俺はドラゴンになりたい

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「今から私が言うこと、絶対に秘密だよ」  椿が意を決したように俺に告げた。 「私ね、銀行強盗しようと思ってる」  話は一週間ほど前、街中で椿を見かけた日に遡る。 ◇  無敵感も無鉄砲さも全部失って空っぽになったのはいつからだろう。中学受験に失敗したときだろうか。それとも旅立つ幼馴染の見送りに行かなかったときだろうか。  停学が明けて一か月になるが、今更高校に戻る気にはなれない。幼稚園の頃に手作りした“何でもお願いを聞く券”を引っ張り出してきて「昔の陸に戻って」と母が泣いても心は動かなかった。  我が子を信じなかったくせに。停学の理由となった傷害事件は完全に正当防衛だった。髪を派手な赤色に染めたら、先輩に目をつけられた。階段の前で六人に囲まれ、無我夢中で振り払ったら一人が転落した。先輩たちは「いきなり突き落とされた」と噓をついた。俺の言い分は信じてもらえなかった。相手は軽傷で済んだが、俺は停学処分を受けた。  この事件は俺の諦めに拍車をかけた。世の中は理不尽で不平等だ。抗っても努力しても無駄だ。  むしゃくしゃして家を飛び出して近所のゲームセンターで遊んだ。その帰り道、“元”幼馴染の湯川椿を見かけた。椿とは幼稚園の頃から毎日一緒に遊んでいた。彼女は中学受験で九州の全寮制の名門中高一貫校に合格した。俺は不合格だった。椿と離れる寂しさと、情けなさと、涙を見られたくないというちっぽけなプライドが邪魔をして俺は見送りにいかなかった。椿とはそれっきりになっていた。  俺は椿に声をかけられなかった。椿の思い出の中の俺は、文武に励み、弱きを助け強きをくじく正しい俺だ。間違っても、学校をさぼって母を泣かせているようなみっともない俺ではない。その日は椿に見つからないようにこっそり家に帰った。  しかし、翌日もその翌日も椿を街中で見かけた。どうして平日の昼間に東京にいるんだよ、なんて聞けない。俺も学校に行っていないから。学校で何かあったの、なんて聞けるわけがない。何もないならここにいるはずがない。  仮に椿が何かを抱えていたとしても、俺は椿に何もできない。だから、俺は椿に会う資格なんてないのだ。  そんなもやもやした日々が続いた今日、昼頃に目が覚めると椿の声がした。 「おそよう」  まだ夢の中にいるのだと思ったが、声がいやに鮮明だったので目を開けた。俺の部屋に、椿がいた。思わず三度見した。まぎれもなく椿だった。 「椿⁉ 何でここに?」 「陸ママが入っていいよって言ったから」  昔、何度も椿はここに来た。だから、母が椿を招き入れること自体は不自然ではない。 「そういう意味じゃなくて」  戸惑う俺に椿が微笑む。 「陸に会いたかったから」  小麦色に日焼けして校庭を走り回っていたころとは違い、透き通るような白い肌。随分と長くなった黒髪。心臓がうるさいくらいに高鳴るのは、三年ぶりに会った椿が遠目に見たときよりもずっと美しいからだろうか。それとも、この三年間一日も椿のことを忘れられなかったくらいには椿が俺にとって特別な存在だったからだろうか。 「元気だった?」  しばらく椿に見とれていたが、椿の声にはっとする。 「普通」 「そっか、よかった」  三年ぶりの再会だが、何を話していいかわからず沈黙が流れる。気の利いた言葉が思い浮かばなかった。「綺麗になったな」と言うのは、元は綺麗ではなかったみたいだし、何より恥ずかしかった。 「髪、伸びたな」  当り障りのない言葉で場を繋ぐと、椿がはにかんだ。 「短い方がよかった?」 「いや、いいんじゃね?」  似合ってるよ、とか、可愛いよ、とまでは言えなかった。  椿も俺の頭部に視線を向けた。まじまじと見られるのが恥ずかしくて、目をそらしたまま捲し立てた。 「そういえば俺も最近、髪伸びてきたなー。そろそろ美容院行かないといけないな。いやー、髪すぐプリンになるから頻繁に行かないといけなくて金がかさむのなんのって」 「似合ってないよ、それ」  椿はきっぱりと言い捨てた。 「随分と辛辣だなー」  俺は苦笑した。椿の外見を褒めるようなことを言わなくてよかったと思った。俺が褒めているのに一方的にけなされるのは癪だからだ。 「だって似合ってないんだもん。やめたら?」 「前向きに検討しまーす」  へらへらと笑ってごまかした。こうやって逃げる癖がいつの間にかついていた。 「前向きに検討って、絶対検討しないパターンじゃん」 「あ、バレた?」  