二度目の恋という対価

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二度目の恋という対価

 今日こそ彼女に告白しようとした日。 彼女はいつもと少し違う様子でした。 空元気とでも言えば良いのでしょうか。 無理しているように思えたのです。 「実は今日、話があったんだけどさ・・・」 僕がそう言うと、彼女は 「じゃあ、その話の前に、私も聞きたい事があって」 と、先に話したい事があるようでした。 「何?話して」 平然と質問するふりをして、内心僕は怯えていました。 「うん・・・一つだけ伝えなくちゃならないの。あなたの前の恋人について・・・」 僕は焦りました。 やはり、前の恋人も人魚というのが、気がかりなのではないかと不安になったのです。 「話して・・・」 彼女の話を聞かないわけにはいきません。 散々、前の恋人の話を、僕は隠さずにしてきましたから。 「別れたのは、あの子に別れてほしいと言われたからなんだよね?」 「うん。僕が振られたんだ。理由は・・・」 「あの子、本当はまだ好きだったみたい。あなたの事」 「え?まさか」 想像もしていなかった話の展開に、動揺を隠せません。 「あなたは・・・私が人魚でもいいの?」 「そんなの、当たり前じゃないか」 「あの子は、あなたが人魚と恋するのが辛そうだから、身を引いたって・・・」 「そんなはずないよ。そんなの、どうせまた、根も歯もない噂話だろ?」 僕は慌ててはいけないと思えば思うほど、冷静ではいられなくなってしまいました。 「それは、あなたの悪い噂を信じすに、あなたのそばにいる選択をした私に言える事なの?」 彼女は少し怒りました。 でも、その怒りは正しい怒りです。 「ごめん。でも・・・」 「あの子は、人魚と恋するのが辛そうなあなたから離れ、あなたが二度と海に近づかないように悪い噂を流した。良い女なのか、悪い女なのか。あなたにはどう映りそう?」 僕は完全に戸惑ってしまいました。 目の前に、小指を絡ませて約束するのが好きな、愛しい彼女がいるのに。 「僕には・・・」 うまく言葉が出ませんでした。 「一度、話してみたらどうかな?私が呼べば、あの子は来てくれると思う。私、あの子の人柄が好きなの。あと・・・ごめん。謝らなくちゃいけない。故意にあの子に近づいて、話を聞き出したの、私。私とあなたの関係を誰も知らないのを良い事に。でも、お願い。あの子と話してみて。そうしないと私、辛いかも知れない」 謝る彼女が可哀想で、僕の胸は締め付けられます。 でも、その胸の痛みは、目の前の彼女と、前の恋人に対する感情の両方だったようにも思えました。 「君はそういう事もするんだね」 「うん。嫌いになった?」 「ううん。そういうのを隠さないから、良いと思うよ。それに、そういうのは、なかなかできる事じゃない」 「それは褒めてるの?」 「ああ。褒めてるよ」 「じゃあ、会ってくれる?」 彼女にそんな風にお願いされたら、断れるはずがありませんでした。 「分かった。ちゃんと話すべきなのかも知れないね」  そうして僕は、前の恋人に会う事になったのです。 彼女はきっと不安だったと思います。 僕が前の恋人と関係を戻す可能性についても考えたでしょう。 それでも彼女は、彼女のそばにいる僕が、真っ白とまではいかなくても、できるだけ色の混じる事のない、そういう存在であってほしいと思っていたのだと思います。 彼女の願いだったのだと信じています。  彼女に言われた時間、僕は海に行きました。 前の恋人と、そして、今好きな彼女と出会った海。 最近は、彼女との思い出ばかりが重なっていたその海で、前の恋人が僕を待っていました。 読み進めたページが、風で一気に最初に戻るような感覚でした。 「久しぶり」 そう声を掛けた僕に、前の恋人はぎこちなく微笑みかけました。 「ごめんね。会いに来ないって選択もあったのに、来ちゃって・・・」 自分が振った側だからなのか、とても居心地が悪そうでした。 「僕が聞きたい事があったんだ。だから、謝らないで」 「分かった・・・」 「元気だった?」 「うん。元気だったよ・・・」 久しぶりに見るかつての恋人は、間違いなく美しく、昔の感情を思い出さないと言えば、それは嘘でしかありませんでした。 