*23 招かれざる客による恐怖

2/2
前へ
/61ページ
次へ
「……どうすれば、黙っててくれるんすか?」  その言葉を待っていた、と言わんばかりに八木田の顔が歪んだ笑みを浮かべ、滴るような声で答える。 「そうだねぇ……僕と付き合ってよ」 「え……付き合う、って……」 「僕の恋人になって、快人くん。それで、あのクソ生意気な下手くそギターの奴の代わりに一緒に住もうよ」  どう? 名案でしょう? と言いながら笑う八木田の顔を、俺は信じられないものを見るような目で見ていたのだろう。そして、光輝を侮辱するような言葉に怒りが湧いてくるのを止められなかった。どうして彼が、光輝と暮らしているのかを知っているとか、ということよりも、それは上回るほどに強く。  怒りは、そのまま眼差しとなって八木田へ差し向けていて、それを受けた八木田の顔から笑みが消えていく。 「……なにその目。快人くんさぁ、自分の立場わかってる? 快人くんの態度しだいでは、バンドめちゃくちゃにしてもいいんだよって言ってんだよ?」 「だからって……だからって、光輝のことをバカにするのは違うだろ!! あいつはセラータの最高のギターだ! 俺はあいつのギターでならいくらでも唄える! お前なんかにその良さがわかるわけがない!!」  怒りのままに言葉を吐いてにらみ付けると、笑みが消えた八木田の顔が鬼のような形相へと歪んでいく。人が怒りに震えると言う様を、初めて目の当たりにしたけれど、俺もまた怒りに震えていた。 「……ああ、そう……そういうこと言うんだね、快人くん……」  八木田がうつむいてそう呟いたかと思うと、何やら聞き取れない言葉をぶつぶつと呟きながらジャケットの懐から何かを取り出して俺の方に向けてきた。それは暗がりにきらりと鈍く光り、俺はそれがなんであるかがわかった瞬間、血の気が引いていく。  俺に差し向けられているのは、刃渡りが多分二十センチほどある包丁だった。  八木田はいつの間にか、ぐしゃぐしゃな顔で泣いて醜い顔をしていて、それでもなお笑いながらこう言いだし、俺は更に血を凍らせる。 「快人くん……あんなやつに穢されちゃったんだね……可哀想に……僕が一緒に罪を償ってあげるよ……」  俺の罪ってなんだろうか。俺は光輝とはセックスなんてしていない。たまに寝ている時にこっそりキスされているだけだ。  そもそも、俺は八木田とはもう何の関係もないし、穢されたとか何とか言われるような、貞操とやらを守らなくてはいけないような関係でもない。  それなのに……俺は、いま、どうしてこいつに刃物を向けられているのだろうか。俺はただ、自分のバンドのこれからを考えて、こいつとの関係を清算しただけなのに。  元々、八木田がセラータを応援しているようなつもりがなく、俺に執着しているだけであることはわかりきっていたけれど、ここまで歪んだ感情を俺に抱いていたなんて思わなかった。  でも今はそんな悠長なことを言っていられない。何故なら俺は、刃物を前にすると身体が思うように動かせなくなるからだ。指の一本でさえも凍り付いてしまって、後にも先にも引けなくなっている。  恐怖に支配されて動けなくなった俺の耳に、更に信じられない言葉が聞こえ、俺は目を見開いた。 「――さあ、シデーリオ……今度こそ僕と一緒に行こう……一緒にしあわせになろう」  ねっとりした声色、執拗な愛情表現に、俺の感情を丸きり無視する身勝手な振る舞い……そのすべては夢で見た、あの男――前世の俺を刺殺したジェロそのものであることにその言葉で気付いたのだ。 「お前……ジェロ……」 「思い出してくれたかなぁ、快人くん……ようやく気付いてくれたぁ……快人くんに初めて会った時から、“ああ、僕のシデーリオがいた!”って思ってたんだよぉ」 「やだ、来るな……やめ……」 「生まれ変わってもきれいだねぇ、シデーリオ……ううん、快人くん……どっちでもいいか、もう、僕と一緒に天国に行くんだからねぇ……」  大きくその口許が赤く開き、手許の刃がわずかに引かれ、ゆっくりだった八木田の歩みが急にスピードを得てこちらに突進してきた。 「快人くぅん!! 一緒にいこぉ!!」  暗がりに鈍いきらめきを落としながら、また俺の命を奪いに刃が向かってくる―― 「ヤダ……ヤダ……光輝! 光輝ぃ!!」  恐怖以上の恐怖に呑み込まれながら俺はあいつの、光輝の名を叫びつつ、目を硬く閉じて次の瞬間に襲ってくるであろうこの上ない痛みと衝撃に備えた。  でも、俺に降りかかってきたのは身を裂くような痛みでも衝撃でもなく、横へと突き飛ばしていく何かだった。
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!

78人が本棚に入れています
本棚に追加