引越しそば

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引越しそば

 三郎は東京の大学を卒業して、地元の企業に就職することになっていたので、地元への引っ越しをすることになった。  地元とはいえ、実家と近いわけではないので、大学の時と同じように一人暮らしをすることになった。  会社の寮などがあれば楽だったのだが、地元は結構な田舎で、大多数の人が実家から通ってきている為、寮などはなかった。  そこに持ってきて、三郎の地元は葬儀や結婚式においてはようやく自宅で行うことは無くなっていたが、それでも隣組の考え方はまだ残っているのだ。  実家の母には、引っ越した先の周囲の人に失礼のない様に、ちゃんと引っ越し蕎麦を配り、引っ越しの手伝いをしてくれた人にも、引っ越しが済んだ後、お礼を言って引っ越し蕎麦を一緒に食べるようにとしつこく言われていた。  三郎も大学から一人暮らしをしていたのだからご飯を炊くとか、野菜を切ってカレーを作る位の簡単な料理をすることはできるのだが、乾麺は一度しか茹でたことはなかった。  最初に実家から送ってもらった素麺をゆでたときに吹きこぼれて大失敗したのだ。ガスコンロの掃除がものすごく大変で、麺も芯が残ってとても不味かった。  向こう三軒両隣に配る蕎麦に関しては問題はなかったが、手伝ってくれる予定の会社の同僚になる人たちと食べる引っ越し蕎麦について大変困った。  近所には蕎麦屋はない。  どうしても蕎麦でなければいけないのだろうか。 「なぁ、何で蕎麦じゃなきゃダメなわけ?手伝ってくれる予定の会社の人なんて若いんだしさ、牛丼とかさ、そう言うのでもいいんじゃないの?」  牛丼であれば、チェーン店が近隣にあるので、そこに連れて行けばすむのである。 「何言ってるの。会社に入るなり、『常識のない奴。』って言われてもいいの?引っ越しにはお蕎麦に決まってるでしょう?あ、最近出ている流水〇なんて、だめよ。ちゃんと乾麺か生めんのお蕎麦を茹でるのよ。」  あぁ、面倒くさい。薬味の葱を切る位は良い。めんつゆは市販の物を薄めればよい。でも茹でるのを失敗したら何もかも台無しだろう。  何かいい方法はないものか?  と、考えながら引っ越しの荷物をまとめていた時、台所用品の中からパスタを電子レンジで茹でる容器が出てきた。  三郎は実は麺類が好きだ。パスタは百円均一のお店で、この電子レンジで作れる容器を見付けてから、何度も作っている。ソースもそのまま掛ければよいものが売っているので大変便利なのだ。  その時、『そういえば、最近は素麺なんかを茹でられる器もあったな。』と思い至った。  三郎は引っ越しの荷造りは一旦やめて近所の百円均一を見に行った・・・が、素麺をゆでる容器はあったが残念ながら蕎麦を茹でる容器はなかった。  どこか別の所に行けばあるのかもしれないが、これ以上時間を無駄にすることもできない。もう明日には引っ越しだ。  三郎はあきらめて、買い物に出た足で、有名店のそばの乾麺を10束購入し、引っ越しに備えて荷造りを進めた。  翌日、引っ越しのトラックが来たので積み込みを確認し、自分は電車で引っ越し先に向かった。  道路が混んでいるらしく、トラックの到着が遅れていたので、先に、昔から言われる、『向こう三軒両隣』に挨拶をしながら引っ越しそばを配った。  新居はマンションなのだが、大家さんが向かいの家に住んでいるので、ついでだと思い、一戸建てのお向かいの三軒とマンションの両隣に建っている家にも配ったのだ。  後はマンションは一階なので、それこそ両隣と、念のため上の階の人にも配った。  残りは2束である。  一束で2人分入っている。  会社の人は3人来ると言っていたので足りるだろう。  問題はちゃんと茹でられるかどうかだ。  引っ越しのトラックはその後無事について、会社に連絡すると、手を開けて待っていてくれた同僚になる若い人が3人手伝いに来てくれた。  引っ越しの手伝いなので男性ばかりが来ると思っていたのだが一人女性が混じっていた。 「荷解きは得意なの。引越しって力仕事ばかりじゃないでしょ?よろしくお願いします。佐々木と言います。」  何やら不審げに女性を眺めてしまっていたと気付かされた三郎は慌ててあいさつした。 