魔性の瞳

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「約束、破ったら殺すからね。絶対に秘密だよ」  いたずらっぽく笑いながら僕を見る紗耶に、僕は、ああと答えながら、その吸い込まれるような瞳の魔力に釘付けになっていた。  その4月の爽やかな夜以降、僕と紗耶は情事を重ねていくこととなった。  僕は山本雄二。紗耶と僕が初めて会ったのは昨年の4月、地域で実施された僕の歓迎会だった。もうすぐ30歳になる僕は東京のIT関連企業を辞めて地方に引っ越してきた。ブラックな企業体質と都会生活に嫌気がさしていた僕は、地元の役所でUターン定住促進事業があることを知り応募したのだ。僕は、市役所の非正規臨時職員として採用されながら、地域コミュニティ活動の実践を通じて、いずれかの企業に採用してもらうという位置づけとなっていた。そんなわけで、地域での歓迎会は公私ともに重要な位置づけだった。 「こんな田舎に東京から若い人が来てくれるなんて、ありがたいね」  町会長の木村さんが話をしてくれた。50代くらいの気さくな方で、高齢者の多い集落の中では若く見える。 「いえいえ、もともと地方の出身で、実家は隣県にありますけれども、ここも幼い頃に何度か来たことがありましたので」 などと答えになっているのか、なっていないのかわからないような返しをすると、でも、少しがっかりしたでしょ?と続けてきた。 「そんなことはありませんよ。でも何の話です?」と探るように答えてみた。 実はその答えには心当たりがあった。この赴任地は数年前まで限界集落ということで高齢者が多く、いずれ自律的な存立が立ち行かなくなってくる地域だった。そこへ、現市長の「環境にやさしいまちづくり」と「国際交流を通じた地域の活性化」という公約にからんだ「職業訓練センター」が設立されていた。この職業訓練センターが上手く機能せず、地域に問題を起こしていたようだ。 「別に外国の方を悪くいうつもりはないんだけれど、でも、あのセンターは失敗だったな」 町会長さんは誰にいうとでもなく、そうぼやいた。 やはりその話か、そう思いながら周囲を見回すと、誰しもが、その話は既に共通認識でありかつ、あまり触れたくない話題である。とでもいうような顔つきをしていた。 「来たばかりですけれど、なんとなく、そういう感じは理解していました。」そう答えると、会長さんは断言した。 「いろいろな経緯があって、今、この町会とセンターは上手くいっていないし、はっきり言って、センターに関わる者にはいろいろと問題があると思っている。それに怪しげな宗教団体も絡んでいるようだから山本さんにも気を付けてもらいたい。まあ、役所との間で板挟みになって難しい場面もあるかもしれないけれど、我々の立ち位置はそういうことだからよろしく」そういうと割って入ったのは、地元で産廃業で社長をしている荒川さんが割って入った。 「木村会長は相変わらず話が堅いなあ、そんな話ばかりでもつまらないでしょ。まあ酒でも飲んで山本さんの手がける事業の話しでも聞かせてもらいましょうや」 そのように言うと娘の紗耶がさっとお酌に入ってきた。 「地元の銘酒です。お口に会うかわかりませんが、まずは一口、玩味していただければ」 細身の体をねじる様に寄せてお酌をする紗耶の美しさに一瞬目を奪われたものの、すぐに取り直して荒川親子に向かって、どうぞよろしくお願いしますと頭を下げて挨拶をした。荒川社長は、 「これは娘の紗耶です。バツイチの出戻りで、今は、スナックの手伝いなどしてあんすが、もとは東京の商社でバリバリと勤めていたキャリアもあるので、山本さんの事業の中でも仲良くしてやっていただければ」と言って豪快に笑いだした。僕と紗耶は、何故かうぶな学生のように赤くなってうつむいていることしかできなかった。  普段はビール党で、日本酒は嗜む程度しか飲まないのだけれど、結局4合瓶を一人で空けて酔いつぶれて帰宅した。    後日、僕は地域コミュニティ実態調査の名目で地域の現地踏査に来ていた、案内をしてくれた木村町会長が是非見せたいものがあるということでついて行ったのが、とある渓流である。入渓地点には「熊に注意」の他に「ゴミの不法投棄禁止」「監視カメラ設置」などものものしい看板が並んでいた。  渓流そのものは地方の里山によくありがちな景観の良いものだったが、水質は思ったより悪い。都会の近郊の農業雑排水路とでも言えるような、濁りの混じった流れだった。渓流沿いの小道を20分くらい登ると、その原因がはっきりわかった。