高く、速く、遠く。~流れ星を追いかけて~

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「絶対に秘密だよ」  天文部の同期、仁科早月がいきなり切り出した。僕は読んでいた漫画から顔を上げた。 「僕、口軽いよ」  僕の忠告を無視して、早月は続けた。 「私さ、十八歳まで生きられないんだよね。不治の病ってやつ」  突然の打ち明け話に僕はどう反応していいかわからなかった。 「何でそれを僕に?」 「だって、昴くらいの距離感が一番話しやすいんだもん。こういうことって」  友人ではあるが親しすぎない人、という意味であれば僕は適任かもしれない。僕は中等部からの内部進学だけれど、彼女は高等部から外部受験で入学してきたので出会ってからまだ半年程度だ。おまけにクラスも違うので部活でしか顔を合わせることもない。  僕は漫画を閉じて早月と目を合わせようとしたが、早月は窓の外を見ていた。 「というわけで、折り入って相談があるんだけどさ」 「僕、性格悪いから人の悩みは茶化すし、人の秘密は言いふらすから、相談事とか向いてないと思うよ。頭も悪いからろくなアドバイスもできないし」  僕は牽制した。友人からの軽い恋愛相談すら荷が重いというのに、余命宣告を受けた友人に僕ができることなんて何もない。  当然本当に言いふらすつもりはない。僕の手に余る相談事を回避するために「僕は人の秘密を言いふらす人間だ」と公言することはあっても、本当に人のプライバシーを吹聴する外道に身を落としたくはないからだ。 「そんなことないと思うけどなー。だって、今だってこんな突拍子もない話を真面目に聞いてくれてるでしょ? 普通、嘘つくなよって怒るところだよ」 「嘘ならそっちの方がいいじゃないか。友達が本当に病気になるよりも、病気だって嘘つかれる方がいい」 「本当に性格悪い人は、咄嗟にそんな返し出てこないよ」  そこで初めて早月と目が合った。早月は笑っているが、その笑顔は悲しげに見えた。 「残念ながら本当なんだよね。たまに学校休んでるのも、夏合宿に行けなかったのもそういうこと」  彼女が夏合宿を体調不良で欠席したことは記憶に新しい。付き合いが浅く彼女のすべてを理解しているとは言えないが、病気という不謹慎な嘘をついて僕の反応を面白がるような人間ではない。 「ごめん。本当ならなおさら話す相手を間違ってるよ」 「そんなこと言わないでよー。昴にしか頼めないんだってー」  彼女はわざと軽い口調で喋っているせいか悲壮感は感じなかった。しかし、僕の方が耐えきれなくなってしまった。 「ごめん。僕、無能だし本当に何もできない」  胸がズキズキと痛んだ。僕には何もできない。誰かの力になれるなんて思いあがってはいけない。 「僕は医者じゃないから早月を治せないし、命に責任なんて取れないよ」 「やっぱり優しいよね、昴って。真剣に考えてくれてるじゃん、私のこと」 「優しくないよ。僕ほどチャラくて適当な人間いないと思うけど」  僕は学校のみんなからは軽薄な人間だと認識されているはずだ。天文部に入った理由は「可愛い女の子と星を見て彼女を作りたいから」だと公言している。実際には運動部や発表会で責任がのしかかってくる類の文化部に入りたくなかったので、合宿で星を見たり、たまにプラネタリウムに行ったりする以外はこれといった活動がない気楽な部活だから入っただけだ。 「みんな昴のこと信頼してるよ」 「みんなって誰だよ」 「内緒」  人のことを言えた義理ではないが早月は相当な秘密主義者のようだ。女子を質問攻めにするような不躾な行為は憚られたので、僕は深追いしないことにした。 「というわけで、とある筋からの情報によるととっても頼りになる昴君にお願いがあります。話だけでも聞いてください」  早月は突然かしこまってぺこりと頭を下げた。共通の友人が信頼している人だから、それが僕を頼った理由ならばその根拠になるエピソードは大したものではないだろう。  目の前で人が困っていれば咄嗟に手を貸してしまうことはあるが、基本的には人と深く関わらないようにしている。