夏の夜、宴のあと

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「でもさ、今日ほんとに良かったの? 上田さんと約束してなかった?」  と和音ちゃんが心配そうに言うから、大げさなくらいに首を横に振ったら頭の上の花冠が落ちそうになって慌てて手を添える。 「ううん、なんもだよ。上田さん今日は仕事だし」  前に聞いた話では、今日の仕事はタレントさんの撮影で、タレントさんの時間の都合に合わせることになるから、始まりの時間もかなり遅くなるかもしれないってことだった。 「えー、そうなんだ? じゃあ、いっか」 「うんうん、いいのいいの。ありがとね、和音ちゃん」 「なんかさ、ちょっと元気ないかなって思ってたけど」 「え?」 「んー、先週の撮影とか? めっちゃため息ついてて上田さんとケンカでもしたかと思ってた」 「ああ……ケンカはしてないよ。大丈夫」  そんな周りにわかるようなため息ついちゃってたか……と後悔。  和音ちゃんには曖昧な笑顔をして見せると、冷ややかな視線を向けられる。 「なんかあったぁ? あ、まあ飲みなよ」  と、グラスにシャンパンを注いでくれて、私はそれに口をつける。 「ん……」  ない、とは言えない。 「……先週さ、上田さんちに泊まったときに」 「え、お泊まりするんだ」  と、和音ちゃんはちょっと驚いたような顔をする。 「……んん? 変かな?」 「いや、いいや。続けて」  和音ちゃんがうんうんと深くうなずいた。 「うん、まあ、上田さんは仕事があって、あたしが留守番してたんだけど」 「うんうん」 「あの……前の、奥さん……って言い方もアレだけど、前の人? 前カノ? が、来たの」 「あっ、えっ、マジ?」  和音ちゃんは手を口に当てて驚いた顔をした。 「うん」 「何しに? だって別れたのだいぶ前って聞いたけど」 「うん、二年くらい? もっと前? そんなくらいになるみたいだけど」  詳しい話は聞いていないからよくわからない。 「何しに来たの?」 「うん、連絡先、上田さんに伝えてって。会いにきたって」 「えー、なに、そういう気があるってこと?」  和音ちゃんは眉間にシワを寄せて怪訝な顔をした。 「わかんない……」 「で、連絡先は伝えたの?」 「それが……言えなくて」  私はバッグからあのカードを取り出した。  ほとんど毎日持ち歩いてるけど、直接渡すことはもちろん、電話で話すこともメールすることもできないでいる。 「えっ、ちょっと、越原杏子さん? マジ?」  私の手元のカードを見て、和音ちゃんは声をひそめて目を丸くする。 「そう、みたいだよ」 「へぇー、そうだったんだ……うーん……言いにくいよね。そりゃーため息も出るわー」  はーっと大きく息をついて、和音ちゃんが苦笑いした。 「一週間も経っちゃって……もっと言いにくくなっちゃった。どーしよ、これ」  私も苦笑いしてカードをひらひらと振って、またバッグにしまう。 「ほんとは言った方がいいんだろうけど。でもねー。ヨリ戻したいとか今言われてもってなるよねー」  なんとなくひとりで抱え込んでた気持ちを和音ちゃんははっきりと言ってくれて、自分の気持ちは普通に感じるものなんだなと少し安心する。 「なるよねー……なるんだよ……」 「上田さんはその人のことなんか言ってたの?」 「うーん……会いたいってわけでもなく、会いたくないってわけでもなく……って」 「うわー、ふわっふわしてるね」  そういうタイプなんだ……と呟いて首を傾げる和音ちゃんを見てると、つい笑ってしまう。 「ふわふわしてるよねぇ」 「まあー、わたし彼氏いたことないから、簡単に『わかるぅー』とか言えないんだけど」  首を傾げたままあごに指を当てて考え込むようなポーズをして、和音ちゃんは思いがけないことを言った。 「……えっ」  ちょっと、それは聞いてない。 「え」 「和音ちゃん?」  いわゆる恋バナなんか大好きだし、あちこちの恋愛話を聞いてるみたいだったけど、言われてみれば聞き役になってることがほとんどだったかもしれない。 「わたし箱入り娘だから」 「はこ……」  そういえば、和音ちゃんの服とか身につけているものはけっこうブランドものが多い。  仕事終わりにはよく、つやつやに磨かれた黒い大きなワンボックスカーが迎えに来ていて、和音ちゃんが乗り込むのも知っていたけど。  あれは彼氏とか事務所の車なんかじゃなくて、自分の家の車だったのか……。 「わたしのことはいいの! だからうまいアドバイスなんてできないんだけど、うまくいくようには祈ってるから」  と、胸の前で指を組んでお祈りをするようなポーズを作る。 「うん、ありがとう。……やっぱり、近いうちに、ちゃんと言おうと思うんだ」 「うん、その方がいいとは思うわ。それでユラユラしちゃうなら、そういう人だってことよ」  と、和音ちゃんは自分のシャンパンをぐいっと飲み干して、 「よし、ちょうだいっ」  とグラスを私の前に差し出す。 「はいはい、おじょうさま」  と笑って、私は和音ちゃんのグラスにシャンパンを注いだ。 「ありがと」  わざとらしく澄ました顔でそう言ってから楽しそうに笑った、その和音ちゃんの笑顔に、少し前向きになれた気がした。
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