対岸の台地上になんらかの施設があり、そこから斜面下の渓流に向かって大量のゴミが不法投棄されていた。そのゴミはどうやら日常生活に出る普通ゴミのようだ。そして施設の方から小さな流れがあり、両手でせき止められる程度の小さな水路だが勢いよく何かの汚水が流れ下っていた。その汚水の色は、不透明な茶色だが、それが渓流の大きな流れに混じると、青白くくすんで濁った大きな流れになっていた。そこはまるで入浴剤をお風呂に入れたときのように色がかわり撹拌されている状態だった。 僕は思わず、木村さんに 「なんなんですかね?」と口に出してしまっていた。 「ゴミはわかるが、あの汚水が何で出来ているかは未だわからない。いずれ、不法に投棄されているゴミや汚水に違いない」悔しさと諦めの混じったような顔で答えた。 「明らかに問題じゃないですか!行政、いや警察に訴えても良いのではないですか?」僕もつい興奮して大声を出してしまった。 「そうなんだが、もう我々は、やれることはやったつもりなんだ」先にも増して消沈したように木村さんは答えた。 木村さんの話しによると、ことのいきさつは以下のようであった。 7年ほど前に新進気鋭の市長が現職を打ち破って当選した。地方の何の産業も無い都市であるにもかかわらず、「環境にやさしいまちづくり」「住みよく子育てしやすいまちづくり」のようなありがちなものに加え、「産業誘致による雇用の回復」「国際交流を通じた地域の活性化」など新たな施策も掲げての当選だった。  そして外国人技能実習生の門戸拡大という名の下の国による実質的な移民政策と合致した大規模な職業訓練センターが限界集落となっていた地域に建設された。一時期は、元来の町内などのコミュニティ側もこれを歓迎し交流活動などを行っていた。しかし、文化の違いによる様々な軋轢が生まれてきた。ここまでは、よくありそうな話である。 そしてこれに対して、私のようなコミュニティ活動を実践するような人材の確保などを通じた対策もはじめた。職業訓練センターが受け入れた外国人だけでも千数百人、間接的にかかわる職員などを合わせると三千人規模の人口となった。これは、もともとの限界集落の人数以上で、この地区は既に統計上は限界集落では無くなっていた。ここだけ見ると新市長の政策は上策だったかもしれない。 しかし、ここで問題が発生した。 行政側も急ごしらえの制度で、各所に綻びを生じさせていた。その弱点を悪徳業者が見逃すわけはなかった。業者らは暴力団関係者と結託し、あぶれた外国人労働者(中には不法労働者も紛れ込んでいる)たちの受け皿を作り、悪しき利権に貪りついた。それは、産廃業と新興宗教の二つのプロジェクトを柱としていた。先に見た渓流のゴミの上には、その産廃施設がある。 「若気の至りかもしれませんが、私から改めて役所の窓口なりに訴えてよろしいですか」 どうしても我慢ならなかったので僕は木村さんに話をしてみた。 「申し出はありがたいし、無理に止めるつもりはないけれど、少し慎重に当たって欲しい気持ちもあってね。良かったら、我々が過去に行った活動の記録を見てごらんよ。まあ、でも君がそう申し出てくれたことは大変ありがたいと思うんだ。そして、ここは我々が抱えている大きな問題の一断片に過ぎないことも、いずれ知ってもらえればと思う」  そう言うと、もと来た道を引き返し始めた。なんとも気が収まらないまま引き返し始めると、来るときに見えなかったものが見えてきた。  入渓点に「監視カメラ設置」の看板があったが、要所要所に極めて巧妙にカメラが仕込んであることに気が付いた。 「あれ、カメラありますね」と何気なく言うと木村さんは答えた 「さすがよく気が付いたね。いくつ見つけられたかな」などと謎かけのように答えてきた。 その答えの意味を探りながらあたりを見回すと、何か、恐ろし気なぞっとする雰囲気を感じた。このあたり一帯は見張られている。しかもそれは、戦場の前線のように、敵味方に分かれ、相互に監視する仕組みが出来上がっているようだ。私たち二人は敵の城のふもとへ偵察に来た斥侯のように思えてきた。 一体何なんだ。単なる田舎の町会長が、何の役割を持っているのだろうかと思うと、ぞっとして鳥肌が立ってしまった。 退渓して車に乗り込み、少し落ち着いた頃、僕は改めて町会長に尋ねてみた。 「あの監視カメラ、普通じゃないですよね。それを管理しているシステムは役所の環境課かどこかにあるのですか?」 「いや、あれは町会のものだ」そう答えると無口になってしまった。 いやいや、おかしいでしょう。僕には、そうとしか思えなかった。