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 高松虎見が上司に呼び出されたのは、昼過ぎの事だった。  上司も驚いたように虎見に告げた。 「殿直々にそなたへの上意下達(じょういかたつ)だそうだ。ついて参れ」  上司も少しばかり顔が強張っている。  二人が平伏していると、衣擦れの音がして忠順がやってきた。上座に着座し、朗々とした声で言った。 「面をあげよ」  城主に仕えているとは言え、直々に対面する機会など、年に一度あるかないか。  家督を継いだばかりの若き城主と思っていたが、声は威厳に満ちていた。  上司と虎見は顔を上げた。 「高松 虎見とは、そちの事か」 「はは。仰せのとおり、高松虎見は私にございます」 「そうか。そなたに頼みたい事がある」  そう言って忠順は立ち上がり、虎見の前までやってきた。  にじり寄って、虎見に耳打ちした。 「そなたは山入りの名人だそうだな。そなたにしか頼めぬ。江戸への参勤に随行させられず申し訳ないが、我が妻たっての頼みでな。叶えてやりたいのだ。引き受けてくれぬか。随行できぬことでそなたの面目が潰れぬようにする故、頼む」  そう言って忠順は虎見に頭を下げた。  上司と虎見は慌てて、平伏した。 「お止めくださいませ」 「拝命、仕ります」  虎見は忠順に深く頭を下げ、忠順は満足気な表情を浮かべた。  その日、家に帰った虎見は嬉しそうに妻の雪乃に報告した。 「殿から直々のお召しでな。特命を仕った。参勤の江戸へは征かぬ。これからもそなたの側にいられるぞ」  夫、虎見の報告を受けた雪乃は驚いた。 「虎見様、それはようございました。私も嬉しうございます」 「おう。私が山歩きが上手いことを殿が知っておいででな、この時期に生える茸を江戸にいる奥方様に届けることとなったのだ。その茸は子宝に恵まれるという茸でな、江戸では生えぬし、他の者では毒茸と見分けがつかぬ。私だけが受けられる命ぞ」 「そうでございましたか」 「それにな、殿は江戸の参勤に征かぬ事で私の面目を潰したと報酬を賜った。それから、そなたの胸の病に効くと言う粉薬もな。さ、これを飲むのだ。殿から賜った薬ぞ。そなたもきっと良くなろう」  雪乃に忠順から預かった粉薬を飲ませると、雪乃はうつらうつらと眠り始めた。  虎見は雪乃を眺めながら、優しき忠順に真心を込めて仕えて行こうと決意した。
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