ほんの少しだけ傷ついたことと引き換えに、空気はだいぶ柔らかくなった。  椿はふふっと笑った。昔と同じ笑い方だった。 「まずは思い出話でもしない?」  椿は今の話ではなく昔の話を選んだ。俺も今の話はしたくなかったが、椿が現状を話したがらないことが心配になった。 「部屋整理してたらさ、懐かしいもの見つけたんだよね」  椿は鞄の中からおもちゃのステッキを取り出した。 「じゃじゃーん! 懐かしくない?」  十年前にやっていた魔法少女アニメのステッキのおもちゃだ。俺はその番組を見ていなかったが、当時の椿がいつも呪文とともにこのステッキを振り回していたのでそのアニメの存在は知っている。正確なタイトルはもう忘れてしまったが、毎日のように聞いていたステッキのおもちゃから鳴る数秒間のメロディーは今でもよく覚えている。 「電池入れても動かなくなっちゃったけど」 「まあ、だいぶ年季入ってるからな」 「それでも、すごく大切なものには変わりないけどね」  椿はカチカチとボタンを鳴らしているが、ステッキは光らないし音も鳴らない。一つの時代が終わってしまったかのようだ。 「ねえ、覚えてる? 陸がこれ、取り返してくれたこと」  椿と仲良くなったきっかけは、椿を助けたことだった。椿はお気に入りの魔法少女のステッキのおもちゃを悪ガキに取られて泣いていた。見かねた俺がステッキを取り返してから、一緒に遊ぶようになった。肉体派の俺と頭脳派の椿はみんなに頼られる名コンビだった。 「そういえばそんなこともあったな」  でも、あの頃の勇敢な俺はもういないのだ。  勝手に切なくなって、それを悟られないようにわざと明るい声を出す。 「そういえば椿、もう飯食った? 何か食う?」 「家で食べてきたよー」 「そうか、じゃあいいや。ポテチか何か開けようかと思ったんだけど」 「陸は食べなよー」  起きたばかりなので当然朝から何も食べていない。椿の気遣いを受けて置いてあるポテトチップスの袋を開けた。 「じゃあ、そうする。椿も腹減ったら適当につまんでいいから」 「食べてる間、これ見ようよ」  そう言うと持ってきたDVDを勝手に再生し始めた。流れ始めたのは俺たちの幼稚園の卒園式の映像だ。親と一緒に卒園証書を受け取ったあと、将来の夢を言う。微笑ましいイベントだが、俺にとっては黒歴史でしかない。ほかの園児たちがヒーローやスポーツ選手になりたいという中、六歳の俺は大声で言い放った。 「俺は大きくなったらドラゴンになりたいです! 最強のドラゴンになって世界中の悪い奴らをみんな焼き払ってやります!」  隣の母が恥ずかしさに顔を真っ赤にしている。父兄陣は笑いをこらえているし、同い年の園児たちすら笑っている。あまりにいたたまれない。 「やめろよ、恥ずかしい」  俺はリモコンでテレビの電源ごと落とした。 「この頃は怖いものなしだったよね。魔法は本当にあるって信じてたし、自分は何にだってなれるって思ってた」  椿の口調は俺をからかうようなものではなく、椿自身に向けたものに聞こえた。椿は何を抱えているのだろう。折れそうな細い脚の両膝には血のにじんだ絆創膏が視界に入った。それ、誰にやられたんだよ。俺がぶっ飛ばしてやるよ。そう言えたらどんなに良かっただろう。 「膝、どうしたの」 「転んじゃった」  少し遠慮した俺の質問に、雑な嘘が返ってくる。同じ学校に進学していれば、椿を守れたのだろうか。なんて想像するが、頭の中ですら俺は椿を救えない。自分のことさえ守れない俺に、誰かを守れるわけがない。 「ねえ、陸。お願い聞いてくれる?」  無敵じゃなくなった俺に、突然椿がお願いをする。 「いいよ」  俺は即答した。 「まだ内容言ってないのに?」  大人は普通白紙の契約書にサインするような馬鹿な真似はしない。子供は馬鹿だから“なんでもお願いを聞く券”なんて危険なものを簡単に発行する。俺はそんな向こう見ずさはとうに捨てたが、相手が椿となれば話は別だ。椿のお願いなら何でも叶えたい。きっと椿はそのために俺に会いに来たのだろうし、何より椿は俺の相棒だからだ。 「今から私が言うこと、絶対に秘密だよ」  椿が意を決したように俺に告げた。 「私ね、銀行強盗しようと思ってる」  耳を疑った。まさかと思い、念のため聞き返す。 「銀行強盗?」 「うん、銀行強盗」  椿はいたって真面目に銀行強盗と言った。聞き間違いでも勘違いでもないようだ。 「でも、一人だとどうしてもやれることには限界があって……。だから、陸の力を借りたいの」 「いいけど、理由が聞きたい」  椿のことだから遊ぶ金欲しさではないだろう。