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「孝成!」
自席で仕事をしていた俺は、声を聞いてパッと顔を上げた。
健太郎社長が手をあげて合図する姿が、視界に入ってくる。
秘書室にいた全秘書たちの目がキランと光り、たちまちハートマーク…いや獲物を狙うハンターの目つきになった。
「ランチ、1階で待ってるから」
そういうと、社長は颯爽とその場から立ち去る。
「ちょっと! 毎回ずるいわよ!岡部くん!」
「あんたのポジション、私に譲りなさいよ、キー!!」
冗談ぽく言ってるものの、かなりガチだ…。
俺は内心(怖エェ…)思いつつ、「ナハハ…そうっすね」と笑ってごまかす。
…てか皆さん、キャーキャー言ってるけど。
よく見て?
社長の左手薬指には指輪がありますよ?
ミツハシの若手イケメン社長、三橋健太郎氏にはすでに…愛妻がいる。
もちろん、俺は何も言わない。
女が多い秘書室では、余計なことを話さないことに限る。
雉も鳴かずば撃たれまい、なのだ。
1階で合流して、いつも行く蕎麦屋さんのカウンター席に並んで座った。
注文して、料理を待つ間…。
「孝成、見て見て」
と、社長が嬉しそうにスマホ動画を見せてきた。
画面には、トテテ…と走る子どもの姿が…。
「パパぁーおかぇりー」
玄関にいる社長の足にとびつく、2歳くらいの男の子。
「太一、ただいま!」
抱えあげて、ぐるぐる回す。
男の子は「うわぁ」と言いながら喜んでいる。
社長そっくりのミニチュアボーイ、三橋太一くん。
いわずもがな、社長の息子だ。
「健ちゃん、おかえりなさい」
声だけ聞こえてくる。
「ただいま、澪」
撮影者に向かって、途端に表情が柔らかくなる社長。
「パパ、帰ってきたよー」
澪さんが言うと。
「ただいまー!」
カメラアングルは下を向いて。
澪さんのせりだしたお腹を撫でている社長の姿がクローズアップされた。
そう、澪さんは第二子を妊娠中だ。
「…うは」
思わず声が出てしまう。
「……いいっすね、幸せファミリーって感じで」
「まあな。それより孝成。次は末永さんと、いつウチに来る? 澪が渡したいものが…あるらし…い」
最後はちょっといいよどむ。
きっと…例の同人誌だろう。
店員さんからちょうど手渡された寿司蕎麦セットを「あ、ありがとうございます」と受け取り、「先食べるよ」と俺に断ってから口に運ぶ社長。
「……さっきの話っすけど」
「……うん?」
「…鞠鈴とは先週別れたんで、2人では行けないっすね」
「ブッ!」
健太郎社長が食べていた蕎麦を噴き出した。
「おっ、と。汚いっすよー」
「じゃなくて!! 別れたって…なんで」
社長は愕然として、俺を見つめてきた。
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