青春の答え

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 響也への恋心を自覚した瞬間に聴いていた響也のピアノは、ふとしたときに私の頭の中でリフレインした。家族とご飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、布団の中でうとうとしているときでさえも。朝の通学路で頭の中で伴奏が流れ、私はその歌を口ずさんだ。  授業中、少し遠くの席の響也を見るたびに頭の中に響也のピアノの音が流れた。授業中に歌うわけにはいかないので、無理矢理板書を一心不乱に映した。良家のお嬢様かもしれない響也の好きな人もピアノが弾けるんだろうかという、ドロドロの嫉妬にまみれた雑念に飲み込まれそうになった。写経するかのように、ノートに文字を書いた。  私の世界はこれから少しずつ響也の色に染まっていくのだろうか。けれども、私の学校生活はほとんど変わらない。きらきらした学校生活は、昨日と変わらない。見える景色の色は、これ以上鮮やかにはならない。部活もクラスも習い事も、元々響也の色だった。私のスクールライフが輝いていたのは響也のおかげだった。ああ、そうか。私はとっくの昔からずっと響也が好きだったんだ。  私の心に咲いた恋の花の花言葉を私は知らない。ただ、響也と歩いたテニススクールまでの道に咲いていた桃の花言葉は「私はあなたのとりこ」だとか、私が毎日響也と1日の大半を過ごすこの教室に飾ってあるパンジーの花言葉が「私を思って」だとか言うことをスマホでなんとなく調べて、自分の気持ちと結びつけたりしてしまう。響也の推しているアイドルが歌うラブソングの歌詞に感情移入してみたりした。  初恋はレモンの味だなんて嘘だ。響也と帰り道に半分こしたパピコはピーチの味で、これが本当の初恋の味だ。先人たちの恋に共感したり、時にはそんなの嘘じゃんと笑い飛ばしたりで忙しい。どうしたって、自分の恋は特別な感情で、ありきたりなものだとは思いたくない。  今日も、放課後二人だけの音楽室で響也のピアノで私が歌う。この時間が愛しくて、心を込めて歌う。  夕日が差し込む音楽室で彼の音を全身で感じていた。響也の指も瞳も、全てが世界中のどんな宝石よりも美しいと思えた。でも、もしこの空間にあふれる音が形になってこの目で見られたのなら、三千世界のすべての美しさを集めても足りないほどに美しいのだと思う。  家に帰って、数年ぶりにピアノを弾いた。響也もきっと今、ピアノを弾いている。なんとなく繋がっていられるような気がした。脳裏でピアノを弾く響也の手に重ねるように、授業中に音がしない程度に指で机を叩いた。  宙ぶらりんなままの私の恋とは裏腹に、二人で奏でた音楽室の音は一つのゴールへとたどりつく。ついに合唱コンクール当日がやってきた。  隣のクラスが歌っている。この学校のクラス替えは部活ごとの偏りが激しいようだ。そのせいか隣のクラスはやたら合唱部員が多い。客観的に聴けば圧倒的優勝候補である。いつも強気なアヤカが不安そうに「勝てるかなあ」とつぶやいた。緊張しているようだ。響也がアヤカの肩に手を置いた。 「奇跡は起こすもんだろ。俺たちで奇跡起こしてやろうぜ」 「だよね! 響也の言うとおりだよね!」 響也に励まされ、アヤカが笑顔を見せる。響也は誰に対しても優しくて、努力家な彼は何でも自分の手でつかみ取ってきた。響也の言葉には説得力があった。クラスの空気が変わった。さすが響也だと思った。一方で不謹慎極まりないけれど、アヤカに少しだけ嫉妬した。  発表は完璧の一言だった。私たちのクラスは優勝した。完全に錯覚ではあるけれど、音楽室に咲いた恋の花に果実が実ったような気がした。  クラスは当然のように狂喜乱舞である。アヤカが唐突に決めた打ち上げにも関わらず出席率は9割以上だった。みんなが青春の熱に浮かされて、涙を流し、抱き合い、SNSにハッシュタグつきで感動を共有した。  どんちゃん騒ぎの中でも、ちゃっかり響也の隣の席をキープした。明日からもう、響也のピアノを聴くことはないのだと考えるととても名残惜しい。だからこそ、あの時間が確かに存在した記録としての優勝という結果は私にとって大きな意味を持った。 「練習付き合ってくれてありがとな」 響也が言った。響也は律儀だから、ただ感謝を表明しているのであってそこに恋慕の情はないと分かってはいるのに舞い上がってしまう。ねえ、響也にとってあの時間は特別だった?  音楽室に行かなくなって当たり前のことに気づく。私たちは用事がなければ、二人きりにならない。教室からテニス部に行くときに二人で行くのは、クラスのテニス部員が私たち二人だけだからで、もし仮にほかにも部員がいたとしたら全員でぞろぞろと部活に向かうだろう。  二人きりの時間は今までにそれなりにあった。ただ、それはお互いの意思によって生まれたものではなく、たまたま同じ目的地であるテニススクールに向かうという業務上の理由で生まれたボーナスタイムである。桃畑の桃はいつの間にか収穫の時期を迎えていたけれど、私たちの関係が進展するわけもない。 「響也は冬休みどうするの?」  せめてデートに誘えたらと思い聞いてみる。 「年末年始は北海道のじいちゃんち行く。ついでにスキーやる予定」  しかしそのあても外れてしまう。 「スキーって言えばさ、果音の中学ってスキー教室とかあった?」 「うちはなかったけど、響也のところは?」 「あったよ。冬休みに希望者だけだけど」  会話が弾み、楽しい気持ちになる。けれども、突如冷や水を浴びせられる。 「そこでさ、あいつのこと好きになったんだよ。ほら、前話したじゃん。同窓会委員一緒にやってる子。春休みに同窓会やろうって話になってるからさ、最近連絡とる機会多くて役得」  そうだ。響也には好きな人がいる。ずるい。そんなのゲレンデマジックじゃん。反則じゃん。  流れ星に三回お願いをするなんて非現実的だと分かっている。世界には70億人以上の人間がいるから、祈るたびいちいち恋を叶えていたら、神様仏様の本部がパンクしてしまう。それでも、いつか響也の恋人になりたいと星に願った。だって私には願うことしかできないから。響也にはもう好きな人がいるんだから。  もっと早く出会いたかった。もっと早く仲良くなりたかった。同じ中学に通いたかった。同じ小学校に通いたかった。幼馴染になりたかった。生まれたときからずっと一緒の相手には恋愛感情がわきにくいと聞いたことがある。こんなに辛いなら、いっそ好きにならなければよかった。  たらればはどこまで行ってもたらればでしかない。どんなに願っても、同じ日常を繰り返す。それでも、恋を自覚する前はすべてが輝いていた日常だからそれを壊す勇気なんてない。
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