46人が本棚に入れています
本棚に追加
八
「おぎゃああぁ、うぇっ、おぎゃあぁっ」
元気な産声が響く。
忠順と伽椰子の間に生まれたのは、姫であった。
「なんと元気な姫よ」
自分の腕に抱いた小さな子の生命力に感動した忠順がつぶやく。
「千登勢が静かな子でしたからね」
伽椰子は側にちょこんと座り、物珍しそうに妹を見る千登勢の頭を撫でた。
小さな姫は「美尋」と名付けられた。
忠順は腕に美尋を抱きながら、前に座っている千登勢に話しかけた。
「千登勢、そなたはこの家の跡取りぞ。父はこれから、国に戻らねばならない。父が江戸からたった後は、そなたがこの家の跡取りとして、しっかりいたせ。母や美尋の助けとなれ。頼んだぞ」
神妙に父の話を聞く千登勢の顔つきが、少しだけ大人びた。
父から頼りにされたことで、跡取りと言う自覚が幼いながらに芽生えたようだった。
「父はいつでもそなたたちと共にある。父を忘れるでないぞ」
茶目っ気たっぷりに言い添えて、千登勢のぷくんとした頬をつついた。
迫りくる家族との別れを惜しむように、忠順は子供たちと妻をぎゅっと抱きしめた。
◇ ◇ ◇
江戸の大名屋敷を出発し、帰路につく。
臣下の者たちは、生まれたばかりの御子を置いて、藩に戻らねばならない忠順の気持ちを慮った。
行きにポソポソと話をしていた者たちも、神妙な面持ちで静かにしている。
「さて。行きの話の続きをしようではないか。そなたら、江戸での土産話を持ち帰るのではないか?私にも話してみせよ」
後ろから突然声をかけられて、二人は飛び上がるほど驚いた。
「と、殿!!!」
「なぜ、ここに? 輿に乗られたのでは?」
「輿には、漬物石が乗っておる」
神妙に答えた忠順に、二人が笑った。
慌てて、口元を抑えて頭を下げる。
「どうせ運ぶのなら、漬物石が乗っても良いではないか。私は歩けるのだからな」
そう言って忠順はカカカと笑い、慌てて袖で口元を隠した。
「まずい、爺に見つかったらまた叱られる。さ、また、楽しく我が藩に戻ろうぞ!」
忠順の言葉に、家来たちは笑顔で頭を下げた。
家来に愛された藩主の参勤交代の様子であった。
〈了〉
最初のコメントを投稿しよう!