モナリザの歌い手

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 志野くんは、毎夜公園に足を運んでいるみたいだった。  そう気づいたのは当然、私も同じように公園に足を運ぶようになったから。  最初は「馬鹿」だとか「頭がおかしいんじゃないの」と繰り返し口にしていた志野くんも、やがて面倒になったのか特に何を言ってくることもなくなった。  中学二年生が夜に家を抜け出して毎日公園で二人並んでブランコをこぐ。なんだか青春って響きがして、けれどそれだけではない不思議な空気が私たちの間にはあった。  基本的に、私たちの間に会話というものはなかった。私が一方的に話し、志野くんは返事をすることもなくただブランコを揺らすばかり。そのうちに怒った私がスマホで「音無」の曲を流し、慌てた志野くんが停止しようと手を伸ばして取っ組み合いになる。 「……ほんと、何がしたいんだよ」  今日二度目の攻防戦の果てに私のスマホはとうとう志野くんのポケットの中に消えて散った。 「エッチ、変態!」 「意味わからん。第一、悪いのはそっちだろ」 「相槌くらい打ってくれてもいいでしょ?」  にらみ合う私たちの言い合いは平行線上を進み、やがて吹き抜ける寒さに身を震わせてコートを深く着込む。  ケホ、と小さくせき込んだ志野くんが、ジロリと私をにらむ。 「帰るときになったら返してやるよ」 「女の子のスマホには秘密が詰まってるんだからね?」 「お前の辞書には秘密のひの字もないだろ」  そんなことないもん。実際、私は志野くんのことをほかの誰にも話していない。話したところでおかしくなったと思われるだけだ。  有名人が実は身近にいましたなんて言って、はいそうですかとはならない。本当かどうか志野くんに探りを入れることはもちろん、私たちの関係を疑い、少なくともこの時間が壊れることは間違いない。 「……お前、受験はいいのかよ」 「来年から頑張るもん」 「親が心配してないのかよ」 「男の子に会いに行ってるってばれちゃったから、平気かも」 「正気か?」 「……正気、ではないかも?」  なんでお前が首をかしげるんだ、とにらんでくる。私だって、少しは困っているというのに。  何かを言いたげなお母さんの視線から逃げること十数回。時々出発の時間に家にいるお父さんの追及をかわすこと数度。  なんだか楽しくなりつつあることは秘密だった。 「……そういえば、さ」  ブランコに立ち、大きく漕ぎ出しながら思いついたように口を開く。実際はもう何日も、この話題を口にしようと考えていて、けれど言葉にできなかった、そんな言葉を告げるべく大きく息を吸い込む。  冷たい空気で肺がきりりと痛んで、けれどそれが、私の中にあったためらいを追い払ってくれた。 「歌、新しいの投稿しないの?」  最近更新が止まっている「音無」のチャンネル。昼は学校、夜は公園。きっと朝か夜にどこかで歌って録音していたのだろう志野くんの新しい歌が聞けていない。  ――もしかして、夜の公園で歌った曲を録音していた、とか? それなら今すぐに帰るべきなのだろうか、なんて。 「……歌えなくなったんだよ」  ぽつり。雨音が一つ鼻先に落ちた。  同時に聞こえてきた言葉に、身が凍る思いがした。 「お前のせいで、歌えなくなったんだよ」  重ねるように言葉が響く。空っぽな私の中に響いていく。  ――あんたのせいよ。  声が、反響する。  夏の放課後。汗みずくになりながら重ねた練習、倒れる音、悲鳴。バッシュが床を踏みしめるキュッキュッという音。私に集まる怒りと責任追及のまなざし。それはさしずめ魔女裁判―― 「やべっ」  にわかに強まりだした雨から逃げるように、志野くんがブランコを蹴るようにして飛び降りる。そのまままっすぐに駆け抜けていこうとした彼は、けれど途中でとどまって振り返る。 「……どうしたんだよ、おい」  そのまま行ってしまえばいいのに――なんて思えば、彼はずんずんと近づいてきて私の手をつかみ、引っ張る。  体が浮き、そのまま、惰性で歩き出す。  強い力だった。大きな手だった。男の子のそれは抗いがたく、私をどこまでも引っ張っていく。  あの日の絶望と痛みを抱えた心のまま、引っ張られていく。  雨が降る。頭に、地面に、肩に、彼の体に。  複雑な音色を奏でるその中で、気づけばうかがうように口を開いていた。 「……私の、せいなの?」  ――朝霞のせいで怪我したんじゃん。  ――朝霞がぶつかったんでしょ。  ――ねぇ、どうしてるの? 大会まで、もう日数ないんだよ。  仲間だと思っていた。確かな絆があると思っていた。それはけれど、ひどくはかなく、細くて、あっさりと切れてしまうほどにもろかった。  確かに、私の不注意だったのかもしれない。  エース、チームリーダー、キャプテン。彼女がシュートを打つその姿を、私はただぼんやりと見上げていて、そのせいで着地点から動かず、二人そろって巻き込まれた果てに彼女は大会直前に足を怪我したのだから。 「私の、せい……」  痛みに心が悲鳴を上げる。手首がひどく絞められたように痛んだ気がした。 「……なんで泣いてるんだよ」  何も語らない背中。振り返ってくれるなと念じれば、まるで知ったことかとばかりに振り返った彼の瞳が大きく見開かれる。  その声音には、ただただ困惑の響きがあった。透明とは程遠い、生身の声。  等身大の志野零羽という人の肉声をそこに感じて、なぜだかますます泣けて来た。  ふっ、と。  雨が刻むリズムが遠ざかる。  抱きしめられていると、そう気づいたのは顔を包み込む慣れない香りを感じたから。  熱が体を包み込む。濡れて冷えた体を温めるように、雨から守るように。 「お前のせいだけど、お前のせいじゃない。……ただ、見つかったから。見つけられて、突き放したつもりなのに踏み込んできて、だから、前のように歌えなくなっただけなんだよ……」  どこか懇願するような響きで、あるいは諦観をにじませて、彼は告げた。  なんとなく今の彼の顔を見なきゃいけない気がして、胸を軽く押して顔を上げる。  涙でにじむ世界。 「だからきっと……お前のおかげなんだろうな」  ――闇の中、彼は泣くように笑っていた。
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