私の愛した彼女

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私の愛した彼女

−−数日後  今日、ひかりは学校に来ていなかった。理由が知りたくてメールをしたら《気が乗らない》と返ってきた。 プルルルル−−プルルルル−−  家に帰り家庭教師の赤坂さんが来るのを待っていると、電話が鳴った。スマホを見るとひかりからだった。 『もしもし、真一』 『どうしました?』 『今家に帰って来たら、第一志望の会社から手紙が届いてたの』 『それで、どうだったんですか?』 『内定……もらっちゃいました!』 『本当ですか?』 『本当に本当だよ!』  電話越しでも、ひかりが飛び跳ねて喜んでいるのがわかった。 『スゴイじゃないですか! やりましたね。良かったぁ。本当に嬉しいです! ひかり、よく頑張りました! おめでとうございます!』 『真一、ありがとう。そんなり喜んでもらえると思ってなかったよ』 『嬉しいに決まっていますよ。ずっと、ひかりが頑張っている姿を見てきたんですから。本当に良かった』 『うん』 『・・・・・』 『真一、泣いてるの?』 『そっ、そんな訳ないじゃないですか…』  嬉しくて涙が溢れてきた。 『真一の泣き虫! でも、嬉しいよ。誰かに泣くほど喜んでもらったことなんてなかったから』 『ひかり、今自宅ですか?』 『そうだけど何で?』 『会いたいです。会えませんか?』 『今はちょっと…』  ひかりの声のトーンが明らかに下がったのに気づかないはずはなかった。 『駄目ですか?』 『私だって会いたいよ。でも…』 『〝でも〟何ですか? 何か会えない理由でも?』 『顔にケガしちゃったの。こんな顔じゃ会いたくない』 『顔にケガって…何をしたんですか?』 『スッ、スポーツだよ』  この慌てよう…明らかに取り乱してる。ひかりが嘘をついているのは直ぐにわかった。 『一体何のスポーツをしているんですか?』 『かっ、格闘技だよ』 『格闘技?』 『格闘技くらい知ってるでしょ?』 『少しくらいなら』 『パンチしたり、キックしたりするやつよ』 『柔道ですか?』 『そうそう、それそれっ』 『そうですか。柔道でパンチとキックですか…』 『えっ…何? 違うの?』 『いいえ、違いませんよ』  見られたくないほど顔にケガをするなんて普通じゃない。しかも嘘をついてまで隠そうとしている。ひかりに何が起きてると言うんだ。嫌な予感しかしない。不安だ。 −−日曜日 「ひかり、お待たせしました」 「自分から呼び出しておいて遅れるなんて、真一も偉くなったものね!」  午後1時、いつもの公園で待ち合わせをしていた。 「すいません。ちょっと色々と手間取ってしまって」  時計を見ると待ち合わせの5分前だった。 「まだ1時になってませんけど…」 「そういう問題じゃないの。か弱い私を待たせたことに問題があるの!」 「たしかに…」 「納得しちゃうの?」 「えぇ、まぁ…」 「そっ、それで用事って何? くだらないことだったら怒るからね!」 「もしかしたら、くだらないことかもしれません」 「なら帰る!」  ひかりは踵を返し、歩き出そうとしていた。 「帰るなら、これを持っていって下さい」 「何これ?」 「リクルートスーツです。あと数ヵ月で就職するひかりへの餞別代わりです」 「見ていい?」 「どうぞ。でも、私の少ないバイト代で買ったものなので、気に入ってもらえるかどうか」  数週間前から、週3日程度のバイトを始めていた。もちろん目的は、ひかりが就職をしたら着てもらうためのスーツ。サイズは以前、買い物に付き合わされた時に見ていたので知っていた。色や柄は店の店員さんに相談して決めた。結果、黒色の無地のスーツとシャツを購入した。