存在は羽琉にとって燈哉を牽制するためのものでしかない。もしも燈哉が離れて行っても自分を庇護してくれるαはいるのだと見せつけるためだけの存在。  【当て馬】という言い方は申し訳ないけれど、羽琉にとってはそんな存在。だから事あるごとに付け届けをして謝意を伝えているつもりだ。  燈哉に【唯一】が現れた事で伊織と政文に羽琉を託したものの、翌日から始まったマーキングに安堵さえした。  結局選ばれるのは羽琉なのだと。  羽琉が降りる前に車に乗り込み、その細い頸に指を這わせ唇を寄せる。ほんの短い時間の出来事だけど、羽琉が吐息を漏らすようになったのはそれを始めてしばらくしてから。  自分は降りた方がいいのかと思わないでもないけれど、【番候補】とはいえ密室で2人きりにするのは外聞が悪いと車内に留まり見て見るふりをする。  高校生とは言え燈哉は充分に成熟したαに見えるため、万が一のことを考えての行動でもある。燈哉も当然のことながら抑制剤を携帯しているだろうけれど、車内には強力な抑制剤も準備してある。  羽琉の気持ちが伴わない行為が行われるようなことがあれば阻止する必要があるための措置でもあるけれど、羽琉の様子を見れば羽琉自身がその時を望んでいるようにも見えるため、そのまま用意した部屋に送り届けることだってできてしまう。  時間にしてみれば数十秒の朝の交わりは燈哉の執着であり、羽琉の執着でもある。  隆臣だって成人している身だし、αとΩのような関係は望んでいないけれど、恋愛をしたこともあれば経験だってある。自分の経験と重ねて考えると朝のあの短時間で感じた昂りはどこに昇華されていくのかと不思議に思うけれど、それを聞く術も聞く気も無い。  αとΩの関係を自分が完全に理解することは難しいのだから理解できないのは仕方のないことだろう。  朝のあの時間がある限りは、燈哉の執着がある限りは大丈夫だ。そう思っていたのに今朝の様子を見てしまい気持ちが揺らぐ。 「あ、それでか。  毎日そんなことされてたら羽琉君も刺激されるよね。だったら尚更学校に行かせない方がいい。  羽琉君が選んだαかもしれないけど大切な相手がいる子に羽琉君は任せたくないな」  『大切な相手』と言う言葉に羽琉のことを思うと心に傷ができてしまった感覚になる。どこで間違えたのか、自分にできることはなかったのか。  自分がこんなふうに傷を負うのなら、羽琉に与えられた傷はもっと大きいはずだ。 「じゃあ今年は療養行かずにここで過ごす方がいいのかな。隆臣君はβだから当てられはしないだろうけど、ひとりでお世話は大変かもしれないし」 「………そうですよね。  ただ、こちらでお世話になるのが一番だとは思うのですが、羽琉さんのお父様がどう思うか」  そう、恐れているのは羽琉の父のことである。性に奔放な彼は相手のいなくなった羽琉に対し、自分のように自分を欲するαと交わる事を進めるかもしれない。それは彼にとっては最善なのかもしれないけれど、羽琉にとっては最悪な行為でしかない。  父親は父親で薬を必要以上に服用させたくないという気持ちから羽琉の望まない提案をするかもしれない。 「こんな言い方も何だけど他にパートナーになってくれそうなαに心当たりは?」  そう聞かれ伊織と政文を思い浮かべたのは燈哉を除けば羽琉に1番近い存在だったから。Ωと番う気は無くてもΩとヒートを過ごすことはできるだろう。  ただ、羽琉の身体を慰めることはできても羽琉の心を壊すことになるかもしれない。それでも全く知らないαを紹介されるよりはマシかもしれないと思いふたりのことを話して見る。 「羽琉さんが信頼しているαはいます。  ただ、Ωと番う気は無いと公言していますし、αの方ですがαのパートナーがいらっしゃいます」 「信頼してるのはひとりだけ?ふたりとも?」 「おふたりとも羽琉さんのことを気にかけてくださってますし、羽琉さんも信頼してます。  入学式で気分が悪くなった時に助けてくれたのもこの方達です」 「その子たちに相談は?」 「まだ高校生ですから…。  それに、羽琉さんに相談なくそんなこと」 「だよね。  じゃあ、僕の方から羽琉君の希望を聞いてみるのは?」 「自分が聞くよりは羽琉さんも話しやすいと思います。  お願いできますか?」 「じゃあ僕の方から話すと言うことで。  もしも羽琉君がお友達を頼りたいと言ったらその子たちと話せる?」 「………その時は打診してみます」  流れるように決められていく羽琉の今後の予定。羽琉が受け入れることはないのだろうと思いながらも自暴自棄にならないかと心配になる。 「じゃあ明日は検査で疲れるだろうから明日以降に話してみるよ。とりあえず入院の用意はいつもと同じでいいから。  ご両親には?」 「自分から連絡しておきます」 「明日は検査があるから朝食は抜きで。  昼食はこっちで準備するから。  詳しいことは受付で、って。もう慣れてるから説明もあまり必要ないね」  そんなふうに一方的に話を終わらせると「そろそろ羽琉君、退屈してると思うから行ってあげて」と言われ診察室を追われる。  医師から告げられた言葉は意外すぎるもので、ヒートのことは理解していたし、いつかは来るのだと準備もしていたはずなのにいざその時が来ると告げられると複雑な気持ちになってしまう。  しかもその原因が燈哉からのマーキングのせいだと知れば、何も言わずに見て見ぬ振りをしていた自分を責めたくなる。  あの時、自分が止めていれば。  だけど現実問題、いくら年上とはいえただのβの自分が苦言を呈したところで羽琉の両親も承諾していると言われてしまえば自分にできることはない。 「羽琉さん、帰りますよ」  叱られると思ったのか、隆臣の声におずおずと顔を上げた羽琉を見て「怒ってませんよ」と苦笑いを浮かべる。  本来なら苦言を呈したいところだけど今回は羽琉だけのせいではないし、羽琉だけではどうにもできないことだったのだから仕方がないと思うしかない。 「それでも調子が悪い時はなるべく隠してほしくないです」  そう言えば「ごめんなさい」と素直に謝るけれど、気付いていて羽琉の望むように見て見ぬ振りをしていたのだから本当に罪深いのは自分なのだろう。  だけど『Ωだから仕方ない』と口にしたのを聞いたあの日から羽琉は守るべき存在であり大切な存在なのだから寄り添い、その望みを叶えることが自分の仕事なのだから仕方ないのだと自分を奮い立たせる。 「とりあえず帰って支度しないとですね。怒ってはないけど説教はその時です」  そう告げれば嫌そうな顔をするけれど、ここに来た時よりもだいぶ顔色が良くなったことに安心する。 【幸せになって欲しい】  そう願いながらも今朝の光景を思い出し、込み上げる苦い気持ちを羽琉に悟られないようにと押し殺すことしかできなかった。
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