転居

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「もう、参ったよ。また引っ越さなきゃならなくなった」  室井の学生時代の友人河野が、グラスを前にぼやいている。 「え?また引っ越すのかい?確か、ついこの間入ったばかりじゃなかった?」  室井が発する常識的なコメントに、河野は力なく首を左右に振った。 「だって、しょうがないだろう。あんな所に住めやしないよ。まあ、これを見てくれ」  そう言いながらスマホを取り出すと、一つの動画を再生してみせた。リビングルームと思しき部屋の内部の様子が撮影されている。 「俺が寝ている間の様子を撮影するために、定点カメラをセットしておいたんだ。時刻は午前2時頃。俺はこのリビングの隣の寝室で寝ているわけだ」  と、見る間に、画像の隅の方に、何か動くものが映りこんできた。何かがゆっくり移動している。よく目を凝らした瞬間、室井は声を上げそうになった。  明らかに人間の姿をしている。白い服装。よく見ると、どうやら看護師の制服のように見える。間違いなく、一人の女性看護師のようなのだが、普通と違うのは、その姿が透けていることだ。端正な彼女の横顔の向こう側に、テレビ台や壁に掛けたカレンダーの日付までもがくっきり見えている。 「おい、これって……」  かろうじて擦れた声を絞り出した室井に、河野は軽く頷く。 「そう、幽霊だよ」  看護師の幽霊は、画面の向かって右側からゆっくりと歩いていく。そして、丁度見切れるぐらいのところで、すうっと消えてしまった。 「あ、消えた」  明らかに幽霊的なその動きに、室井は思わず間の抜けた声を出してしまった。 「御覧のとおり、リビングに幽霊が出るんだよ。もう2,3週間くらい前に気づいたんだが、毎晩、俺が寝静まった後、夜中に隣のリビングから、人が歩き回る足音が聞こえてくるんだ。最初は泥棒かと思った。それはそれで怖いけど、ある日、思い切ってドアを開けてやったんだが、そこには誰もいない。 だけど翌日になると、また足音が聞こえてくる。正体を突き止めてやろうと思って、カメラを仕掛けてみたら、御覧のとおりさ」 「ここまではっきり撮れているのも珍しいな」 「はっきりしてるだろう?そして、ここまで明確なものが撮れてしまった以上、もうこんな部屋には暮らせないよ」 「それはそうだろうな。それにしても、お前も、よくよくついてないというか、何と言うか……」 「今は五月だが、もう、今年に入って三回目の引っ越しだ。今年の2月まではA区のワンルーム。そこを退去して、次に入ったのはY市のコーポ。ここも一月足らずで出る羽目になって、次にM区のアパート。ここも結局二か月足らずで住めなくなっちまって、次に入ったのが今の部屋なんだが、ここも結局、近々出ることになったわけさ。もう勘弁してほしいよ。引っ越し貧乏って言葉があるが、冗談じゃないぜ、まったく」  確かにそうだろう。引っ越しを一回すれば、当然引っ越し代がかかるし、また、ユーティリティ関連も全部契約し直しだ。住所変更もしなければならないし、大変だろう。室井は流石に河野のことが気の毒になった。 「しかし、お前は、何でそんなに立て続けに事故物件ばかり引き当てるのかねえ」 「俺だってわからんよ。と言うか、そもそも、それらはみんな、”いわゆる事故物件”じゃないってわけだよ。少なくとも俺に物件を紹介した不動産屋は、みんなそう言うわけさ。新しい部屋に入るたびに、何度も確認したが、どの不動産屋も、告知事項はありませんと言う。俺自身も例の事故物件サイトで調べてみたが、確かにどの部屋も、一切マークはついていなかった」 「でも、結局”出る”わけだろう?」 「ああ、全部”出る”んだよ。実際、他の2件もちゃんと証拠がある。さっき見せたように、画像や、ラップ音みたいな音声もはっきり撮れている」 「それを見せたら、契約違反を主張出来ないかね。違約金くらい請求できないもんかな」 「無理だな。実際、”法的に告知すべき”事件や事故は起きていないわけだから。幽霊の画像が撮れているからと言ったって、”そんなのフェイク画像でしょう”となっちまう。実際、そうも言われたよ。俺に物件を紹介した不動産屋は、まずみんなびっくりしたような顔で、”いや、あそこは断じて事故物件じゃありません”と否定する。そして画像を見せると、”こんなのあなたが作ったんでしょう”と来るわけだ。まったく、あんな物件紹介しておいて、ふざけんなよなあ。でも、仮に訴訟したところで、勝ち目は薄いし、時間と弁護士費用だけでこっちがまいっちまう」  確かに河野の言う通りだろう。契約上は、物件を居住に適するような状態にするのは、基本的には家主サイドの義務だが、”幽霊が出た”から居住不可能になったという主張を法的に認めさせるのはかなり難しいだろう。  それにしても、ただでさえ引っ越し貧乏な状態で、こんなに転居を繰り返していたら、仕事や経済面は大丈夫なのだろうか。室井はそちらの方も心配になった。 「今、仕事は何やってるの?」 「うーん、そうねえ。恥ずかしながら、世間で言うところの定職には就いてないんだよねえ。