1 【蔵の怪異、秘密のはじまり】

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 例えば、山のとある場所で自給自足をもって三日間自力で過ごすこと。例えば、何千枚もある何と分からぬ陣の絵を何度も何度も、良しと言われるまで寸分のズレなく模写すること。例えば、遠い的に延々と矢を射ること。これを、年端のいかぬ子供が行うのだ。  泣き言は許されなかった。もし逃げ出そうとするなら百回鞭で打たれ、もし泣き喚こうとするなら離れの日本人形が並ぶ和室で、一日食事を抜きに反省文を山程書かされる。  しかし千隼は、それらの躾を何らおかしいとは思っていなかった。それが普通だと思っていたからだ。小学校、高学年になったあたりまでは。  周囲の子供が話す内容や見せる仕草、興味の方向性。それらは自分とあまりに異なっていることに、本格的に気づくことになったのが、ちょうどその頃であった。  そして、怪異の存在やそれらに対処するためにこの家があるという真実を、父により告げられたのもこの時期である。  薄々は勘付いてはいた。しかし自ら問うことはなかったため、ここで初めて、何のためか見当が付かなかった修練の意味も含めて、腑に落ちたといったところだった。  そこで思うのは、側から見れば理不尽と思える境遇だということ。  しかしそれが分かったところで千隼は反抗心も不服心も、さほど抱くことはなかった。それは奇しくも、躾による精神鍛錬がなされた結果、とも言えたかもしれない。  俯瞰して物事を見る。感情を波立たせずに、目の前を確かに見据える。他人(ひと)と自分は違うし、人には各々なすべきことや歩むべき道理がある。これらは生きるための知恵に他ならぬと、若干十二歳で既に悟っていたのだから、それらを他言こそしないものの同世代の子供に比べ、内から滲み出る落ち着きと言えば、実に可愛げの無いものであった。それを、千隼自身も自覚している。  そんな頃だ、あの蔵の声を聞くこととなったのは。 ――暗がりに一筋の光が差し込み、あたりに僅かな影を作る蔵の中。一番奥の壁際に、声の主であろう若い女はいた。  蛇のような模様が入った白い布で目隠しされた顔は、シワのひとつも見えぬ白い肌。おそらく紫紺に近い色をした長い髪は、地面の上で毛先がクルッと跳ねていた。  きっと、これは怪異だ。  背中に蝙蝠の羽のようなものが生えていて肩を覆っているし、両脚は無い。艶やかな黒い羽織りは地面にだらりと重なっている。そして厚みのある首輪と手枷。そこから伸びた鎖は、どこにもつながらず不自然に途切れた状態だった。それらは、きっと封印の道具であると知識から理解した。  しかし、なぜこの家の蔵に怪異が封印されているのかまでは、すぐに察しが付けられなかった。  喉を鳴らして前に立つ千隼に、怪異は微笑し口を開く。 「来たな、千隼」 「……お前だよな、僕を呼んだの」 「そうじゃ。奇妙か、驚いたか? 見ての通り私の身体はもう半分ほどしかない」
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