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変わらない日々が続いていくとどこかで信じていた。しかし、冬休みに入って早月は入院した。にわかには信じがたかった。
僕は毎日お見舞いに行った。面会時間終了よりも先に日は落ちるので、病室の窓からは星が見えた。
「あ、アンドロメダ銀河発見」
早月が北西の空を指さした。アンドロメダ銀河は肉眼で見える地球から最も遠い天体だ。
「250万光年だっけ」
光の速さで行っても、250万年かかる距離。それでもまだ宇宙の深淵ではないのだから、宇宙とはどれだけ果てしない物なのだろう。
「行ってみたいな」
早月がぼそりと呟いた。行けるよ、とは言えなかった。僕らが生きている間に、そんな技術ができるとは思えない。行けるとしたら、それは早月の死を意味するから。
「案外明日ひょっこり、宇宙人の方から会いに来たりしてな」
そんな高度な文明を持った宇宙人がいるならば、今すぐここに来て早月の病気を治してほしい。そんな祈りをこめて言った。
「宇宙人って緑色なのかな」
宇宙の話をする早月は楽しそうだった。病気なんて全部嘘だと思えるほどに。
「どうだろう? もしかしたら人間には視認できない肌の色かもしれない」
「えーっ、そしたら私たちに見えてないだけで、宇宙人が今ここにいるかもしれないってこと?」
早月はキラキラした目ではしゃいだ。なあ、宇宙人。もしそこで聞いてるなら、今すぐ早月の病気を治してくれ。
やがて年が明けて三学期になって、日に日に早月はやつれていった。
「あのさ、私生きてここ出られないかもってさ」
窓の外を見ながら早月が言った。心臓と肺をつぶされたように息ができなくなった。
「なんかねー、オブラートに包んで言われたけど要約すると大体そんな感じだった」
早月は僕の方を見なかった。
「実はさ、前回入院してた時にも一回余命一年って言われてさ、それは一回覆して今生きてるわけですよ。まあ、でもそう何度も起こらないから奇跡なんだよね。なんか、今回は正確っぽいね。体感、そんな感じ」
早月は一気に早口でまくし立てた。わざとへらへらした口調で笑いながら言ったけれど、僕の方を一度たりとも見なかった。
「決めつけんなよ。奇跡が起こらないなんて」
心の中で無責任な僕が産声を上げた。早月が驚いた顔をして僕の目を見た。
「僕が奇跡を起こしてやる」
気休めの嘘でしか君を笑わせることができないならば、その嘘を本当にしてしまえばいい。僕は宣言した。
「僕が医者になって、早月を治す」
真面目に勉強をしてきたのも、英語を忘れないようにしていたのも、全部このためだったのかもしれない。僕の人生は、早月のためにあったのだ。
「まだ一年あるだろ。アメリカの医大に留学して、飛び級する。来月までに何とかして編入して、一か月で一年ずつ飛び級して、半年以内に治療法見つけたら、間に合うんだ。僕ならそれができるんだ」
最初からこうすればよかった。死んだ友達を宇宙に送るプロジェクトじゃなくて、友達を死なせないためのプロジェクト。もう二度と誰かを救えないなんてごめんだ。僕が十六年の人生で培ってきたすべてを早月のために捧ぐ。
「間に合わないよ、それじゃ」
早月が悲しげに笑った
「間に合う、間に合わないじゃなくて、間に合わせるんだよ! 早月の十八歳の誕生日まで一年と三か月あるだろ!」
余命宣告が正確ならば、タイムリミットは来年の五月だ。
「三か月だよ」
わめき散らかす僕の言葉を早月が訂正した。
「ごめんね、黙ってて。私、病気で高校入学一年遅れてるから、今十七なんだ」
僕は言葉を失った。
「二年前かな。中学で部活引退したちょっと後くらいから一年間ずっと入院してて、高校受けてないんだよね。推薦の話とかも全部断っちゃったし。日常生活は遅れるようになったから、最期に高校生やりたいなーって思って入学したけど、先輩扱いされるの嫌だから、先生たちには私がみんなより年上だって言わないでってお願いしたんだ」
僕の学校は恐ろしくまともだ。教師の口は信じられないくらい堅い。僕が帰国子女だということすら秘密にしてくれているのだから、年齢なんて孤立に直結しそうな事情を言いふらす教師がいるはずもなかった。
天真爛漫な中にもどこか大人びていて僕には敵わないという雰囲気があったのも、同級生よりも先輩たちといる方が自然体に見えたのも全部説明がつく。
ということは、早月は本当は僕より一つ年上で、早月の十八歳の誕生日。Xデーは来年ではなく今年の五月。あと三か月だ。あの日、僕が一年半だと思っていた余命は実は半年しか残されていなかったのだ。
「だったら、あと三か月でできること、僕が探す」
僕の声は震えていた。窓の外に星が見えた。夜空は皮肉なほどきれいに晴れ渡っていて、冬の澄んだ空気の中無数の星が瞬いていた。僕は思い出す。願いを叶える、全世界共通の魔法を。僕は窓を開け放った。
「早月の病気を治してください、早月の病気を治してください、早月の病気を治してください」
夜空に向かって叫ぶ。流れ星が消えるまでに三回願い事を唱えたら、どんな願い事も叶う。僕らが鬼ごっこをしたあの日、僕は流れ星を見送ってしまった。今までの人生でたくさんの流れ星を逃してきた。その一つにでも願えていたら、運命は変わったかもしれない。
「昴、もういいよ」
「よくない! ずっと叫んでれば、流れ星がいつ来ても三回間に合うだろ!」
滑舌には自信がある。アメリカ人より早口で英語を話すことだってできる。早月のために使えるものはなんだって使ってやる。
「早月を治して」
僕は泣きながら叫んだ。十六歳にもなってこんな迷信に縋るしかできない。
「早月を助けて、助けて、助けて」
床に膝をついて泣き続けた。流れ星は一向に現れない。成績がよくたって、英語ができたって早月を助けられないなら意味がない。どんなに足が速くなっても、流れ星一つ捕まえられない。
「もういいよ、昴」
後ろから早月に抱きしめられた。
「ごめん、早月」
掠れた声で謝ることしかできなかった。早月のおかげで少しだけ僕は自分のことが好きになれたのに、僕は早月に何もできなかった。
「昴にしかできないこと、頼んでいい?」
優しい声で早月が言った。早月は笑顔だった。
「聞く。なんでも聞く。早月の望みなら全部叶えるから、生きてくれよ」
早月がまっすぐに僕の目を見て言った。
「私ね、昴のことが好き。だから私と本当の恋人になって。最期まで昴と一緒にいたい」
その瞬間、僕はようやく気付いた。僕は早月のことが好きなのだと。ああ、やっぱり僕は肝心なところでダメ人間だ。女の子に先に言わせるなんて。
「僕も、早月が好きだ。宇宙で一番、大好きだ」
僕は早月を強く抱きしめた。このまま時間が永遠に止まってほしいと思った。
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