俺はドラゴンになりたい

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 あの後、病室で鉢合わせた父親と母親は麗のために“休戦”した。万が一の際は椿と二人で母親の説得を試みようと思ったが、その必要はなかった。二人の様子を見た母親は態度を軟化させたのだ。 「いい夫でも家族を守る大黒柱でもなかったけれど、弱いなりに麗を愛している父親だったのかもしれない。その愛はちゃんと麗に伝わっていた」  それが母親の見解だった。それからは毎日欠かさず二人で見舞いをするようになった。家族の時間は麗が目を醒まさなくなってからも続いている。最後に父親に会えたからか、大好きな両親がそばにいるからかはわからないが、麗はとても穏やかな顔で眠っているという。  俺たちがとった強硬手段は世間的には正しくなくても、結果としてこれでよかったのだと思う。  その後のいきさつについてはそう椿から聞いた。“銀行強盗”を完遂してもう打ち合わせの必要もなくなったが、椿は俺の部屋に入り浸っている。 「会いたいから会いに来てるんだけど、だめ?」  椿はそういたずらっぽく笑った。ダメなわけがない。むしろ嬉しい。嘘みたいに平穏な日常を椿と過ごせることがたまらなく嬉しい。思い出話に花を咲かせたり、俺たちの武勇伝を振り返ったり、とても幸せな時間だ。 「じゃあ、またね」  夕方になり椿が帰ろうとする。そこでふと魔法のステッキを返しそびれていたことを思い出した。怒涛の日々でそれどころではなく、ずっと忘れていた。 「あ、椿。ステッキ、前に忘れていっただろ」  椿は忘れ物に驚いた様子もなくにこっと微笑んだ。まるで置いていったのはわざとだったとでも言うように。 「それ、陸にあげる」  高校生の男に女児向けのおもちゃを渡されても困る。俺は苦笑した。 「おいおーい、宝物だったんじゃないのかよ」 「大切だから、陸にあげるんだよ」  そう意味深に言った後、椿は立ち上がった。直後、椿がよろめいて転びそうになるのを俺は抱きとめた。 「あぶねっ、大丈夫か?」 「うん、ありがと」  椿の顔が近い。綺麗だと思った。しかし、ドキドキする間もなかった。椿の膝の力が抜けたのか、椿は俺の手をすり抜けて床に崩れ落ちた。 「椿?」  椿はそのまま動かず、力なく笑った。 「あはは、タイムリミットかな。ごめんね、黙ってて」 ◇  気づくべきだった。病気で入院している年の離れた女の子と知り合う機会なんて普通はない。同じ病院に入院でもしていない限りは。  椿の病名は麗と同じドルミーレ病。徐々に体が動かなくなり、やがては植物状態に陥る。希少難病の症状に詳しかったのも当たり前だ。それはいずれ椿自身にも起こることだと覚悟していたのだから。  椿は劣等感に悩んでいるとは言ったけれど、それが学校に行かなくなった理由だとは一言も言っていない。本当は治療のために戻ってきていたのだ。転ぶことが増えたと言っていたことを思い出す。  最初に入院した時に麗と出会い、小康状態となって一時退院する際に麗からお願いを聞き、俺を頼った。椿はあの日、どんな思いで俺にDVDを見せたのだろうか。部屋を片付けていたというのも身辺整理の一環だったのだろうか。どんな思いで、宝物のステッキを俺の部屋に忘れたふりをしておいていったのだろうか。 「私、これからは弱っていく一方だからさ、そういう姿は陸に見られたくないなって。ばいばい、陸」  そう言って椿は病室から俺を追い払おうとした。 「ばいばい、なんて今生の別れみたいなこと言うなよ」  椿は無敵じゃなくなった俺に会いに来たじゃないか。いきなり会いに来て、俺の心をかき乱してさよならなんてそんな話があるか。 「俺が会いたいから明日も明後日も会いに来る」  これ以上何を言っても泣いてしまいそうだった。俺は一言だけ絞り出して病院を後にした。 「またな、椿」  翌日、朝一で俺は椿の病室を訪れた。 「来るなって言ったのに」  苦笑されたが、強くは拒絶されなかった。 「来るよ、毎日来る」 「それは、私が死ぬまで?」 「椿が治るまでだよ」 「治らないよ」  ドルミーレ病に治療法はない。だから俺たちは強硬手段をとらざるを得なかった。そんなことは分かっている。 「でも、麗は死んでないだろ」  死んでいない。眠っているだけだ。現代医学で目覚めさせるすべがないだけだ。でも、医療が進歩すればいつか治療法も見つかるかもしれない。 「でも、私が目覚めるころには陸の方が先に死んじゃうよ。そう簡単に治療法なんて見つからない」 「だったら、それまで長生きしてやる。俺の将来の夢、知ってるだろ。ドラゴンみたいに何千年も長生きして、ずっと椿のこと待ってる」 「ばか……」  そう呟くと椿は静かに泣き始める。俺は椿の手を強く握った。 「絶対治る。俺はそう信じてる」  俺にできることは椿の病気が治るのを信じることだけだ。