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1 【蔵の怪異、秘密のはじまり】
「どうして、僕の名前を……」
「――知っているか。
気になるか? 気になるじゃろ。私はお前を知っているぞ。この家のことも知っている。この世の隣人……お前たちの言うところの怪異なるものも、知っている」
誰もいるはずのない背の高い蔵の中から聞こえてきたのは、仄かに笑いを含む若い女の声だった。
「お前は誰だ」
「そうじゃの、教えてやらぬこともないのう。その代わり、少し話に付き合え」
「話し……?」
「いと、容易いことじゃあろう? ただし、絶対に秘密にしろ。ここで聞いたこと、見たこと、感じたこと……それら全ては、ここだけの事として他言無用。どうじゃ、約束できるか? 千隼――」
それは、千隼がまだ幼い頃のことだった。
漆喰や瓦の目立つ古めかしい蔵。鉄格子の高窓を通し外から差し込む光が、仄かに一筋を照らすだけで、中の殆どは暗闇が支配する。
普段、出入りも全く見ないそんな場所から、人の声などするわけがない。まして屋敷の者は今、母屋の書斎にいる母の他は出払っていると言うのに。
しかし、声は確かに聞こえてきたのだ。くわえて、普段固く閉ざされている扉は気付けば半開き。かかっているはずの金属製の複雑な形をした錠前は、綺麗に外されていたのだ。
千隼は誘われるように中へと足を踏み入れた。背後で閉まる扉の音。先に見える何かの影。大人が座った程度の大きさだった。
千隼の心境は、半分は畏れや不安。もう半分は純粋な好奇心、そして不穏な期待であった。そして、胸を打つ鼓動は早くなる。でもきっと、この高鳴りは恐怖などではなかった。なぜなら後ずさることはなく、足取りは前へ前へと踏み出す一方だったからだ。
それは、徐々に目が慣れ、そこにいるモノがやはり人ならざる何かだと気づいた後でさえも――
千隼は所謂、名家の生まれであった。
長門家が居を構えるそこは、主要都市に比べれば田舎ではあるものの、国内外で人気の高い名勝も付近に抱えており、隣町には新幹線の停車駅もある。
隣町のインターチェンジを降りて国道をひた走り続けて峠を越えると、古民家の連なる弥槐島地区がやがて見えてくる。そこの一等地にあるのは、石造りの塀に囲われた一際大きい大名屋敷。長門家邸宅だ。
千隼はそこで幼い頃から厳しい躾をされていた。父だけでなく、父の言いつけにより母や、父の側近からも。
箸や茶碗の扱い方など所作はもちろん、あらゆる礼儀作法。そして茶道、花道、香道などの習い事に至るまで。
家に娯楽なんぞは無い。テレビや携帯、ラジオなどももちろんない。千隼が子供番組の存在を知ったのは、小学生になり何となく手に取った新聞であったし、玩具と言えるものは絵画を描くための筆や画用紙くらいだった。
さらに、勉強とは違うことも叩き込まれていた。
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