まあ、たまにバイトみたいなことをやるんだけどさ」 「それで大丈夫なのか?」 「うん、何とか食いつないでるよ。まあ、世の中何とかなるさ、はは」  暢気そうに笑う河野を見てると、室井は不思議な気持ちになった。今日の店も河野の方から指定してきたのだが、小奇麗なワインバーで、決して安い居酒屋なんかではない。たまにバイトで食いつないでいる人間としては、かなり贅沢と言えるだろう。そもそも今回の会食は、河野が頻繁に転居を繰り返していると聞いて、少々気になった室井の方から連絡を取ってみたことで実現したのである。勿論、彼としても、何か怪談のネタになるような話でも河野から聞けるかもしれないという下心は無かったと言えば嘘になるが、あくまでも大学時代の友人として久しぶりに会わないか、という連絡をしただけであり、当然河野の方も、今日は割り勘のつもりでいる筈だ。 「そう言えば、相変わらず、例の趣味は続けてるの?」 「ああ、あれね。勿論、続けてるよ。やっぱり、やめられないね。今でも平均して週一くらいのペースでどこかには行ってるよ」 「へえ。まだ続いてるんだ。で、そっちの方で何か面白い話は無い?」  例の趣味とは河野が昔からはまっている、いわゆる心霊スポット巡りのことなのである。同じ怪談好きでも、室井の方は、もっぱら”話”を読んだり聞いたりする専門で、いわゆる”心スポ突撃”のような活動は苦手なのだが、河野の方はむしろそっちの方に重きを置いていた。 「うーん、悪いけど、お話し出来るような、というかお前の期待に応えられるような話は、殆ど無いな。大体、怪異現象なんてのは、そんなにおきやしないんだよね。宝くじを買うようなものさ」 「そんなに、少ないのか?」  身も蓋も無い河野の返事に、室井は少々がっかりした。 「無いね。先月も、ここら辺では有名な廃病院とか行ってみたけどさ。何にも無かった。その後、T町の○○トンネルなんかも行ってみたけど、やはり何も起きなかったよ。いわゆる有名な心スポってやつの方がかえって何も起きないのかもな。少なくとも俺が入る部屋に比べたら、ずっと安全だと思うよ」  河野は自嘲気味に薄笑いを浮かべた。  それから半年ほど経ったある日。  河野が突然自殺した。  相変わらず転居を繰り返す生活だったようだが、今度の物件に入ってから、1週間ほどで、自室で首を括ってしまったのだ。  突然のニュースで信じられないまま室井は葬儀に参列した。さほど仕事でも活躍していなかったと思われる河野だったが、有名な大手不動産会社からひときわ立派な花輪が届いていたのが目についた。  葬儀には、室井と河野の共通の学生時代の友人が何人か列席していたが、その中の一人、飯島の話に、彼は注意を惹かれた。 「あいつ、昔から心スポとか行ってたじゃん。そのうちに妙な能力が身に着いたらしいんだよね」 「能力?」 「そう、能力。つまりは、霊を自由に”着たり脱いだり”出来るって言ってた」 「着たり脱いだり?何それ?」  怪訝な顔の室井に、飯島は笑いながら解説した。 「つまりさ、心霊スポットに行くと、霊が憑いてくるって話があるだろう?河野は、心スポに行くたびに、霊を”くっつけて”帰って来ていたんだ。でも、そのまんまじゃ、当然色々と障りが出るよな。それであいつは自分なりに、憑いた霊を払うやり方を身に着けていたらしいんだな」 「なるほど。そういうことか」 「河野は心スポに行っちゃあ、霊を”くっつけて”帰って来る。そして自宅で”降ろす”。そんな毎日だったらしいよ」  新しい情報を聞いた室井の中で、一つの情景がまとまり始めた。  社会人になってからも、河野は心霊スポットを頻繁に訪れていた。実際、週一ペースでと彼も言っていた。そこで彼は霊に憑かれる。自室に戻ってきた彼が、そこで霊を降ろすと、そこには新しい霊が住み着く。  そう、河野は心霊スポットに行っては、霊を自室へ運んでいたわけだ。そして、今まで事故物件でもなんでもなかったその部屋は、”出る”物件になってしまう。法的には告知すべき事件も無いその部屋は、住んでみれば幽霊が出る部屋になり、実際に入居した人は、ちょっと住んでは次々に退去していく。それでも相変わらず法的な告知事項は発生していない。だから、家賃も下げる必要は無い。新規入居者が入る際に手数料が入るから、非常に回転の良いビジネスになるというわけだ。  河野が”まめ”に心スポ巡りを続けていた理由……彼は、特に定職にもつかず、”バイトみたいなこと”をやっていても、金回りは悪くなさそうだった……そう、彼の”バイト”とは、金をもらって”そういう物件”をどんどんふやしていくことだったのでは……室井の中で全てが繋がって来たような気がしてきた。でも、結局、そんなことを営々と続けているうちに、”本当にやばい者”を、河野は憑けてきてしまったのではないか。それはどうやっても払うことのできない者で、彼はそのまま取り殺されてしまった……  重い足取りで斎場を後にしながら、室井は、もう一度後ろを振り返った。ひときわ目立つ大きな花輪が、相変わらず異彩を放っていた。 [了]
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