試着

3/4
前へ
/32ページ
次へ
*  寝室のベッドに移乗する。そして俺は手を使って身体を支え、片足ずつパジャマのズボンを脱がせた。パンツも脱いでしまうか迷ったが、脱いだ。予行練習はリアルなほうがいいと思ったからだ。  蛍光灯のあかりの下、筋肉が落ちて貧相な両足があらわになる。事故で両足ともに骨折したので、その手術痕も残っている。  健常者だった頃も運動らしい運動はしていなかったので、決して鍛えられた足ではなかった。だが、感覚をなくして自分で動かすことのできなくなった今、ただ普段から歩く行為でさえ筋力を保つのに貢献していたのだと思い知らされる。  この身体になった当初は、この両足が嫌で嫌で仕方なかった。感覚がなくて動かすことのできない両足。感覚がないのに骨折を直すために何度も手術を受けなければいけなかったことも、受け入れがたかった。ほんの少し前までは普通に歩いていたのにと、俺は生きていることさえ否定したかった。  今もなお完全に受け入れることができているかと問われれば、答えは否だ。 だが、歩けないのは紛れもない事実なのに、今の俺はできなくなったことを数えるよりも新たにできるようになったことを数えている。そして、その方がよっぽど有意義だと思えるようになった。  それは、香織さんと結婚したから。再びカメラを持てるようになったから。そして、この島に移住してさらに俺がより俺らしく生きられるようになったから──。だから、今度のマリンアクティビティの誘いを受けた時、ふたつ返事で「やってみたい」と答えた。  さて、下半身麻痺の脊髄損傷者にとって、ズボンなどを脱ぐことは比較的容易だ。着ることの方が難しい。  俺は海パンを手に取って前後を確認するが……。 「ちょっと待った。全然ぴたっとしてないじゃん……」  香織さんにしてやられた。というか、売り場で確認していたはずなのに、すっかり先入観に支配されていた俺が悪いといえる。  香織さんが選んでくれた海パンは、白地に青いハイビスカスの花柄。トランクスの丈を膝上まで伸ばした、いうなればサーフパンツ。全然ぴったりしていない。 ──なんだかんだいって、香織さんも俺の海パン姿が見たかったんだ。  そう都合よく解釈をして勝手に気恥ずかしくなっていると、むき出しの下半身が目に入った。パンツまで脱いでしまっていた俺は、慌てて海パンを着用しようとする。  まず、左足をつかんで膝を曲げ、海パンに通す。同じように右足も。ここまでは比較的容易にできる。  次に俺は、右手をベッドについて支えにし、左の尻を上げて左手で海パンを上げる。続いて左手をベッドについて同じ動作をする。一回では上がり切らないので、数回この動作を繰り返した。  腰のところまで海パンが上がっているのを確認した俺は、ベッドに上半身を預けてふうと息を吐いた。この身体になって七年ほど経った今でもこの動作はきついので、いつも軽く息が上がってしまう。  そのまま大の字になって呼吸を鎮めようとしていたら、ドアがノックされた。 「真也くん、着替え済んだ?」  このドアの向こうには水着姿になった香織さんがいる──。  そう思うと、再び心拍数が上がる俺だった。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加