バイトを始めた時点では、まだひかりは内定をもらっていなかった。でも、いずれ内定はもらえると信じて準備を始めていた。 「あれ? うそっ…これ、私が欲しいと思っていたスーツ。チョー嬉しいんだけど。ありがとう真一。でも、これ高かったでしょ?」  ひかりはスーツを頭の上に掲げると、ピョンピョン跳ねて喜んでいた。 「そんなことありませんよ。私のバイト代の2ヶ月分くらいです」 「えっ…またバイトしてたの?」 「すいません。内緒でやってました。2ヶ月は言いすぎました。1ヶ月分くらいです」 「バカッ…無理しちゃって」 「無理はしていません。ただ、スーツをプレゼントしておけば、スーツを着る度に私を思い出して浮気を抑制する効果があると思ったんです」 「そんなことしなくたって、私はいつも真一のことばっかり考えてますよ~だ」  ひかりはアッカンベーをするとイタズラっぽく笑ってみせた。そして私向かって走ってくると、そのままジャンプをして抱きついてきた。私はそんなひかりが愛おしくて仕方なかった。強く抱きしめた。  それと同時に私の目に嫌でも入ってきてしまうひかりの顔に残る青いアザと腕に数か所ある青いアザ…。 こんなものを見せられたら、不安と恐怖心を掻き立てられずにはいられなかった。強く抱きしめずにはいられなかった。 プルルルル−−プルルルル−−  夜中の1時、すでに床についていた。物音しない静かな夜だった。そんな静寂を破るような突然の電話だった。スマホの画面を見ると、知らない番号からの着信だった。 『もしもし…』 『もしもし、上城真一さんですか?』  聞き覚えのない若い女性の声だった。 『そうですけど…』 「わっ、わたし…日比野ひかりの妹のあかりと言います。夜遅くにすいません』  そう言った、彼女はひどく慌てた様子だった。 『ひかりの妹さん…どうかされたんですか?』 『お姉ちゃんが…救急車で病院に運ばれたんです。誰も頼れる人がいなくて…お姉ちゃんの彼氏って聞いてたから』 ひかり…  いつか、こんな日が来るんじゃないかと思っていた。そうなる前に、どうにかしようと考えていた矢先だった。 『どこの病院ですか? 今から行きます』 『新井病院です』 『直ぐに行くので、落ち着いて下さい』  それから私はタクシーで病院に向かった。夜中ということもあり、道路は空いていたので15分程度で病院に到着した。救急病棟の入り口から中に入ると、スウェット姿の女の子が駆け寄ってきた。 「ひかりの妹のあかりです」 「大変でしたね。もう大丈夫ですよ」  私は気づくと、あかりさんを抱きしめていた。 「ひかりさんは?」 「まだ意識が戻ってません」 「そうですか…」 「数日入院するかもしれないです」 「家には誰かいますか?」 「いません。母は飛び出して行きました」 「そうですか…そうしたら、ひかりさんには私がついてるんで着替えや必要な物を家に取りに帰って下さい。くれぐれも気をつけて」  そしてあかりさんにタクシーチケットを渡し、タクシーで1度自宅に帰らせた。    病室の中に入ると、ベッドの上には頭に包帯をグルグルに巻かれ、顔と腕にはガーゼが数ヶ所貼られている痛々しいひかりの姿があった。 「ひかり…」  その姿を見た途端、涙が止めどなく溢れてきた。 どうしてこんなことに… どうしてこんなにヒドイことを… あまりに酷い仕打ちにベッドの横で泣き崩れてしまった。 ダンッ… 「上城、ひかりは?」  勢いよく病室のドアが開かれた。顔を上げると、暴走族の総長の柏木さんの姿があった。 「上城…しっかりしろ! お前がメソメソしてどうするんだ!」 「・・・・・」 「死ぬ気で守るって言っただろ!」 「そっ、そうでしたね…」  私は起き上がり涙を拭いた。私と柏木さんは見つめ合った。何も言わなくても、不思議と何を言おうとしているのかがわかった。 