良太の苦悩 

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 ホテルを出た良太は、そこを見上げた。ここに入っているフレンチに桐生との会食で来たことがあるのを思い出したので、ハイクラスの人間が泊まれる場所だということを理解した。  良太は歩き出した。といっても本当に行くあてがないからどうしたものかと思ったが、一泊十万以上するようなホテルに残りの日数いるには気が引けた。  やはり体を売って逃げるというのは得策ではないかもしれない。それに副作用がどんどん出てきて、正直歩くのが辛い。  思考がまとまらない。  ここに居てもしょうがないから移動はするつもりだったが、あてもない。とりあえずフラフラとした足取りで駅へと向かった。まとまらない頭なりに、思考を巡らせていた。  一旦は桜の(つがい)として収まった。だが、あんな現場を見てまで続けられない。そして自暴自棄になり勇吾を裏切った。何食わぬ顔で優しい彼の元にも戻れない。  絢香のためを思って二人の男にいい顔する生活を選択してきたが、それももう必要ない。絢香にはもう愛する人ができて桐生がたとえ体だけでも受け入れたのなら、彼が絢香の面倒を見るのはもうわかる。桐生に救われた良太は最初こそ反発していたが、祖父と会ううちに、彼が誠実な人だということは認めるしかなかった。  だから絢香のことを、良太が守る必要がなくなった。  駅についたので電車を待っている時、良太はなんとなくスマホの電源を入れた。すると通知の多さに一瞬驚いてしまう。  メールと着信が凄い。通知上限数を初めて見た。そのとき、着信のバイブが震えた。画面には上條桜と書いてある。良太は急に怖くなり、通話も拒否もどちらのアイコンも押せずにいると、向こうから黒いスーツを着た男が三人駆け寄って来た。  彼らは明らかに良太を見た。そして「見つけた!」と言いながら、ひとりの男が耳にハマるイヤホンで誰かと話しながらこちらに近づく。良太の経験上、黒スーツが現れるイコール拉致されるという公式が常識になっていたので、すぐに逃げだした。  しかし連日セックスしかしてなった良太の体力は限界で、さらに副作用でふらふらとしてしまい男に腕を掴まれ簡単に捕まった。インカムに向かって「保護」という言葉を伝えているのが聞こえてきた。  もしかして絢香の(つがい)の男が、絢香と良太を密かに捜していて、そして誰の保護からも外れた今の良太を見つけたのだろうかと考える。これから自分は拷問を受ける。もしくは、またあの忌々しいオークションに売られるのだろうか。  嫌な思考ばかりが脳裏によぎる。良太は体調が悪くて頭が働かない。改札を出る前だったので、まだ近くにいた駅員に助けを求めた。 「助けて! 誰か助けて! 警察呼んでください!」  良太が大声で叫ぶと、男の腕が緩んだ。駅員が駆け寄ってきて、慌てて良太を引き寄せる。すると黒スーツの仲間がすぐさま近くにいる駅員に何かを話しているのが良太に見えた。そして近寄ってきた他の駅員に、良太は諭されてしまう。 「彼らは、君のお家の人が要請した刑事さんだよ。やっぱり財閥の人間は違うね」  財閥の人間とはいったい……。良太の存在を世間に知られるわけにいかない桐生なら、警察を動かすはずがない。桜は契約上、良太のことを公にできない。そもそも良太を捨てるのに、こんな大掛かりなことしない。やはりこんなことをする人間は、絢香の(つがい)しかいない。警察にいい加減な何かを吹き込み、良太を捕獲しようとしているのかもしれない。  良太の言葉なんて誰も信じない。あの男たちがたとえ人買いだとしても、オメガの言葉よりアルファを信じるのが世の常だった。するとスーツのひとりが話しかけてくる。 「桐生良太さんですね? 驚かせてすいません。上條氏から(つがい)が誘拐された恐れがあると連絡をもらい動きました。お怪我はございませんか?」  その言葉を聞いたとき、良太はショックを受けた。あの絢香を売った男が、まさか良太の(つがい)まで調査済みだということに驚きを隠せない。そういう意味で、桜に迷惑をかけるのが嫌だった。もう関係が終わる男に、昔売られた経験があることを知られるのは悔しいし、悲しい。