この集落は異常だ。僕は、そのときにはっきりと確信した。 木村さんは車で役所近くまで送り届けてくれ別れ際に僕に伝えてきた。 それは、この集落の抱える問題の本質に近づいてほしくて僕を不法投棄の場所を案内した。しかし僕は木村さんが思っていたより観察力、洞察力があったようで、一足飛びに町会が隠し持っていたシステムに気が付いた。でもあれは、町会でも数名の役員しか知らない隠し事でもあり、僕さえよければ、そのことは役所に報告しないで欲しい。そして、我々の記録を見て欲しい。というものだった。 「おかしな話をしているとは思うけれど、我々の地域を愛し、大切に守っていきたいという気持ちに嘘、偽りはない。いずれ、良かったら町会の見方になってほしい」と言い残し、僕を下した後、車で帰っていった。  僕ははっきりした理由も無いまま、木村町会長の言われたとおりに役所には本質的な問題は報告せずに過ごしていた。  そんなある日、改めて町会長さんを訪ね、活動の記録を見せてもらうことになった。  そこには、町会の苦闘の日々が綴られていた。  最初の1,2年はなんとか外国人労働者の方々とも仲良くやっていこうと町会の行事に招待したり交流が続けられていた。  しかし、その後、暴力団まがいの団体が産廃施設を作ったあたりから急激に状況が悪化してきた。その施設は、昔から優良な総合産廃業を営んでいる荒川社長のところの荒川産廃の仕組みをそっくりまねたものだった。しかし、真似をしていたのは最初の段階だけで、その後は役所の監視の目を巧妙に盗んで、廃棄物の処理段階で経費の掛かる部分を違法な方法で簡略化して暴利をむさぼるようになっていた。  ややこしいのは、外国人労働者たちは市の施策の上に誘致されているものであることと、妙な宗教団体までこしらえて隠れ蓑を作っていることだ。  規制当局もあまりに酷い違反があると思い腰をあげながら行政指導などをしているらしいが、根底から改善することはできず、場当たり的な対応のイタチごっこを続けていた。  それらの経緯の中で、地道に調査を重ね証拠を積み上げ、当局と掛け合っていた当事者に紗耶の名前がしばしば出てくることに気が付いた。時系列的に、東京から戻ってきてからずっとこのようなことを繰り返しているようだった。  木村さんに渓流を案内された日に、僕が勢いで行政に対して訴えようと考えていたことの全てが、既に沙耶の手によって行われていた。  報告書は3年前に違法業者が日常ゴミだけではなく、鉱滓などの産廃を違法に埋め立てていることについて証拠を集めて訴え出たところで終わっていた。  僕は、当たり前のように木村さんに聞いてみた。 「この報告の続きは、ないのですか?」  木村さんは、やはりそう来たかというような顔をしながら少し考えた後にこう答えた。 「その報告書の続きは荒川産廃にある。ただ、それは触れて欲しくない傷にかかわる部分になるだろうから、山本さんがそれに付き合う気持ちがないのなら、ここまでにしておいて欲しい。町会のシステムの件などを除けば、役所に報告してもらっても構わないし、既に十二分なネタは提供したと思う。ここまででも、十分、地域のドロドロした部分を見てもらっているわけだけれど、ここから先はもっと個人的に汚れた部分まで付き合わなければならないよ。」 その日は、そうですかと答えただけで帰宅するのが精一杯だった。4月に赴任して、すでに秋も深まっていた。  仕事に戻った僕は、下半期の目標として、いよいよ荒川産廃に乗り込む覚悟を決めていた。なぜそうするかの整理はできていなかったが、ここで止めたら駄目だという気持ちが強かった。  社長に挨拶をした後は、紗耶が内容について説明してくれた。 「私たちの問題に関心を持っていただいてありがとうございます」 紗耶は努めて冷静に事務的に対応してくれていたようだが、ありがたいと思っているのは本心のようだった。  理路整然とした紗耶の説明を聞けば聞くほど、頭の良さと地元に対する愛用があふれていることが伝わってきた。そして、その説明の仕方も抜群に上手で東京の商社でバリバリ働いていたというのも頷ける。今は会社の作業着を着ているが、スーツを着て大手町辺りを歩いている姿を想像してしまった。  しかし、そのうえで、どうしても説明しきれないミステリアスな雰囲気に魅了されかけている自分に気が付いていた。しかも不思議なのは、これまでの経験上、悪女というものがいるとすれば、それは自覚のないままに虜にするようなイメージがあるが紗耶は逆だ。  魅了されているという自覚を持てるから、予防線を張ることも出来る。