青春の答え

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 そんなある日の部活の後、顧問に男子女子それぞれのキャプテンは残れと言われた。珍しいことに、三人だけでちょっとしたミーティングが行われた。待たせるのは申し訳ないと言うことで、ほかの部員には先に帰ってもらっていた。顧問が手続きのために、コートを離れた。  広いコートに二人きり。何かを変えるなら、今しかないんじゃないかと思った。チャンスの女神様には前髪しかないとどこかで聞いたことがある。チャンスの女神様が、今だといった気がした。  奇跡は自分で起こすものだと、ほかでもない響也が言ったから。十七歳の私は今日、人生最大の賭けをする。 「ねえ、勝負しようよ。久々に」 もし、響也に勝ったら告白する。 「おっ、いいな。でも、コート整備しなきゃいけないしあんまり時間なくね?」 「うん、だから一球勝負。勝った方が負けた方に何でも一個だけお願いできるってことで」 嘘。時間があっても、一球勝負にするつもりだった。男子とフルセットで勝負して、勝てるとは思っていない。でも、一球勝負ならもしかしたら勝てるかもしれない。 「言っとくけど、一杯700円のフラペチーノとか高いもの頼むのはナシだからな?」 「そこまで意地汚くないよ」 「了解。レディファーストだ、サーブはどうぞ」  武士の情けを突き返すプライドなんてない。少しでも優利になるのならそれでいい。今から雑念と煩悩にまみれた不純なテニスをする私に余裕なんてどこにもない。 「男テニのキャプテンなめんなよ。覚悟しとけ」 響也の目が、ピアノを弾いていたときと同じ真剣な眼差しに変わる。私とは対照的なこのまっすぐな瞳が好きだ。  ありったけの力をこめて、サーブを打った。響也が打ち返し、私もループボールを打ち返した。ループボールでのラリーが続く。攻めなきゃ、勝てない。派手な回転をかけて、響也を揺さぶる。隙を狙って、強く打ち込む。次々と返球され、左右に走らされる。響也の打球が重い。手が痺れそうになる。  ボールが打ち上がった。響也はそれを見逃さない。高く跳び上がって、スマッシュを打った。思いっきりスライディングして無理矢理打球にラケットを伸ばす。なんとか届いた。全身全霊の力をこめて、ラケットを振る。  私のリターンがネットにあたる。ネットがひずんで、ボールが上に跳ねた。向こうに落ちれば私の勝ち。こちらに落ちれば私の負け。お願い神様、この先一生勝てなくてもいいから、今日だけ勝たせて。跳ね上がったボールは、私のコートに落ちた。神様も仏様もお星様も私に微笑んではくれなかった。  世界の理不尽さに、大事な夏の試合で負けた時よりも泣いた。当然のように響也が反対コートから駆け寄ってきた。 「えっ、果音どうした?もしかして、怪我した?おいおい、先生戻って来たらマジで俺が何かしたみたいだからマジで泣くなって!俺そんなに変なこと頼まないから!」 止めようとしても止まらない嗚咽。顔はぐちゃぐちゃで、必死に顔を隠した。 「そんなに何か俺に頼みたいことあったのか?」  言えない。「今から告白するけど、ダメでも友だちのままでいてほしい」って言おうとしてたなんて言えない。 「何か欲しいものでもあった?また誰かに何か言われた?俺に何かしてほしいことあるのか?」  あなたが欲しいなんて言えたら苦労しない。私は臆病だから、フラれても友だちでいられる保証がないと泣き落としすらできない。 「勝ちたかった・・・・・・」 「あー、賭け云々よりプライドってやつ? そういうとこ果音のいいところだよな。大丈夫、果音マジで強かったって。普通に負けそうで焦った。次やったら危ないかもなー。男テニメンバーより下手したらうまいんじゃね?あ、これ男テニのみんなには内緒な」 響也が泣きじゃくる私の背中をさすってくれた。私の心を救ってくれた手。三千世界で一番美しい音色をピアノで奏でた手。強いスマッシュを放った手。響也の大きな手は思わせぶりだ。期待したら、絶対傷つくと分かっているのに。この手がこんなにも愛しい。 「なあ、最近果音って何か変じゃね?マジでどうしたんだよ?」 「嫌だ、言いたくない」 「言えよ、言わないなら今の何でも言うこと聞く権使うぞ」  「私が勝ったら、私と付き合って」って強気な告白はできない。二番目でもいいからなんて言えるほど強かにはなれない。なのに、セーフティネットがなくなった途端に気持ちをごまかして逃げ回る卑怯な私。全部が中途半端だ。響也の前では可愛くてかっこよくて素敵な私でありたいのに、空回りしてばっかりだ。ぐちゃぐちゃな感情があふれ出す。 「もう響也のピアノが聴けないなんて嫌だよぉ」 永遠に続けばいいと思っていた音楽室の時間の砂時計は落ちきった。来年のこの時期には部活を引退する。来年にはクラスが離れるかもしれなくて、大学受験がうまくいかなければ大学で離ればなれになるかもしれない。私たちは近くにいすぎた。一度近づいたら離れるのが怖い。このままジリ貧になるくらいならと、一か八か距離を縮めようとしたけれど、無理だった。   「えっ?そんなんでいいの?全然弾くけど」 拍子抜けしたように響也が言った。ダメだ。この人には一生敵わない。小さな世界でウジウジ悩む私をその手で救い出してくれるんだ。 「もしかして、頼もうとしてたことってそれ?」  私はきっと、あなたにふさわしくない。だから、嘘をつく。失敗したときになかったことにできないのなら、告白する勇気はない。でも、あなたがいつだって差し伸べてくれる手には縋りたくなってしまう。 「うん、また響也のピアノが聴きたい」 私なりの精一杯のアイラブユー。響也の心は私のものにならない。なら、せめてあなたの時間だけください。 「いいよ」 響也が笑った。私も笑った。 「あー、本当に心配した。マジで心臓に悪いって。後でデコピンな」  響也がそういうとコートに仰向けに寝転んだ。私も、つられて寝転んだ。熱くなった疲れた体にコートの冷たさはちょうど良かった。響也との距離は何センチメートルだろう。私は空を仰いだ。  夕焼け空のグラデーションが広がっていた。鳥が二羽、どこか遠くへと飛んでいった。人間関係は曖昧に変化していくもので、何年何月何日何時何分何秒に友だちになって、親友になって、人として尊敬するようになって、恋をしてなんてくっきりとした境目はないのだと思う。青い空が少しずつ赤くなっていくように、少しずつ変わっていくものだ。そして、私たちのこれからの関係が少しずつ進展していくことを願った。秋の風が汗にあたってかすかな肌寒さを感じる中、夕方6時の鐘が響いた。
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