良太の苦悩 

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 刺した……はずだったし地面には血が垂れている。だが、良太の体はどこも痛くない。そこで目の前を見ると、良太を捕らえていた男の手が、良太の腹に被さっていた。つまり良太はその男の手を刺していた。 「ひっ! あっ……あっ」  驚いて、良太の口から渇いた声が出る。すると男は良太の手を握り言う。 「大丈夫だから! 落ち着け。血は出ているがそんなに深くない。大丈夫だ。君は保護対象だ。どんなことがあっても怪我ひとつさせられない」 「え……」  他のスーツの男が近寄ってくる。その男に、彼が言う。 「おい、この子を保護しろ。止血している間、目を離すな」 「ああ、お前は手当を急げ」  その間、良太は「あ、あ、あ、ああ」と動揺していた。自分を刺したことがなければ、もちろん誰かを刺したこともない。他人を傷つけた自分の手を見て、良太は泣き出した。どうしていいか分からずにいると、男は何もなかったかのように、ハンカチを出して自身の傷の手当てをしていた。そして良太を支える男が聞く。 「君は今、何をしようとしていた。自分のお腹を刺そうとした? どうしたい? 自分を傷つけるほど……不安定な君を今、解放するわけにもいかない。上條氏の元に帰りたくないの? 他の人に強姦されたからって君は責められない」  この状況、この男の言葉に、本当に保護目的なのかと感じた。良太はやっと、スーツの男たちが警察なのかと理解しようとしていた。 「ねぇ、あんた本当に警察なの? 俺は何度もアルファに騙された。心配をしてくれるなら、今すぐここで何もなかったように解放して……」  それが良太の願いだった。警察に保護されたって何も安心できない。なぜ桜が良太を捜したのかはわからないが、桜に保護されるわけにはいかない。もしくは桜を語る絢香の男だったら、もっと怖いことになる。 「俺たちのことは信用できないなら、直接今、上條氏と電話で話してみよう、そうしたら信用してくれるかな?」 「そうやって、騙すんでしょ。本当は彼からの依頼じゃない。もし本当だとしても、あいつはアルファだから、話したくない」 「どうして? (つがい)でしょ?」 「あんた、さっきから話、聞いてる? 言ったでしょ? アルファは嫌いだって。(つがい)以前にあいつはアルファ、だから二度と会いたくない。早く(つがい)を解消するようにだけ伝えといて、それでいい?」 「……わかった。じゃあ、岩峰医師は? 彼もこの件には関わっている。君は(つがい)がいるとはいえ、まだ保護者がいるからそちらにも警察関係者から話は伝わっている」  その言葉に良太は驚く。勇吾まで持ち出してくるということは、絢香の(つがい)の使いではない。本当に桜が依頼したのだろうか。良太が一瞬戸惑って何も言えなくなっていると、その男が勇吾に電話をした。  電話を渡された良太は、相手が勇吾であることを知った。事務的な会話だったが、確かに勇吾だった。迎えに行くから彼らに従いなさいとだけ言われた。そして、良太は初めてその目の前の男達を信じた。保護は成功して、勇吾が迎えにきてくれる話になったので、待ち合わせ場所まで車で向かう。 「あの……ごめんなさい。勘違いして、あなた達に酷いこと言ったし、さっきの人の手を傷つけた。治療費とか損害賠償とか、できることはします」 「我々は要請に従っただけです。仕事中の事故は全て保険が落ちる。そこは心配しなくていい。プライベートまでは干渉できないけど、君は(つがい)から酷い仕打ちを受けているのか? そういう話なら違う機関を紹介するよ。体を差し出すなど平気で口にしてはいけない。オメガだって立派な人間だ、尊厳は守られる」  その言葉に良太は呆れた。こんな綺麗事を、先ほどまで怯えて逃げていたオメガに聞かせることに、渇いた笑いが自然と出てくる。 「……力で敵わない。逃れられないなら少しでも痛くない方を選ぶ」 「え?」  良太の低い声に、男は思っていた反応ではないことに戸惑っている様子。良太は言葉を続ける。 「他の人は知らないけど、オメガの俺は危機を回避するためなら自分から体を開いたりもする。初めの頃は抵抗したよ。だけど、抵抗しても結果は一緒だった。経験から覚えたんだ。体を差し出して最低限の痛みに抑えることを。だからって平気で言ってない。心の中ではいつも悔しくて泣いている。アルファにはわからないですよね。とにかく、ごめんなさい。僕、もう疲れたから、お話はやめてもいいですか?」 「……、っああ、すまなかった、休むといい」  男は良太の言葉に気まずそうな顔をしたが、それ以上はほっといてくれた。連行中、良太の体調はどんどん悪くなっていく。先ほどよりも、ホテルで体調を崩した時よりももっと体が辛くなる。熱が出てきている、もう限界だった。  ――熱い、熱い、熱い。 「どうした! おい! これは酷い熱だ。岩峰医師に診てもらおう、もうすぐ着くから」  朦朧(もうろう)とした中、良太は思う。  絢香もこの副作用を経験した。それでもまた桐生に抱かれたいって言っていた。良太は、どうだろう。こんな思いをしてまで抱かれたいとは思えない。頭も痛いし気持ちが悪い。勇吾はこの状態を見たら、男とやったとわかるだろうし、桜のところに連れて行かれても地獄だ。どちらにしても自業自得。  ――俺はいつもバカだ。  そのとき「なんで、そんな…この子は……」と、何かを揉めている声が聞こえる。しかし良太の体調はどんどん悪化して声が出なくなっていた。このまま死ねれば幸せだな……そんなことを思い、目は開かないのに笑っていた良太がいた。
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