色恋で頭がいっぱいになってしまって、仕事に身が入らないなんていうことも無い。  しかし、だからと言って、純粋な憧れとか尊敬の念とも違う、女性の身体がそこにあった。中背で細い体は肉付きが良いとは思えないもののシルエットは明らかに女性のもので、お椀のような胸やくびれた腰からピンと張ったヒップラインを意識すると、つい抱きしめてしまいたくなる衝動に駆られていた。頭と体が切り離されたような、どうにも狐につままれたような気分だった。 「あの、説明の仕方、このぐらいでよいですか?」 あらぬ考えに耽っているのを見透かしたように、紗耶は訪ねてきた。決して偉ぶるわけでも蔑むわけでもない表情に見とれてしまったが、気持ちを引き締めなおすこととした。 「ごめん。ちょっと考え事していたのバレちゃったかな?集中して聞くようにするよ」  紗耶の話しを聞けば聞くほど、不条理で残念な展開と、それに出来る限り抗ってきた経緯が鮮明になった。  合法的な範囲で集めた現地の状況の写真や動画、インターネットその他にある団体の広報の内容、役所に文書の開示請求をして入手した文書、周囲の住民からの聞き取りに留まらず、地元の新聞記者ほかマスコミ関係者らとの共同作業、匿名の密告文などを収集するところから始まりっていた。しかし、それらをもとに高圧的に交渉するわけではなく、地道に対話と説得を繰り返してきた経緯もわかった。  しかし、いつのころか団体vs荒川産廃の構図がはっきりとしてきて、少し伺い知るだけでも様々な嫌がらせを受けてきたようだ。荒川産廃はもともとは、可能な限り地域に開かれていたが、そのころから道路の周囲に巡らせている防塵用の壁を高くし、その内側には有刺鉄線を敷き、監視カメラも設置した。その様子は、さながらちょっとした要塞のようにも見え、知らない人が初見で見れば、荒川産廃こそ、中で違法行為でもしているのではないかと思わせるような様子であった。  そんな諸々の話しを何回かに分けて聞いていた。  秋も深まってきたころ、僕は役所の担当者にこれまで地域で調べてきた内容について、どのように対応していくべきか率直に相談してみた。担当者は、少し困ったような顔をしたものの、想定の範囲内という感じで答えた。 「君の好きなようにすればいいよ」  投げ槍ともとられるような回答ではあったが、皆も同じような問題認識を持ちながら立場上動けない。だから僕に対しては、詳しいことは聞かずに好きなようにすればよい。そのような意味だと思った。 「まあ、君との雇用契約は1年か長くても2年だし、その間に何か目立った成果を求めている訳でもないから」きまり悪そうに補足した。  僕は、それまでにも増して町会や荒川産廃に通うようになっていた。  団体が鉱滓を不法投棄したことを告発したあたりは見せ場だ。  2年前くらいになるだろうか。紗耶らが、不法投棄している様子の証拠書類等を集めて、地元の役所を飛ばして環境省とマスコミにリークしたのだ。上から状況確認の連絡が入り、マスコミにも騒がれるとさすがに地元の役所や警察も積極的に動かざるを得なくなった。結果的に団体は全面的に非を認め、鉱滓を全量撤去し、悪影響を及ぼした関係者へ謝罪と損害賠償を行った。 「いや~この辺りの話しは痛快だよね」 「でしょ!」紗耶も嬉しそうだ。 しかし、この後の記録がここでもぱったりと途切れている。そのあとは、どうなったのだろう。木村町会長が言っていた「ドロドロ部分」という表現も気になっていた。しかし言いにくい話なのだろう。どうしようかとためらっていると、またも紗耶から切り出してきた。 「この後の話、気になる?」 またも見透かされたかと、少しドキリとしながら、ああとだけつぶやいた。 「ねえ、私のこと好き?」 突然の問いかけに硬直してしまった。実際に今、紗耶のことが好きになっていた。いや、最近は、もうそれを通り越して紗耶のことしか考えられないくらいになっていた。 「はい」僕は正直な思いを伝えるだけが精一杯だった。 「ありがとう。私も山本さんのことは好きよ。でも、山本さんは私のことをきっと誤解している。いいえ、誤解以前に知らないの」 僕は、そういう紗耶を凝視していた。いつもの理知的な顔つきではなく、紗耶の瞳は開いて甘く潤んでいた。僕は今にも押し倒してしまいたい衝動をこらえながら、紗耶のことを知らないという言葉の意味を探っていた。  確かに紗耶とは、ここ半年ほど多くの時間を一緒に過ごし、会話をし考え方を共有し共感しあってきた。しかし、それは仕事の話しであり、他愛のない世間話だった。