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四月一日。
会社に不当な解雇通告を受けた私は、妻と子供になんて伝えようかと考えて、なかなか家路につく気にならず。駅の傍にある公園でヤケ酒に浸っていた。
すると、見知らぬ男性会社員に声をかけられ、酒を飲んで話すうちにすっかり意気投合。
居酒屋へ席を移して、互いに家庭を持つ苦労や、会社や社会に対する不満や不信感など語り合った。
初対面とは思えないほど話は弾み、日付を跨ぐ頃まで箸が進んだ。
ふと、そろそろ御暇しなければと思い、上手く話を切り上げるタイミングを探していると、今日がエイプリルフールだということに気が付く。
俗に言う嘘をついても良い日というやつだ。
丁度面白い案が閃いて、私は嘘をついてこの場を立ち去ることにした。
「いや、ここまで楽しくお喋りに付き合ってくれて、有難うございました。私は実は、あなたに伝えていなかったことがあります。大したことじゃあないんですが、…実は私はもう死んでいるんですよ。」
真夜中、酔いの席とはいえ、こんな言葉を聞いたら普通、人の反応とはどんなものだろう。
誰だって驚いて、冗談半分、半ば本気にしたりして、面を喰らうに違いない。
そのうちにそそくさと姿を消してしまえば、後腐れ無いというわけだ。お勘定もきっちりワリカンの分を机に残していけば良かろう。
まったく酒の入った人間は、何を思いつくやらわからない。しかし、この時はただ面白い事を思い付いたとしか思えなくて、相手の次の言葉を待っていると…。
「なぁんだ。あなたもですか。いや、実は自分もですよ。」
思いも寄らない返事が返って来た。
そう言って笑うと、会社員と思われる男性は、スッと姿を消した。後には畳の上の座布団だけが残される。
食べ散らかしたテーブルの上の食器と、唖然としている私だけが、それを目の当たりにしたのだ。
居酒屋に入って何杯か飲むと、彼は暑くなってきたと背広の上着を脱いだ。その下に着ていた眩しいほど白いシャツも、腕捲くりして下から覗いた日焼けした腕も、その腕につけていた時間の止まった腕時計も、はっきり覚えているのに。
「え…。」
息苦しさに身動きが取れなくなっていると、お尻のポケットに入れていたスマホが突然振動し、メールの受信を知らせてきた。
頭が真っ白な中、取り敢えずメールの確認をする。二件も来ている。
一件は帰りが遅い事を心配する妻からのメール
。そしてもう一件は仕事の上司からのメールだった。
「お前、やけに意気消沈して帰って行ったけど、今日がなんの日かわかっているよな? あんな通達、冗談に決まってるだろ!」
メールを読み終えると、背筋にゾッと寒いものが走る。
私は何かの衝動に駆られて、急いで店を飛び出した。自宅を目指して全力で走る。こんなところにいてはいけない。
私の首はまだ誰にも切られていないのだから。会社にも。社会にも。自分自身の手でも。
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