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2.千代
千代というその女中がやってきたのは、そこまでは生きられぬと医師に告げられた、二十歳になってすぐだった。
「千代と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げる千代を道隆は痛ましい思いで見つめる。寝台に半身を起こした道隆の視線を受け、千代が緩く首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「千代さんは……僕の病気のこと、知ってるんだろう?」
千代は道隆の問いにわずかに目を見張ってから、ええ、と静かに頷いた。
「それが、なにか?」
「まだ若いのに、僕のような病人の世話をするなんて、気持ち悪くないのかい。僕の病は、身体が溶けていくものだよ」
自分でそう言ったとたんに嘔吐感がまたこみあげてきた。口元を押さえる道隆に千代が慌てた様子で金属製の洗面器を差し出す。押さえきれずに吐き出したそれはどす黒い赤に染まっていた。
「ほら。年がら年中吐き通し。よくこれで生きてるってみんな気味悪がっているよ。中には感染るんじゃないかって怯えてる人もいる。それでも君は僕の側仕えをするのかい」
そうだ。みな父に言われていやいやながら世話をしてくれる。だが、しばらくすると辞めていく。
恐ろしいのだ。道隆の中に巣くう病の元が。その病によってとり殺されていく道隆の姿を見つめ続けることが。
包帯に覆われた自らの体を見下ろし、道隆は低く呻いた。
最初は内臓の一部が溶け始めた。何度かの手術で命はとりとめたが、それでも病を根絶することができるわけではない。時間をかけてゆっくりと道隆の内臓は崩壊を続け、その崩壊は表皮の外にも魔の手を伸ばしていた。
今、道隆の両手、両足はぐずりぐずりと崩れ始めている。眼球にも腐敗の手は及び、視界は不鮮明だ。おまけに腐った肉を骨にまとわりつかせただけの手足からは耐えがたいほどの腐臭が漂っていた。
「隠しても臭うだろう。それでも君は僕の世話をしてくれるのか」
確認したところで、父に言われてここに来ている女中が、臭います、などというわけがない。無駄に相手を困らせるだけだと気づき、道隆はそれ以上は自重することにした。すまない、と口の中で謝る道隆の背中がそうっとさすられたのはそのときだった。
「確かに少し香りますね。そろそろ包帯の取り替え時期かもしれません。後程、巻き直しましょう」
千代はこともなげにそう言い、道隆の唇を汚していた吐瀉物を指先でさらりと拭ってから、我に返ったように、失礼しました、と謝った。
「勝手に触れてしまい、申し訳ありません」
返事もできぬまま、道隆は呆然と千代を見上げた。千代は汚れた指先を前掛けで拭き、丁寧な仕草で一礼すると、お水を持ってまいりますね、と告げ、出て行った。
その日から千代は道隆の世話をしてくれるようになった。
千代はこれまで自分の世話をしてくれた女中たちとは何もかもが違った。
三度の食事を運び、汚れた包帯を替える。それはこれまで世話をしてくれた者たちと同じ。けれど、彼女は時折激しく嘔吐する道隆の背中をいつも丁寧にさすってくれた。
その彼女の顔には、ささやかながらも、他の女中が見せてくれなかった心からの笑顔がいつも浮かべられていた。
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