僕はそれでも僕と紗耶の考え方の共通性を見出し、価値観が似ていることを確認していた。それとともに紗耶の身体つきに性的な衝動感じるのを抑えきれなくなってきていた。でも、それが恋とか愛とかとも違うような気もしていた。学生の頃に感じた純粋な恋心とは似て事なる。そしてそれは、美しくなく強烈な欲求のようなものの感じだ。  紗耶は続けた。 「私のこと知ったら、山本さん、私のこと嫌いになるかしら」  それは、嫌いにならないで欲しいという気持ちと、きっと嫌いになるだろうし、そうなっても仕方ないという思いが入り混じったような顔つきだった。 「わからない。けれど、好きでいたいと思う」 「これから聞いたことは内緒にしてもらえる?」 「ああ」 そんな簡単な確認をされたあと思いがけない話を続けた。 「私ね、あのあとレイプされたの」 「……」 「まあ団体の腹いせでしょうね。私は、バツイチの出戻りで、風俗なんかで働いていた経験もあるから、処女性なんて価値はないのだろうけれど、そのときはたまたま一緒にいた町会長さんの娘さん、まだ高校生だったんだけれどもやられちゃってね、可哀そうだったわ」 「え、そう、なんだ」合いの手を入れるのがやっとだった。 「まあ、今のはたとえ話で序の口よ。あまり嫌いにならないでね」 飄々と答える紗耶に、何と答えると良いかわからないままでいた。 少なからずショックを受け、半分うわの空で紗耶の話しを聞いていた。風俗で働いていたのは短期間で、金銭に困ったとか、何かに対する反抗心のようなものではなく、単なる好奇心のようなものとのことだった。性欲があるなしという訳ではなく、それが理由ではなく、自分が何者で何をどこまでできるか考えているうちに風俗で働くことを経験してみただけのことということだった。東京での商社勤めや結婚生活も順調だったが、このことがなんらかの理由でバレて、いろいろといざこざがあって、結局、離婚して出戻ってきたというものだった。  二十代半ばにして女性経験も無い自分からすれば、想像もつかない話だった。  集落においても、鉱滓の撤去以来、団体からの嫌がらせは陰湿かつエスカレートしていたが、レイプ事件を境に下火になったそうだ。意趣返しを果たしたということなのだろう。犯人はどうなったのか、やっとの思いで聞いてみると、一人がつかまったが、前歴のある不法滞在者で団体とは関係のない単独犯という整理となったらしい。トカゲのしっぽ切りというあたりだろう。  しかし集落の中での喪失感や憤懣は溢れるばかりで、そのころから町会も表立った活動は抑えて、監視カメラの設置や自警団など戦時下を思わせる重苦しい活動の様相を呈してくるようになったそうだ。  町会長さんの言葉は、何より自分たちに対しての言葉だったのだろう。  その日以降、僕はしばらくの間、茫然と過ごしていた。  役所と自宅のアパートをとぼとぼと往復する日々を送っていると、紗耶からショートメールのメッセージが届いた。 「山本さん、これからどうするの?」それだけだった。  どうすれば良いかわからない。どうしようもない?しばらくしてから 「考え中」とだけ返信した。紗耶からは、即レスがあった 「続きの話しをしませんか」 ぼんやりとした頭で、何の話しをするのかと思いながら、それもいいかもしれないなと思い直し、久しぶりに荒川産廃を訪ねることとした。  久しぶりに会った紗耶は、前回の話しなどまるでなかったかのように、これまで半年の間進めてきた地域の現状と課題などの話しを始めた。冷静で理性的で知的な紗耶のままだった。  一瞬ためらいを覚えたものの、それをさえぎる積極的な気持ちにもなれず、また、時間をかけて沁み込ませたルーチンの惰性は強く、その話の流れに乗ってしまっていた。  しばらくたつと、まるで、あの日の会話のみが、夢かおとぎ話だったのかとさえ思えてくるようになった。  そして、僕も僕なりに自分で何ができるのか証明してみたい気持ちになってきていた。  年を越した1月の中頃、僕は紗耶に相談した。  役所との雇用契約は更新しない。僕たちの職は国から補助金をもらっている制度の都合、退職するかしないかに関わらず、4月に前年度の活動を報告会で発表することになっている。僕はこの問題を政治問題として取り上げようというものだ。  これまで紗耶たちが行ってきた告発は、十分に準備されて有効な内容だったけれど、対症療法的で問題の根本的解決には至らない。僕が僕なりに考えた結論は、政治と行政が上手く機能していないから、問題を大きくし放置してしまっているという論をはるものだ。  