中途半端に人の悩み事に首を突っ込んで、途中で投げ出すなんて暴力と同じだからだ。  早月の期待もきっと大したものではない。それならば希望を持たせるだけ持たせて結局何もできないなんて事態にはならないはずだ。 「いいよ。僕、本当に何のとりえもないし何もできないけどそれでもいいなら」  何より、これ以上友人を邪険にすることは僕の良心が咎めた。 「じゃあ、結論から言うね」  早月は軽く咳払いすると、僕の目をまっすぐ見て言った。 「恋人のふりしてほしいの」  意味が分からない。病気との因果関係がわからない。しいて言うならば、ドラマなどでよくある「最期の思い出作り」だろうか。それならなおさら僕を選ぶ理由がわからない。 「僕なんかと付き合ったら早月の名誉が毀損されるんじゃないか?」 「なにそれ、自己評価低すぎ。昴のことかっこいいって言ってる女の子、結構いるよ」  にわかに信じがたい。 「友達を騙そうとか、最期の思い出づくりしたいとかそういうわけじゃないよ。手繋いだりキスしたりは本当に好きな人とすることだから当然なし」  ますます意味が分からなかった。僕が困惑している顔が面白いのか早月は笑っていた。 「私が死んだ後の話だよ」 「ずいぶんと先の話だな」  僕たちは今、十六歳だ。早月の誕生日は五月だから早月の十八歳の誕生日までは約一年半の猶予がある。 「夢があるの。宇宙に行きたいんだ」  天文部に入っている身としては、その言葉には共感できるものがあった。宇宙は昔よりもはるかに身近なものになっていて、僕がおじいさんになる前には庶民が普通に宇宙に行ける時代は来るだろうと言われている。 「生きている間に行くのは無理っぽそうだからさ、死んだら宇宙に行きたい。宇宙葬って言ってわかる?」  僕は頷いた。まだ日本ではあまり一般的ではないけれど、海外のセレブが死後宇宙に自分の遺灰を埋葬したというニュースを見たことがある。 「死んだ後に私が宇宙葬を希望してたって家族に伝えてくれる人がほしいなって。ほら、生きてる間に親とか友達と死んだって仮定して話するのって残酷じゃん? お母さんはそういう話すると泣いちゃうし、友達には気を遣わせたくないから知られたくなくて。だから、生前の意志を伝えてくれるくらいの関係ってなると恋人だと説得力あるかなって」  重い。責任が重すぎる。娘を失くした人に「娘さんの遺灰を宇宙に打ち上げさせてください」なんて言えるわけがない。 「いや、厳しい」 「そう言われると思って、もう一個作戦考えてきました! 名付けて、『生前に勝手に申し込んじゃおう大作戦』! 宇宙葬ってね、実は生きてる間に申し込みできちゃうんだ。だから、払い込みとか全部済ませて申し込んでおきましたって、手紙で事後報告するの」 「いくらくらい?」 「三十万円くらい」  僕たち高校生にとっては十分大金だ。簡単に用意できる額ではないだろう。 「本当は宇宙の果てまで永遠に飛んでいけるプランが最高なんだけどね、あれ二百万円くらい必要だから絶対無理なんだよね。だから、一瞬だけ宇宙に行ける安いプランでもいいかなって」  宇宙葬にもいろいろなやり方があるらしい。ロケットに遺灰を乗せて宇宙の果てに向かってどこまでも飛んでいくプランにはロマンが満ち溢れているが費用がとんでもなく高い。早月が申し込もうとしているプランでは、遺灰を乗せたロケットを高度百キロ、すなわち宇宙空間まで打ち上げてそこから散骨する。最終的に遺灰は宇宙空間ではなく地表に残ることになるのだが、瞬間的には宇宙に行くという夢が叶う。 「それで、この場合僕は何をすればいいの? 僕の家、お金持ちじゃないからお金は貸せないけど」 「さすがに友達からお金は借りられないよー。あのね、だいたい宇宙葬ってアメリカのロケットに乗ることになるから、日本のエージェントさん経由で申し込むと手数料がすっごく高いんだよね。さっき30万円って言ったけど、英語で申し込みすると何万円か安くなるみたいで。でも、私英語全然わかんないから昴に手伝ってほしいなって」  スマホを突き出され、宇宙葬の申し込みについて書かれた英語のホームページ見せられた。