「あのさ・・・ちょっと小耳に挟んだというか・・・聞いたんだ。君が僕と別れたのは、僕の為だったって・・・人魚と恋するのが辛そうだからって・・・」 驚いた顔で僕を見る、かつての恋人。 僕が告白した時も、そんな顔で驚いていたな、と懐かしさを感じてしまいました。 「僕は、君の目には辛そうに映っていたのかな?不安そうだった?そんな僕の表情が、君を辛くさせてしまったんだろうか」 ただ、真実が知りたいと思いました。 そうしないと僕は、振られた自分が可哀想と思うだけの、馬鹿な男です。 場合によっては、かつての恋の終わりが、何かの犠牲の上に成り立っていたという事になってしまいます。 僕は、自分が甲斐性のない男だと呼ばれる所以を、本当の意味では理解していなかった事にもなってしまいます。  彼女は言いました。 「人魚と恋するのが辛そうだったから、と言ったのは事実。でも、それが別れた理由じゃない事を私は知っている。つまり、周りに自分を良く見せたかっただけだし、自分自身を騙したかったの」 「どういう意味かな?」 「あなたの為に別れたというのは、真実ではない。私たちは・・・私が人魚だからではなくて、私が私だからダメだったの。人魚って事は関係ない・・・多分」 “多分”というのが・・・それがかつての恋人の、せめてもの名残に思えました。 僕は、別れてほしいと言われた時の、どこか安心した自分の心境を思い出して、胸が痛くなりました。 自分という人間が嫌になる、あの感覚を久しぶりに強く感じました。 「あの時は若過ぎたからとか、そんなつまらない言い訳はしないよ・・・」 「違う。あなたは悪くない」 「でも・・・」 この海はやはり、出会いの海より別れの海なのかも知れないません。 言葉ではうまく説明できない、別れの匂いがしました。 「なんとなく、あなたの今の状況は理解しているつもり。あなたには、今の恋が本当にお似合い。これは負け惜しみでも、あなたにもう一度戻ってきてほしいからでもなく、心からの、本当の気持ち」 前の恋人は、僕よりずっと大人でした。 前の恋人が犠牲にした気持ちと、それに気づかずに僕が得た対価。 犠牲の上に成り立つ恋ほど、悲しいものはありません。 「僕は・・・本当にごめん・・・」 「謝らないで。私たちはうまくいかなかった。きっとそうだから」 「僕は君に振られた時・・・」 前の恋人は、僕の本音をこれ以上聞きたくないようでした。 「初恋以外の恋は全て、前の恋の対価。私とあなたの犠牲になった恋の対価が、今のあなたの恋なの。それは、私が人魚だからとか、そういうのは関係ない。きっと、そうなる運命だったの・・・」 自分の哲学を持っている、真面目で大人しい、前の恋人の性質は、僕を切ない気持ちにさせました。 「今の恋は、君との恋の対価・・・」 「今の恋が最後だと良いね。今の恋が次の恋の為の犠牲にならないようにね。彼女、明るくて本当に良い子だから大丈夫だと思うけど」 僕はかつての恋人を見つめました。 取り戻そうとは思わない。 思えない。 そう感じさせる、美しい瞳でした。 「そうだ・・・あなたの悪い噂、流してごめんね。結局、意味のない行為だった。あなたがこの海にまだ来ていたのなら」 「この海が好きなんだ。良い思い出も沢山あるし・・・悪い噂で、僕を海に来させないようにするなんて、君らしくないと思ったけど・・・君らしさなんて、僕に語る資格はないよね」 「ううん。あなたには語る資格がある。でも、これからはもう語ったらダメだよ」 かつての恋人は、今度は優しく微笑むと、そのまま別れも告げずに、海の中へ姿を消しました。 僕は、気の利いた言葉を掛ける事もできず、別れた時と同じ、みっともない涙を流しました。 前の恋人を傷つけ、今好きな人も傷つけ、一体僕にできる事があるのか不安で仕方がなかったのです。 泣いているのも結局は、自分の為なのかも知れません。 僕は、前の恋の対価である今の恋を守らなければなりません。 それでも、もう少しだけ、この海を別れの海と見做して泣いていたかったのです。
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