「まだ意識が戻りません」 「そうか…あかりは大丈夫なのか?」 「大丈夫です。今、着替えを取りに戻ってます」 「なら良かった」 「どうしたらいいんでしょう?」 「難しい問題だな。でも、放っておく訳にはいかねえよな」 「絶対に守ります。2度とひかりに手を出させません」 「お前一人に重荷を背負わせるつもりはねえよ。俺に出来ることがあれば言ってくれ。力になる」  柏木さんは私の肩を掴むと、今にも泣きそうな顔で無理やり笑ってみせた。  それから2時間ほど柏木さんもいてくれたが、「自分が目覚めるまでいるので帰って下さい」と言って帰ってもらった。  時計の針が、5時を回ろうとしていた。私はベッドの横のイスに腰掛け、ひかりの手を握りしめていた。 ピクッ…  私の手の中で、ひかりの指がかすかに動いたのを感じた。 「ひかり、私です。真一です。わかりますか?」 「しっ、真一? ここって?」 「病院です。妹の〝あかり〟さんから電話があって、直ぐに駆けつけて来たんです」 「あかりが真一に電話を?」 「ひかりのスマホの発信履歴と着信履歴に私の番号があったのでかけたみたいです」 「あかりは?」 「ロビーで眠っています。よほど疲れたのでしょう」 「そう…」  ひかりが体を起こそうとしたので、肩を掴んで制止した。 「寝ていて下さい。無理は禁物です」 「わっ、わかった」 「ひかり、率直に聞きますけど、家で暴力を受けていますよね?」 「・・・・・。ちっ、違う! 暴力なんてされてない!」  ひかりは私の服の袖を強く引っ張りながらそう言った。 「だったら何でいつも身体中にアザや生傷が絶えないんですか?」 「だからそれは柔道をやってできた傷なの!」 「そうですか…でも、柔道はパンチやキックはしませんよ。柔道は投げ技や押さえ込みや締め技で勝負を決する格闘技なんですから」 「だって真一が柔道って言ったから…。もしかして私を騙したの?」 「騙した訳じゃありません。ひかりが急に格闘技を始めたなんて言ったので、おかしいと思って鎌をかけてみたんです」 「最初からわかってたってことなのね?」 「格闘技に全く興味のないあなたが、格闘技をするとは思えませんでした。だとするならば、その傷は暴力によってつけられた傷以外に考えられません」 「だとしても、真一には関係ないでしょ! 私の家庭のことまで他人が口を出さないで!」 「私は他人ですか?」 「えっ…そっ、そうよ他人よ。だから私にかかわらないで!」 「そうですか···。確かに私は他人です。でも、私はあなたを愛してる。だからお節介かもしれないけど、全力で世話を焼きます。死ぬ気で守ります。誰にもあなたを傷つけさせない」 「・・・・・」  ひかりは頭から布団をかぶると肩を震わせていた。 −−数日後  病院を退院したひかりはあかりさんと共にDVシェルターに入れられた。でも、いられる期間は2週間程度。私は、DVシェルターを出たあとにひかりとあかりさんが住める場所を探した。そして運良く、母の知り合いの不動産会社から家具家電付きのアパートを無料で借りられることが決まった。全てが解決された訳ではないけど、ひとまず安心することが出来た。 「鈴木さん、ひかりの家庭のことを聞きたいんですけど、いいですか?」  放課後になると、鈴木さんを屋上に呼び出した。 「聞かない方がいいと思うけど。ひかり、家のことは話してくれなかったでしょ?」 「はい…。実は、ひかりが数日前に病院に運ばれました。ひかりの体のアザや生傷は暴力によるものです」 「わかってる。それに病院に運ばれたのは、今回が初めてじゃないわ。前にも何度かあったし…」 「一体誰から暴力を?」 「私から聞いたって言わないでよ」 「わかってます」 「母親よ。ひかりの父親は、何年か前に病気で亡くなっているの。