その話を聞いた紗耶は珍しく、いや僕との話の中では初めて、父である社長に相談してみるということだった。確かに、ことの重大性を考えると理解も出来るが、紗耶の判断で紗耶の言葉を聞けると思っていた僕は、ここで社長が出てくることに少し違和感を持っていた。  社長もめずらしく真面目な顔で 「リスクが大きいと思うが、最後までやり遂げる覚悟か?」と重々しい質問をしてきた。  そうである。僕が浅はかであった。僕は雇用契約を打ち切り、どこか違う地方に転職すればいいという程度の考えであったが、地元では新たな火種を生むことになる。 「わかりません。しかし、僕の一存で発表し、地域の皆さんにはなるべく迷惑をかけないような形にしたいと思います」 「それじゃあインパクトが弱いな」 「そうですね。しかし、また団体と地域との間に戦いの種を落とすわけにはいきません」 「それも、そうだな。では、荒川産廃の問題を取り上げてもらってはどうだろうか」 「しかし、それでは荒川産廃にご迷惑をかけてしまいます」 「心配は無用だ。我々もこのままではジリ貧で、何か手を打たなければと思っていたところだ。どうせなら現市長を倒すところまで頑張ってもらえればありがたいが、それは我々の課題か」 「そういうことなら是非、力になりたいと思います。共同戦線ということでお願いします」 「いや、それはできん。山本君、君は好青年だね。なんなら家の婿に迎えたいくらいだが、荒川産廃も秘密を抱えていてね。違法なことに手をだしているということだ。君には迷惑をかけたくない」 「え、そうなんですか」 僕はそう言うと、黙り込んでしまった。荒川社長は安全第一、ルールは厳守をモットーとしており、特に仕事に絡む環境系のところはチェックの鬼と思えるほど、基準を厳守していた。そして団体の連中の違法行為を憎むような話をしている社長の口から出てきたとは思えないことだった。そんな心中を察してか、社長は続けた。 「いや、決してやましいことをしているつもりはなかったんだが、連中と戦っていると、どうしても不可抗力で避けられないこともあったということさ」 「それなら…」と言いかけた僕をさえぎって社長は続けた 「とにかく、君のことは応援しているよ。わが社をダシに使ってもらってよい。しかし君が、わが社の沼にはまらないようにお願いだけはしておく」 そう言い残すと席を離れてしまった。 紗耶が続けた。 「お父さんも嬉しそうだった。私からもぜひよろしくね」  それから年度末までの日々は紗耶と一緒に現市政の批判をするプレゼン資料の作成の日々を過ごした。それは同じ目標に向かって進む、甘く輝かしい日々の連続だった。役所の中での報告書はダミーを用意しておいて、発表会当日に告発するような形になる。それも声を張り上げてプロパガンダを行うという体裁ではなく、あくまで既に行政の内部を通過してきたような風で理路整然とスマートに発表をするということで考えていた。  それから3か月経ち、僕は役所の退職手続きを終え、隣県に引っ越しを済ませていた。発表会のプレゼンテーションの日だけは、手当が出て招へいされるという形だ。  プレゼンテーションの舞台は中くらいの会議室といった程度で、傍聴者は事務局を含めて30名程度のものだった。しかし、その中には補助金を出している省庁の関係者は地元大学の教授、商工会の幹部などがいたので対象に不満はない。そして何よりマスコミが数社いてテレビカメラも回っていることが心強かった。  若手の関係者などはスマホで写真や動画を撮ったりしている。  いくつかの次第の中で僕の発表の持ち時間は15分だった。僕は、途中で発表を止められることを考えて、冒頭1分程度で概要を説明し、プレゼンテーションと同時に資料をSNSにアップすることとしていた。  さて、発表が始まると、みるみる関係者の顔つきが変わってくるのがわかった。最初の内はカメラを意識して、目立たないように職員がやめろやめろとジェスチャーで伝えてきたが、概要説明が終わり、ものの2,3分でプロジェクターやマイクの電源が落とされれた。それでも大きな会議室でもないので地声だけで発表を続けた。とうとう担当課長が、止めさせて外に出せと声を荒げたところで僕は職員数名に囲まれて、両腕をつかまれ背中を押されて会場の外へでた。担当者の一人に「何てことをしてくれたんだ」と叫ばれたものの、努めて冷静に「すみませんでした」と言い残して会場を後にした。  外の道路には、こうなるだろうと見越していた荒川社長が車で待っていた。 「どうも、すみません」そう言って車に乗り込むと紗耶がはしゃいでいた 「見て見て、このSNS、ものの10分程度で拡散が始まってるよ。