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──今日は四月一日。街にはありとあらゆる嘘が溢れて何が事実かの見極めも難しい。俺もこの日ばかりはいかにして騙されないかに神経を張り巡らせることに意識を集中しており、些細なことにはほとんど気が回らなかった。
「兄ちゃん、今日は家族で出掛ける日だよ!」
「んー……?」
朝から弟が楽しげにはしゃいでいる──だが昨日までまったくそんな話題は口にしていなかったことが頭を過ぎり、俺は返事のため開きかけていた口を閉じる。代わりに幼い弟のまるい頬を手のひらで揉んでやれば、純真無垢な目がまたたいたのち、くるりと見開かれた。
「兄ちゃん?」
弟は頬を揉まれたまま、喋りづらそうに俺を呼ぶ。
くそ、こんな可愛い弟まで俺は疑おうというのか。いくら嘘を吐いてもいい日だといえども、こんなに可愛い弟を疑って自分が情けなくならないのか。
心のなかの俺が叫ぶ。それはもう声量を絞り忘れたかのように、声高に叫ぶ。純粋に自分を慕ってくれる弟が可愛くて仕方がない俺は心がグラついていた。
こんなに可愛い弟が俺を騙そうとするはずがない。
俺は葛藤に苛まれつつ「んー」だの「ああ」だの、気の抜けた音を零しながら両手で弟の髪を撫でる。柔らかい髪が絡むのも構わず、弟はきゃあきゃあと腕を上げて楽しそうな声を上げていた。
「今日はどこに出掛ける日なんだ?」
俺はやんわりと尋ねてみた。
「んーとねぇ、兄ちゃんのすきな所ならどこでも行こうって!ふだんお勉強をがんばってるから!」
弟は上げていた腕を下ろして握りこぶしを作り、力強く語る。いよいよ疑っているのが申し訳なくなった俺は腰を上げて出かける支度を始めた。
その数時間後。『俺の行きたいところ』で遊園地を選んだはいいが弟の行きたがった鏡の迷宮で数多の偽物に惑わされ、額を強打したあげく迷子になろうとは誰が予想しただろうか。
額を腫らした俺を笑い転げながら眺めている父と「兄ちゃんだいじょうぶ?」と無垢に問う弟に、情けなさから事実を告げられるはずもなく。俺はつとめてあっけらかんと言ってみせた。
「──いやー、騙された!」
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