「あ、いや、すみません。本日はお手数かけます。小林三郎です。これからも宜しくお願いします。」    他の男性社員二人も続いてあいさつしてくれた。  何と全員が三郎と同じ年で、会社近くの大学を卒業していたので、一足先に研修に入っていたのだった。  つまりは同僚ではなく、同期が研修中に最後の新入社員の三郎の引っ越しを手伝いに来てくれたのだった。  同期になるとあって、手伝いの3人とは三郎は同じ年と言う事もあり、和気あいあいと引っ越しの荷物の荷解きをしていった。  一人暮らしの荷物など大したことはないのであっという間に引っ越しそばを食べる時間が来てしまった。  荷を解いたばかりの鍋を洗い、水を入れて沸かし始めた。  そこで、三郎は、正直に打ち明けた。 「あのさ、俺料理ができないわけではないんだけど、乾麺を茹でるのは一度失敗してから茹でたことないんだよね。」  手伝いに来ていた3人は一瞬キョトンとしたが、男性社員二人は笑い出した。 「いや、普通に料理できれば立派だよ。俺達ずっと実家暮らしだから米砥いだこともないよ。この辺ってまだまだ昔な感じでさ、さすがに男子厨房に入らずとは言わないけど、親父たちがあまりいい顔しないからね。」  佐々木と名乗った女性社員はプンっとした顔で言った。 「全くねぇ。本当にこの辺の人は昔っぽいよね。今時はそんなこと言ってたら、ハラスメント地獄に落ちるわよ。ま、いいわ。小林さん、今日は同期のよしみでお蕎麦を茹でで進ぜよう。」  ちょっと怒りながらも軽い感じで、キッチンに立ってくれた。  三郎は、 「本当に申し訳ない。薬味は今切るよ。そばつゆは、インスタントで済まないけど、麺つゆの元を薄めるよ。」  と、言うと、昨日購入して、手荷物で持って来たネギをだして刻み始めた。  それを見て、同期の3人は大笑いした。 「なぁ、それ電車で持って来たの?めっちゃネギ臭かったんじゃないの?この辺だったら大家さんにでも言えばネギくれたよきっと。皆畑やってるんだぜ。」 「いや~、だって、引っ越したらまだ店とかわからないしさ。蕎麦屋も近くにないのにネギ売ってる店探せないかと思って。確かに移動中の周囲の目は痛かったよ。」  三郎も笑いながらネギをリズムよく切っていく。 「あら、お料理が少しはできるってのは本当みたいね。」  佐々木はそういいながら蕎麦を茹でている。  火加減をちゃんと見て、吹きこぼれないようにして、 「あ、ざるを用意しておいてくれる。ボウルも。」  そう言われて三郎は大急ぎでざるとボウルを出す。 「おぉ、まるで夫婦の様だ。」  なにも手伝えない男性社員が2人でこそこそ言っている。 「ちょっと、聞こえてるよ。二人とも暇なんだったら、そばつゆの入れ物とかお箸とか出しててよ。」  さっき自分たちで荷解きしたので場所も分かっていて、座り込んでいた二人も手伝い始めた。  そばが美味しそうに茹で上がり、佐々木が手際よく水で締めた。  人数分の皿を出して、一人分ずつ蕎麦を盛るとリビングダイニングのテーブルに運んでくる。  三郎が刻んだネギも器に盛られ、チューブのワサビも添えられた。 「結局みんなに手伝って貰っちゃったな。俺がもてなさなきゃいけないのに、申しわけない。」  三郎が頭を下げると3人は口々に 「同期なんだから。」 「皆で引っ越し蕎麦食べるのも俺たち経験してないし。」 「これから会社でもみんなで仕事していこうぜ。」  と、三郎に言ってくれた。  最初は面倒だと思っていた引っ越し蕎麦だったが、母親に言われたようにして良かった。と三郎は思った。  その後も、地域に慣れるまでは、蕎麦を配った向こう三軒両隣の人たちが、ごみの捨て方とか、地域の回覧板の事とかを色々と教えてくれて、引っ越し先でスムーズなスタートを切ることができた。  きっと、蕎麦でなくても良いのだろうが、気持ちを伝える事や、挨拶というのは大切な物なんだと三郎は感じた。  この地域ならやはり、蕎麦だったのがご近所の印象も良かったのだろう。  新天地で、気持ちよくスタートを切れたことを、母親に連絡しなければ。と考える三郎だった。 【了】
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