うわ~これ、どこまで広がるのか楽しみね」  僕は達成感とともに、やってしまった。もう引き返せないところまで来てしまったという思いをかみしめていた。  社長の奨めもあって、僕はそのまま荒川産廃へ向かうこととした。社屋に着くと、僕はいままで見たこともなかった社長室隣の部屋に通された。そこは監視カメラのモニターや制御用のPCが並ぶ異様な部屋だった。  そこには木村町会長が先客としていた。 「やってくれたね山本君。おめでとう。初めてあの渓流に案内した日が懐かしく思い出されるよ。そして、こんな日が来るなんてね」 「は、はあ」驚いて何も言い返せずにいる僕に向かって町会長は説明をはじめた。  町会では荒川建設と表向きは距離を置いているように見せかけつつ、集落に張り巡らせた監視網などを共有して自分たちの安全の確保を図ってきたとのことだ。そして、いつか体制を打倒し、センターや団体の悪行を白日のもとにさらしたのちに断罪するつもりだった。ただ、次の段階に踏みだす勇気ときっかけがなかったというものだ。そして、ひょんなことから、その役割を僕が担ったと。  ああ、そういうことだったのか。僕もようやく得心がいった気がした。 「今晩はきっとお祭りになるよ」町会長が沸き立つような顔をして言った。 荒川社長は、やれやれといった顔で見ている。紗耶は、僕にそっと寄り添いながら「良いものを見せてあげる。さながら、現代の真田丸といったところよ」 などと会話しているうちに、木村町会長がモニターを見ながら、早速お出でなすったと伝えた。 「単純なやつらだ」  モニターを見ると、団体の産廃施設や宗教施設から暴力団風の車や暴走族のバイクなどが十数台出てくるのが見えた。 「よし、マスコミには連絡した。警察はあと5分後くらいで良いだろう。正味10分の戦闘だ」木村町会長が言うと、紗耶が僕に向かって 「ついてらっしゃい。面白いものを見せてあげる」 というと、敷地の外壁近くの棟に駆け向かった。 ほどなくして、連中の車やバイクが爆音を鳴らして走り寄ってきた。 「あいつらホントに馬鹿だよね。もっとひっそりやればいいものを、あれじゃ自分たちが悪者だって言いふらして歩いているようなものじゃない。そんなことも気が付かないのかしら」 そう言いながら、準備していた投光器やサイレン、放水銃などのセットアップを始めた。 「何これ!?準備してたの?」 「いや、こっちも馬鹿みたいに見えるかもしれないけれど、一応、こっちは先方の様子を調べながら、予想と対策をしていたってわけよ」 そう言いながら、爆音を響かせ投石等を行いながらやってきた連中にフラッシュやサイレン、放水などで対抗していた。 「あんたもやってみなよ」そういうと、僕を放水銃の台座に手招きした。 「あはは、上手い上手い、初めてにしちゃ上出来ね。見て見て!あのバイクのズッコケかた、あははうける~」いや、紗耶もたいぶハイになっているようだ。 「お父さんには止めておけって言われてるんだけど、私も投石で反撃するわ。放水銃は任せたから」 そういうと石弓のような投石機を引っ張りだしてきた。いつの時代の武器だよ。 「よっしゃー!ベンツ2台、傷物にしてやったわ」 などと盛り上がっていると、木村町会長さんから通信が入った。 「あと数分で、警察とマスコミが到着する。撤収するよう」 「なーんだ。もう終わりかあ。仕方ないわね」 こちらの攻撃の手が緩まったのを見ると、連中の反撃は強まった。投石も一斉に行われ、敷地には火炎瓶も投げ込まれた。 僕たちのいる棟にも石ころが投げ込まれガラスが割れた。平時の僕なら、なんて危ないんだ、ぶつかったら怪我をするか、最悪命を落とすことだってありえる。なんて考えたんおだろうけれど、今の僕には、こんな石ころが当たるわけがないと思っていた。 ほどなくして警察やマスコミに囲まれた荒川産廃からは連中は蜘蛛の子を散らすように撤収していった。 監視室に全員が戻ると社長は言った。 「今日はこれで終わりだ。私は警察とマスコミ対応をするから、皆は抜け道から出て帰ってくれ」 「そんな、僕も残りますよ」と言うと 「今は、その時期じゃない。またの機会にお願いするよ」 と言って、正門の方へ向かっていった。 「いや~最高だったね。まあ、今日のところはお暇するかな。後で打上げでもやろうよ。じゃあね」町会長さんも、そそくさと帰っていった。 「なんか、終わるとあっけないね。花火大会の後みたい。じゃあ、帰りましょうか」 紗耶も随分とあっさりしているもんだ。 