だから良太は桜との関係を誰かに知られたくなかった。 「上條なんて知らない、人違いだ。アルファが俺に触るな!」  薬が切れたからだろうか。昨日までアルファに抱かれていても平気だったのに、たちまちこのアルファに嫌悪感が湧く。スーツの男がアルファだということは、拒絶している良太の体の反応でそう気づく。もう今は薬の力が作用しない。すなわち桜以外のフェロモンは感じないはずだが、どうしてもスーツの男に触れられること自体がダメだった。 「……あなたは(つがい)持ちですね、失礼しました。では、触らないのでついて来ていただけますね?」  やはり、アルファだった。そして良太は相手の素性がわからない今、彼らの言葉に従うことができない。 「あんた耳聞こえないの? 俺はそんな奴を知らない。そもそもあんたらが警察かどうかも信じられない。俺は行かない……」  良太が捕まったら、絢香もすぐに居場所を知られてしまう可能性がある。動かない体にムチを打ち、良太は改札へ必死に走って逃げた。  が、そこにも黒スーツは居て良太はすぐ捕らえられた。警察のフリをして良太を拉致してまたオークションに戻されることを考えると、過去の経験が蘇り急に怖くなった。 「嫌だ、離せ! お願い。もう嫌だ、ねえ、今、金あるからそれで見逃して……。金でダメなら体でいい? 三人同時に相手してあげるから。フェラ上手いよ? 昨日も散々してたし後ろもすぐ()れられるから、そこのトイレでいい?」  今の自分なら、アルファに抱かれたらきっとどうしようもない苦痛を伴うだろうが、それでもいい。オークションに行くことを思ったら、今苦痛を我慢するほうがマシに思えてきた。そして大人しくなった良太は抵抗しないというそぶりを見せ、オメガ特有の弱さを見せた。  男たちは驚いていたが、呆れた顔をしながら良太の腕を掴み連れて行く。それを一生懸命振りほどく。人が一人拉致されているというのに、誰一人助けてくれないことに、良太は悲しくなる。  ――堂々と人買いに攫われていくのはオメガだからしょうがないのか……? こんな世の中クソだ。 「なあ、お願いだ、お願い。あそこに戻りたくない。もうあんな生活いや……。ねぇ、いくらで俺は攫われるの? オークションにだけは売らないで、お願い……。体なら好きにしていいから、どんなプレイでも答えるから! お願い」  良太は泣きながらすがった。かばんから先ほどもらった札束を出し、これで見逃してくれと目の前に男に渡した。  ホテルで一緒に過ごした男は、しばらく体を売らなくて良いように百万も持たせてくれたのだ。良太はさすがに受け取れないと言っても、聞いてくれず、じゃ捨てろと笑って去っていった。だから今良太は金を持っている。  目の前のスーツの男は本当に驚いた顔をした。そして少し腕を緩めて立ち止まる。 「君はさっきから、何を言っている。私達は上條桜氏に依頼されて動いている――保護だ。君は上條桜の(つがい)で間違いないだろう?」 「そんな奴は知らない! 人違いだ」 「君は二日間行方不明になっていた。売られそうになったのか? それに強姦もされたんだな? まずは病院へ行ったほうがいい。我々は警察だから安心しなさい。君は保護された。もう大丈夫だから」  巧妙な何とも本当っぽい話だったが、桜がそんな公共の機関を利用してわざわざ良太を捜すわけがない。桜には婚約者がいるので、(つがい)なんて世の中に知られていいはずがない。 「アルファの言うことなんか信用できるか! もうお願いだ。なんでも聞くからここで解放して? やりたいなら、好きにしていいし、金ならこれあげる。お願いだ、保護とかそういうの、どうでもいいから解放してください。お願いします!」  それでも良太は懇願したが、相手はアルファだから聞くはずない。  良太は外に出るときはいつも、ナイフだけは所持していた。これはもう幼い時からの癖なのでしょうがない。ついに役立つ時がきた。といっても良太みたいなひ弱なオメガが、訓練されたアルファに敵うわけもないのは知っている。  ナイフを出すとすぐに、良太の腹に刺した。売られるくらいなら、死んでやる、総力を込めた。
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