銀行の汚職の情報を掴んだから、いじめっ子の実家をめちゃくちゃにして復讐したいから……非現実的な妄想ではあるがいくつかの仮説が頭をよぎった。 「友達が病気なんだ」  ああ、治療費が必要なパターンか。と、俺は勝手に納得した。悪人を懲らしめたいよりも、誰かを助けたいという理由の方が椿らしいと思った。 「麗ちゃんって子、ちょっと前に仲良くなったんだ。その子の力になりたくて」  椿の友人・麗はドルミーレ病という難病を患っている。最初は高熱が出て、一時的に症状が回復するが、徐々に体が動かなくなり、やがては植物状態に陥る病気だという。そこから目を醒ました前例はなく、現代医療に根本的な治療法は存在しない。 「まだ八歳なのに、もうだいぶ病気が進行してて」  麗は病状が進行し、地元の病院では手に負えなくなり東京に転院してきたらしい。椿はそんな麗を思い涙を流した。年の離れた友人のために泣ける椿は優しい。だから、俺は友達思いの椿の力になりたいと思った。 「二人なら変えられるだろ、その子の運命」 「協力してくれるの?」  椿の表情が明るくなる。俺は覚悟を決めた。失うものなど何もない人生、この笑顔のために使ってやる。 「ああ、やってやるよ。銀行強盗」  わかっている。これは犯罪だ。それでも俺は椿の力になりたい。これから犯す罪をあえて言葉にすることで俺は自分を鼓舞した。 「明日からじっくり作戦会議だな」 「ありがと、また明日」  椿は俺に手を振って部屋を出て行った。椿が去った後、部屋を見渡すと魔法のステッキを忘れていったことに気づいた。 「すごく大切なもの、じゃないのかよ」  俺は苦笑した。  翌日、犯行予定の銀行の情報を椿から聞き出した。椿は最近毎日その銀行に通って敵情視察をしていたらしい。従業員のシフトから銀行と近隣地域の混雑度までがっつりとリサーチしていた。  ふと、細い腕に昨日はなかった傷が増えていることに気が付いた。 「転んでぶつけちゃった」  視線に気づいた椿はそう取り繕った。深追いすべきではないのかもしれないが、ことがことなだけに心配にもなる。 「一人で無茶してないよな?」 「無茶しないとできないこともあるよ」  椿の返事に違和感を覚えた。椿は無茶をするようなタイプではなく、どちらかというと向こう見ずで色々とやらかす俺をフォローする側だったからだ。 「何で椿がそこまで頑張るんだよ」  どうして最近友達になったばかりの麗のために人生をかけられるのだろう。 「久しぶりに頼ってもらえて、嬉しかったんだ」  一瞬の間の後、椿が言った。 「うちの学校、みんな頭もいいし運動もできるから私、落ちこぼれちゃってさ」  環境が変われば自分が井の中の蛙だったと思い知らされることは多々ある。俺も中学で“勉強もできるガキ大将”から“ガタイだけはいい凡人”に落ちぶれた。 「頑張って追いつこうと思って塾二つ掛け持ちしてたんだけど、そしたら忙しくて学校行事の手伝いとかも全然できなくて」 「気にすることないだろ。ああいうのは任意参加なんだから」  椿は努力した自分を誇るべきだ。勉強でも部活でも落ちこぼれた現実と向き合えなかった俺は頑張ることをやめてしまった。周りになめられないように派手な格好をして、 “無駄な努力”をする同級生を見下す無気力な仲間と話を合わせた。 「部活もついていくのがやっとで後輩の面倒も全然見られなかった」  思い出すのは小学校のサッカークラブの椿の姿だ。男子に交じってかっこよくシュートを決める椿も眩しかったけれど、俺がふとした時に思い出すのは下級生に優しくサッカーを教えてあげる椿だったのだ。 「自分のことで精一杯で、友達が悩んでても気づけなくてさ」  自分に余裕がなければ人を助けることなんてできやしない。俺が悩みを抱えている椿に声をかけることができなかったように。 「私って何のために生まれてきたんだろうって、つい考えちゃうよね」  椿にとっては、誰かのために頑張ることこそが自分らしく生きることなのだろう。自分らしく生きられないことはとてつもなく辛いことだ。 「打ち上げてやろうぜ、人生にでっかい花火」  これは麗のための戦いであると同時に、椿が自分らしさを取り戻す戦いだと認識した。 「うん。よろしく、相棒」  椿が笑ってくれた。それだけで俺はいくらでも頑張れる。改めて気合を入れなおした俺は椿がまとめてきたデータを頭に叩き込んだ。 「じゃあ、また明日」 「ああ、また明日」  椿が帰った後、ステッキを返し忘れたことに気づいた。
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