何万円か、らしい、などあやふやな発言が多いということは英語がうまく読めなかったのだろう。 「昴、英語できるでしょ? あと、ついでにちょっと値切ってくれたりしたら助かるなー、なんて」 「学割はないから厳しそうだけどね、でも逆に外国人だと割高になることもないみたいだ」 「すごーい! わかるんだ!」  早月が驚いた顔で拍手をした。 「いや、僕の英語本当に正しいかわからないよ」 「だーからっ、謙遜はいいって! 昴、本当はめちゃくちゃ頭いいでしょ?」  早月は世間知らずなところがあるが、妙に鋭いようだ。僕は五歳から小学校四年生の途中までアメリカに住んでいた。中学の時からずっと定期テストは学年一位だった。今の成績を維持すれば、国立の医学部も十分狙えるし、課外活動に力を入れれば海外の名門大学も視野に入れられるとこの間の面談で言われた。  この学校の教師陣は口が堅い。帰国子女であることや成績が良いことに起因する苦い思い出があると言えば、他の生徒にそれらの情報がさらされることはなかった。隠したい理由について深く追及されることもなかった。定期テストの学年順位は封筒に入った状態で返却されるのでそれさえ隠しておけば問題はなかった。  誰かを失望させてしまうことが怖くて、無能ながらもお気楽なお調子者を演じていた。 「あとね、昴は頭いいからもう一個一緒に考えてほしいことがあるんだけど、昴にしか頼めないの! お願いっ!」  手を合わせて早月に頼まれた。勉強ができたところで友達は救えない、そう思っていたが、今度こそ僕は友達を救えるのだろうか。 ――なあ、昴。俺どうしたらいい? 助けてよ、昴。  昔の友人、隼兎(はやと)のことを思い出した。 *  日本の小学校に転校してきてすぐ、僕は人気者になった。英語がペラペラでスポーツ万能、テストはいつも百点。将来の夢は「人を笑顔にする陸上選手」だった。  僕は多くの友達から相談を受けた。どれも少し頭のいい小学生の手でどうにかなるものだった。 「こんなこと昴にしか言えないんだけどさ、俺の父ちゃんと母ちゃん離婚するかもしれない」  六年生になってすぐ、一番仲が良かった友人、佐藤隼兎から打ち明けられた。 「父ちゃんと母ちゃん喧嘩ばっかで、もう家帰りたくない。口出すと、子供は黙ってろって言われるし。姉ちゃんとはあんまり仲良くないから頼りになんないし」  僕は下校時刻まで彼の話を聞くことくらいしかできなかった。 「離婚したら、俺は父ちゃんに、姉ちゃんは母ちゃんに引き取られることになるんだって。父ちゃんとばあちゃんと一緒に住むから、俺転校するかも。いやだよ、俺転校したくない」  僕には何もできないまま事態はどんどん悪化していった。僕も隼兎が転校したら嫌だ、それしか言えなかった。僕は無力な子供だった。 「明日、離婚届出すんだって。俺、母ちゃんともみんなとも離れたくない。なあ、昴。俺どうしたらいい? 助けてよ、昴」  隼兎が泣いていても、僕は何もできなかった。 「ごめん、僕もわからないよ。僕には何もできないよ」  悔しくて僕も泣いた。結局革命的な解決法が子供の頭で思い浮かぶはずもなく、週明けに隼兎は転校してしまった。  勉強ができたって、英語が話せたって、足が速くたって何の意味もなかった。友達に「こいつならなんとかしてくれるかもしれない」とまやかしの希望だけ持たせて傷つけてしまった。  僕は空っぽだ。友達一人助けられない無能だ。それならば、ハリボテの天才少年でいるより、真剣な相談なんてする気も起らないようなピエロでいる方がいい。僕はあの日そう思ったのだ。 *  でも、今目の前で早月が僕の能力を必要としている。僕は今度こそ友達の力になれるんじゃないだろうか。そんな自惚れが頭をよぎった。 「力になるよ、僕でいいなら」 「昴でいいんじゃなくて、昴がいいんだよ」  早月が笑った。こうして、早月を宇宙に送り出すための秘密のプロジェクトが始まった。
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