忘れられない夏になる

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忘れられない夏になる

 夏休み最大のファッションイベント、キャッチフレーズは『忘れられない夏になる』と銘打ったイベント当日、東京圏内でも屈指の広さを持つ会場の観客席はスタンドまでびっしりと埋まっていた。  ショーだけじゃなく、ホールの外ではたくさんのテントであちこちのメーカーやブランドのセールが行われていたり、ショーで披露された新作の予約受注会があったりして、どこも人がごった返している。 「あー、やばい、すっごい緊張してきた!」  和音ちゃんとふたりで私服のまま、こっそりとスタッフスペースを出て観客の様子を見に行ったら、余計に緊張してしまって控え室に戻ってきた。 「わかってたけど、ほんと人多い」 「チケット完売って言ってたもんね」  控え室にも、私たち以外にも他の雑誌などで活躍しているたくさんのモデルがいて、それぞれおしゃべりしていたり、人の間を縫うようにウォーキングの練習をしていたり。  モデルだけじゃなくアイドルグループや俳優さんたちは別に個室が用意されているそうだけど、それ以外のモデルだけでこんなに人数がいるんだから、このイベントの規模が大きいってことがわかる。 「観客席なんて見に行くんじゃなかったかもー」 「なっちゃん、もともと緊張しいだもんね」  和音ちゃんは私よりは余裕そうに笑った。 「マジ無理、やばい」  やばいしか言えないあたり、けっこうギリギリ。  手のひらには汗がじっとりと浮いてくる。 「なつちゃん、どう?」 「は?」  いきなり声をかけてきたのは、あのマサヤだった。  この前までと違って髪を金髪にしている。 「どうもー」  そばを通る同じくらいの歳のモデルたちがマサヤを見て何か言っているのも聞こえる。  このイベントで一緒になることが決まってから知った話では、マサヤは女子人気が今一番の男性モデルで、俳優デビューも最近決まって、テレビのバラエティ番組の出演も増えているらしい。  そういう女子人気っていうのをこの人はよくわかってて、笑顔を振りまいてる感じがして、そんなところも好きじゃないなと思ってため息をついた。 「なっちゃん……」  和音ちゃんが苦笑いを浮かべる。  マサヤは私のため息に気づかないのか、気づいてても何も感じないのか、 「今日はよろしくね」  と、にっこりと笑顔で握手を求めてくる。 「あー……よろしくお願いします」  私は握手には応じずに、ぺこりと軽くお辞儀をした。  そのとき、 「なつ」  と呼ばれてドキッとする。 「あ、上田さん?」  こういうところで名前で呼ばれるのははじめてかもしれない。  ざわざわと混み合っていて目立たないからだろう。  でも、名前で呼んでくれたのが、少しうれしく感じた。
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