21人が本棚に入れています
本棚に追加
お飾り令嬢。
彼女はそう呼ばれていた。
「摩耶お嬢様、本日のご予定ですが午前中は宮守書店の役員会議、午後は宮守建設の現場視察。夜は花井議員の還暦を祝う会に出席となっております」
秘書である狭山が摩耶に予定を告げる。それが宮守グループ総帥の娘である摩耶にとって当然の仕事であるかのように。
摩耶はメルヘンチックにまとめられた自室の風景に辟易しながら、狭山に言い返す。
「相変わらず、無愛想な男ね狭山。無表情で気持ち悪いわ。それに宮守書店の役員なんて私はほとんど知らないわよ。会議に出席したって、仕方がないでしょう。建設現場だって、私にできることは何もないわ。意味のない笑みを浮かべるだけ。議員の還暦も知ったことじゃないわよ。これほど不景気で国民が苦しんでいる時代に、還暦を祝う会なんて開くような世論もわからない老人なんて、さっさと辞めればいいの」
頬杖をつきながら言い放つ摩耶。それに対して狭山は表情一つ変えずに、ただメガネの位置を直して答える。
「そうおっしゃらずに、どうか。会議も現場もお嬢様がお顔を出されるだけで、華やぐというものです。それによって役員や社員の士気が上がれば、利益につながりますので」
「何が士気よ。お飾り令嬢には何もわからないと思って、馬鹿にして笑っているだけでしょ」
「いえ、お嬢様は宮守グループの華でございます。お嬢様に良いところを見せ、褒めてもらいたいと心から思っているんですよ」
狭山にそう言われた摩耶は呆れたようにため息をついた。
「子どもじゃないんだから。まぁ、それは仕事だから仕方ないわ。でも還暦を祝う会なんて知ったことじゃないわよ」
「花井議員には様々なお力添えをいただいておりますので、欠席するわけには」
「知ってる? あのジジイがどんな目で私を見てるのか。階段の下から下着を覗き込むような顔で私を見るのよ。枯れ木みたいな見た目なのに、欲は枯れてないのね」
「あまりにも酷いようでしたら、私の方からフォローを入れますので」
摩耶の言葉を受け止めながらも、予定は崩そうとしない狭山。
仕事なのだから当然だ。それは摩耶もわかっている。一応、文句を言っているだけだった。
個人の能力ではなく、宮守グループの令嬢として、肩書きと見た目だけが求められている。摩耶も自らの役目を理解しているので、グループ役員たちからお飾り令嬢と呼ばれていても、仕方がないのだと受け入れていた。
「わかったわよ」
どれだけ文句を言っても、最終的に摩耶は全ての仕事を受け入れる。
そんな彼女の心を支えているのは、尊敬する父親への気持ちだった。彼女の父、宮守 明は日本を代表する財閥宮守グループの総帥である。
摩耶はそんな父親を支えるために、お飾り令嬢を続けているのだ。
「今日も頑張ろうかしら『お飾り令嬢』をね」
「心にもないことをおっしゃられますね。何せ本日は四月一日、『エイプリルフール』でございますよ。摩耶お嬢様が一年間、楽しみになさっていた日ではありませんか」
「ええ、わかる? 狭山。私がこんな趣味じゃない部屋に住み、自分でも鳥肌が立つような嘘くさい笑みを浮かべ、容姿だけ優れた無能お飾りっぷりを見せつけていられるのは、この日があるからなの。ああ、今年はたった三件しかないのね」
摩耶は胸の前で両手を合わせて、うっとりした表情を浮かべる。
それでも狭山は表情を変えないが、声色は少し呆れているようだった。
「先ほどまでは他の日のように、文句をおっしゃっていたではないですか」
「癖よ、癖。仕方ないじゃない。毎日、狭山に文句を言わないと落ち着かないのよ」
「随分迷惑な趣味をお持ちでいらっしゃいますね」
「その無表情が、顰めっ面に変わるのが見たくって」
そう、今日は四月一日。一年で唯一、嘘が許される日である。
摩耶はこの日を待ち侘びていた。具体的には去年の四月二日からずっと。
そのまま摩耶は狭山を連れて、宮守書店の役員会議に向かう。
宮守書店社屋の最上階。会議室に麻耶が入ると、すでに十数名の役員が席に座り、彼女の到着を待っていた。
「遅れて申し訳ありません。準備に時間がかかってしまって」
摩耶は白百合のような微笑みを浮かべ、自分のために用意された椅子に座る。
最初のコメントを投稿しよう!