二人だけのバスで、また

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「絶対に、秘密だよ」  たまたま顔が近づいたとたん、そんなささやき声とともに隣に座る姫野三月からグイっと顔を引き寄せられ、そのまま微かなキスをした。 「な、今の──」  ほんの一瞬の出来事。混乱する僕の口に人差し指を当て、姫野はいたずらっぽく笑う。  都心の街並みから少し外れたところにあるバー。小学校から中学校まで同じ学校に通っていた昔馴染みだった。  と、言っても、僕が覚えているのはそれだけだ。地元は東京から遠く離れた片田舎で、僕は高校から東京に出てきたから、中学を卒業してからは連絡を取ることもなかった。それくらいの関係性。それから一度も会うことはなくて、気づけばお互い働くような年齢になっていた。そんな感じだから、僕はすっかり彼女のことを忘れていた。  それが、先日とあるイベントで偶然再会した。連絡先を交換し、久しぶりの再会を祝してと三月が勧める店で飲むことになったのだけど。 「さ、そろそろ行かないと間に合わなくなっちゃう」  何事もなかったように三月は半分くらい残っていたカクテルをすっと傾ける。  白くて細い喉が数回動くと、グラスはあっという間に空になった。カクテルを飲み終えた三月は僕に向かって小さく微笑みかけてくる。  明るい髪色にあか抜けた髪型。服装だって抑え目でありながら、大人の雰囲気を醸し出している。僕の記憶の中の三月はどちらかといえば控えめ──率直に言えば地味なタイプの女の子で、今の三月とは中々重なる部分を見つけにくかった。まあ、僕の知ってる三月は中学生までで、それから十年近い時がたっているのだから当然かもしれないけど。 「もうそんな時間だっけ。この辺って終電早いの?」 「ううん、電車はあるけど、門限がね」  席を立った三月に袖をくいっとひかれて僕も立ち上がる。お店を調べてそれなりにオシャレをしてきたつもりだけど、今の三月と並ぶとどうしても野暮ったく感じてしまう。 「お仕事柄、あまり夜遅くに出歩くわけにはいかないから」 「ああ、そっか。そうだよな」 「それにさ。こうしてるところを誰かに撮られたら、明日から雅人君も有名人かも」 「うへっ。それはちょっと勘弁だなあ」  本来であれば、三月は俺がこんな風に気軽に話せるような相手ではない。  姫野三月は今、表の世界では「姫川美晴」として、アイドルグループ「ブレーズ・パスカル」のセンターに立っている。
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