俺は昔、人間がドラゴンになることを信じていた。そんな夢物語に比べたら、病気が治る確率の方が遥かに高い。面会時刻終了まで、俺は椿を励まし続けた。 「ばいばい、陸」  俺はさえぎるように訂正した。 「また明日な、椿」  家に帰って一人で泣いた。椿の前では泣かなかった。いつか日常は必ず戻ってくる。奇跡は起こる。椿には希望を持ってほしかったし、俺もそう信じたかった。  だから俺はずっと笑顔で、楽しかったころの思い出話をした。椿もその時だけは笑ってくれた。その甲斐あって「ばいばい」ではなく「また明日」と言ってくれるようになった。また明日、が永遠に続くのならば、俺は他に何もいらない。  だが、この世に神様なんていない。病魔は椿を蝕んでいった。 「そろそろかな」  椿がある日、ぽつりと呟いた。 「何が?」  俺はわざととぼけた。 「ねえ、最期だから言うね。陸に銀行強盗のお願いしに行ったの、半分は陸ならなんとかしてくれるんじゃないかって信じてたからだけど、もう半分はただ最期に会いたかっただけなの」 「最期なんて言うなよ! 頼むよ、椿がいないとダメなんだ」  椿の手を強く握りしめて俺は叫んだ。 「俺は椿が好きなんだ!」  この時になってようやく気付いた。ずっと一緒にいたのも、情けないところを見られたくないと思ったのも、椿が好きだったからだ。初恋という言葉を知るよりも昔から俺は椿に惚れていた。一日も椿を忘れられなかったのも、椿の力になりたいと思ったのも、ずっと好きだったからだ。やっと、本当にやっと自分の気持ちに気づいた。 「あはは、やっぱり私たち最強の相棒だね。私も同じこと言おうとしてた。私も、ずっと陸が好きだったよ」  かすれた声で椿が言う。俺は今にも泣きそうなのに、椿はぎこちなく微笑んでいる。 「生きてたら色々あるかもしれないけどさ、陸は私にとってはずっとドラゴンみたいに強くてかっこいい男の子だったよ。私の最期の願いをかなえてくれた時も。初めて助けてくれた時も」  椿と二人で麗の願いを叶えた日、俺は少しだけ自分のことを好きになれた気がした。誰かのために本気になれる自分も、ドラゴンになれると無邪気に信じていた過去の自分も悪くないと思えたのだ。 「それは、椿が、いたから」  俺は必死で声を絞り出した。 「だから、これからも陸は陸らしく生きてほしいな。ずっと、私が好きになった陸のままでいてね、約束だよ」  俺が握りしめた椿の手には全く力が入っていなかった。椿の声が消えそうに小さくなっていく。 「ばいばい、陸」  その言葉を最後に、椿は目を閉じた。 「椿、おい、椿!」  大声で呼び掛けても揺すっても椿はピクリとも動かなかった。俺は泣いた。泣きながら何度も椿の名前を呼んだ。  すぐに医師が来て、俺は病室を追い出された。俺はこれが最期だなんて認めない。 「またな、椿」  これは別れの言葉じゃない。再会の約束だ。    椿は翌日もその次の日も目を覚まさなかった。椿の心臓は動いているのに、椿の魂はここではないどこかの世界に行ってしまった。  いつまでも泣いてはいられない。毒々しい赤に染めていた髪をバリカンで坊主にした。もう虚勢はいらない。強さとはそういうことではないと知ったから。 「母さん、今日から復学するよ。今まで心配かけてごめんなさい」  久しぶりに制服を着て、母に頭を下げる。 「それと、お願いがあるんだ。これから母さんの言うこと、何でも聞くよ。だから」  何でも、なんて白紙の契約書にサインするようなものだ。でも、そこまでしてでも俺には叶えたい未来がある。 「医学部に行かせてください!」  母は俺のお願いを了承してくれた。しかし、勉強をさぼってきたツケは想像以上に重くのしかかった。問題集を解くたび心が折れそうになる。  くじけそうになっても、椿に託された魔法のステッキが俺を励ましてくれている気がする。だから今日も俺は頑張れる。もう光らず音も鳴らないステッキで椿は俺に魔法をかけたのだと思う。  椿はもう一つ、忘れ物をしていった。あの日、俺が途中で再生を止めたDVDはまだ再生機器の中に入っている。卒園式の続きを見れば、画面の中では幼い椿が天真爛漫な笑顔で将来の夢を語っている。 「私の夢は魔法少女です。ドラゴンになった陸と一緒に、魔法で困っている人を助けてあげたいです」  俺のバカげた夢を笑わないでくれたのは椿だけだった。俺はドラゴンにはなれなかったけれど、椿は麗の願いを叶える魔法の相棒に俺を選んでくれたのだ。あの日、椿は確かに魔法少女だった。  俺はドラゴンになりたい。世界中の悪い病気を殲滅する無敵の竜になりたい。俺が愛した魔法少女との約束を果たすために。君の笑顔にもう一度会うために。
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