そう言うと、抜け道に向けて案内してくれた、正門から随分離れた棟に案内された僕は、こんなところに抜け道を作っているのかなどと正直に関心していた。 「ねえ雄二」滅多に名前で呼ばれたことが無かったので少し驚いて「何」と答えると、 「抱いて」そう言うと自分から抱きついてきた。 「これは私たちだけの秘密ね。  約束、破ったら殺すからね。絶対に秘密だよ」  いたずらっぽく笑いながら僕を見る紗耶に、僕は、ああと答えながら、その吸い込まれるような瞳の魔力に釘付けになっていた。  その4月の爽やかな夜以降、僕と紗耶は情事を重ねていくこととなった。  隣県に引っ越し環境NPOに就職した僕は、休みの度に荒川産廃に通っていた。その様子は知る人には知られ、似合いのカップルなどと持ち上げる人も出ていた。あの日以降、やつらの産廃施設や宗教団体はマスコミや司法の追求から逃れられず、解散の憂き目にあっていた。職業訓練センターも政治論争の的になり、市民や議会からの追求も厳しくなり、現市長の絶対的な支持基盤すら脆弱となっていた。  そんな中で慢心があったのかもしれない。  集落の近くで待ち合わせた僕と紗耶はマイカーに乗り込み荒川産廃へ向かった。そこを怪しげなベンツに待ち伏せされていた。気が付いたように紗耶が言った。 「ねえ雄二、なんとか荒川産廃まで持ちこたえて。」え、何でと聞く前に、走行中のコンパクトカーにベンツが激しく追突した。あ、やられたと僕は思った。こんな丸腰の状態で襲われたら、なすすべがない。仮に荒川産廃に逃げ込めても、今日は休日だ。従業員もいなくて閑散としている。そして今日は町会の会合日で社長や町会長もいない。奴ら狙ってたな。  荒川産廃までは、そう遠くないといえ、これからは少し峠道に差し掛かる。ベンツの方が機動性は圧倒的に高い。高速で逃げ切れるものではないし、バランスを崩されると谷底行きだ。しかし、ゆっくり走っていれば高速で追突してペッシャンコという算段だろう。こちらを確実に殺害するつもりなら別な方法はいくらでもあるわけで、せいぜい恐怖心をあおってから大けがをさせるか、死んでも構わないという程度だろう。車を止めて降りれば、殴る蹴るといったあたりか。  紗耶がバックの中を漁っている。スタンガンや小口径の銃迄持ち出した。なんて物騒なもの持ってるんだ。どれも使えないと思ったのか、スマホで電話をし出した。 「おい親父。Gシステムのパスワード教えろ」何で等と聞くようなタイミングで、ベンツがまた追突してきた。何かを察したように紗耶は親父から何かのパスワードを聞き出したようだ。  僕は必死で貧相なコンパクトカーを運転していた。とにかくカーブでインからアウトに押し出される形が一番まずいと思い、インベタの苦しいラインを致命的なタイミングを外すようになんとか逃げ回った。 「もう少しで荒川城だ!勝ったぞ!」荒川産廃が近づくと紗耶は奮い立たせるように言った。 「よし、入ったな。雄二、私の言うとおりに走れ」 場内を右へ左へと走らせられる、スマホで何やら場内の機会を遠隔起動しているようだ。 「おい、また同じルートじゃないか」 「いいから、準備とタイミングが必要なんだよ」 スマホでピッピピと操作音が聞こえる。 「よし、大詰めだ、雄二、絶対間違えるなよ!次の角を右に曲がると行き止まりだ。壁の直前で車を停めたら乗り捨てて近くのはしごでもなんでも出っ張っているものにつかまれ。わかったか!」 「OK!」 「よし右ターン。シートベルトを外せ」 ターンすると言う通りにそこは壁だった。急停止すると車を乗り捨てはしごにつかまった。紗耶は左右反対側のはしごにつかまっている。追いかけてきたベンツも急停止して中から2人が降車しようとしていた。その瞬間、ガシャーンと床が抜けベンツは下に転落していった。 「よし、止めだ」そういうと紗耶と僕の間にあった壁が開いてコンクリートの塊等がガラガラとしたに落ちていった。扉が閉まりもうもうと沸き立つ埃が収まるとようやく紗耶と話ができる状態になった。 「あれ、死んだんじゃ…」茫然と聞くと 「そうだな、前に私らをレイプした犯人、一人しか捕まらなかったって話したよな。あいつ命拾いしやがって。他の連中は今と同じ目にあわせてやったんだ。  これは私たちだけの秘密ね。  約束、破ったら殺すからね。絶対に秘密だよ」  いたずらっぽく笑いながら僕を見る紗耶に、僕は、ああと答えながら、その吸い込まれるような瞳の魔力に釘付けになっていた。
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