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物心つく前から、俺は唄うことが好きだったし、それなりに上手いという自覚もあった。唄っていれば、現実のイヤなことを――俺が親から疎んじられているとか、金がないとか――一時的に忘れられるし、その時だけは誰かが俺を愛してくれる気がするから。
「じゃ、再来月の九日のステージにブッキングすればいいのかな?」
「はい、お願いします」
「うーん……それじゃあ、最後にもう一回キスさせてよ、快人くん」
身支度を整え終えあとはもう部屋を出るだけのはずだったのに、最後の最後になってそんなことを言いながら酒臭い息を吹き付けてくるそのおっさんは俺の黒くて長い前髪を梳いてくる。
髪から色白な頬、通った鼻筋をすり抜けて口元に、そのおっさんの臭い息を吐く唇が押し付けられる。本音を言えるなら吐きそうなほど気持ち悪いけれど、キスされて舌を挿し込まれ、細い肩や腰を撫でられてしまうとたちまちにどうでもよくなってしまう。
おっさんはキスから喉元へと唇を映し、舐められても、この部屋にいる間の俺は感覚がマヒしたように快感の方に神経が向いてしまう。
「……ん、もう、出なきゃ、ですよ……」
「延長したっていいんだよ。そしたらさ、その次のイベントも呼んであげるから……」
「え、マジっすか?」
「快人くん次第、かなぁ」
おっさんがニヤニヤしながらこの先のスケジュール――俺・安西快人が所属するロックバンド・セラータのイベントへの出演権のことだ――をちらつかせ、折角身に着けたシャツの隙間から手を突っ込んでくる。
「どうする? あと二時間付き合ってくれたら、だけど」
再来月に加えてこのオッサンのイベント会社が主催するインディーズバンドのイベントにまた出られたなら、もっとセラータの知名度は上がるかもしれない。
セラータは結成してそろそろ五年になるけれど、集客は右肩下がりで最近はイベントに呼んでくれるところが少ない。
ここが正念場だとバンドメンバーたちは言っているけれど、漫画のような奇跡は現実問題起こらないもんだ。
「……いいっすよ。その代わり、またイベント呼んでくださいよ?」
オッケー、オッケー、と言いながらおっさんはフロントに電話しつつ俺のダメージジーンズの中に手を突っ込んで股間をまさぐり始める。
電話はベッドの枕もとにあるから自然と俺は押し倒されて圧し掛かられて身動きが取れなくなる。
「あ、うぅ!」
「もっとそのいい声聞かせてよ、快人くん……唄ってる時よりずっとエッチな声をさ」
シャツを剥かれ、ジーンズをずり下げられて再び露わになった身体に容赦のないオッサンの指が這いまわり始め、俺はすべての感覚のスイッチを快楽へ切り替えた。
(――これが終わったら、またあいつらに連絡しなきゃ……イベント出られるぞ、って……)
セラータの実力は中の上と言ったところだけど、爆発的に売れていくにはあまりにセラータにはコネも伝手もない。リハスタに入るにも金がかかるから、バイトをしなきゃだけれどそればっかりやっていても演奏力は上がらないし、場数そのものが踏めない。
そこで考え付いたのが、俺が身体を張ってそのチャンスを獲って来ることだ。
「健気なもんだよねぇ……バンドのために自ら身体張るボーカルなんて」
寝る相手に毎度呆れられながら言われる言葉に、俺は片頬をあげて笑うだけだ。
バンドのために、というピュアな動機だけでこんなに誰彼構わず抱かれているわけじゃない。
単純に、俺が誰かに抱かれている時だけ、愛されて必要とされている気がして身も心も満たされるからだ。
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