その時の入院費や手術費でできた借金が今でもかなり残っているらしいわ。そこで、借金を返さなきゃならないひかりの母親は、収入のいい夜の仕事に就いた。毎晩酔っ払って帰って来ては、ひかりとあかりを殴ったり蹴ったりと、暴力を振るうようになったみたい」 「どうして誰にも助けを求めないんですか?」 「ひかりもあかりもお母さんのことが大好きなの。私が知ってる、ひかりとあかりとおばさんは、とっても仲の良い何でも話せる友達みたいな関係だった。私が家に遊びに行っても一緒になって遊んでくれたし、よく夕食もご馳走になった。本当に優しくて大好きだった。でも、父親が亡くなってから別人のように人が変わってしまったの」 「酒に溺れて暴力を振るうようになった」 「そうなの。それに飲んでいない時でも目が虚ろでフラフラしている時があったの」 「もしかして、何か変な薬でもやっているんじゃ…」 「見た訳じゃないからハッキリとは言えないけど、可能性はあると思う」 「だったら尚更このまま放っておいたら、ひかりとあかりさんは、いつかは殺されてしまうかもしれませんよ! 取り返しがつかなくなる前に何とかしなければ!」 「ひかりは〝いつかお母さんが、もとの優しいお母さんに戻ってくれる〟そう信じていた。そして〝そのために自分が犠牲になるなら死んでも構わない〟そう言ってた」 「そんな…」 「でも、ひかりは4月から就職で大阪に行ってしまうから、私は少し安心してるの」 「あと少しの辛抱ということですか。でもあかりさんは?」 「ひかりは一緒に連れて行く気みたい。もちろん中学生のあかりは転校しなければならないけどね」 「初めて聞きました」 「この前殴られて入院したのも、あかりを大阪に連れて行くっていう話が原因らしいの」 「そうでしたか。でも、どうしてひかりは私には話してくれないんでしょうか?」 「上城くんといる時は、学校のことも家のことも全て忘れて上城くんとの幸せな時間に浸りたかったんだと思う」 「・・・・・」  西の空に沈んでいく太陽が、いつもならキレイに見えるはずなのに、この時は闇の世界を連れて来る悪魔にしか見えなかった。 −−数日後 「どうしたんですか? 浮かない顔をして。今日1日そんな感じでしたよ」 「何でもない」  周りを見れば、夢の国と言うだけあって笑顔で溢れていた。でも、私の目に映る彼女は違っていた。 「ひかりが〝就職祝いに遊園地に連れて行って〟と言ってきたんですよ」  今日は電車を乗り継いで、午前中からテーマパークに来ていた。アトラクションは乗りたいものは乗れたし、パレードも見ることが出来た。 好きなキャラクターとも写真を撮ることも出来た。お土産も、手にイッパイになるほど買った。 「わかってる。わかってるけど…」 「私は今日1日とても楽しかったけど、ひかりは楽しくありませんでしたか?」 「私だって、もちろん楽しかったよ。でも…」 「もしかして大阪に行くのが不安なんですか?」 「それもあるけど…」 「心配いりませんよ。ひかりは頑張り屋だから仕事も直ぐに覚えられます。それに明るいし、優しいから仲間も沢山つくれますよ」 「違うの! 私が悩んでいるのは大阪に行くか行かないかってことなの!」  頭にはプ○さんの被り物をし、手にはミッ○ーのぬいぐるみを持つ私の彼女は、この場の雰囲気に相応しくない深刻な顔をしてそう言った。 「どうして今更そんなことを?」 「真一と離れたくないの! 真一と離れるくらいなら就職なんてどうでもいい! 1分1秒でも一緒にいたいの。私……やっぱり大阪に行くのやめる!」 「ひかり、私だって同じ気持ちですよ。でも、ひかりにも私にもやりたいこと、すべきことがあります。今はそれに向かって全力で突き進まなきゃならない時期なんじゃないでしょうか? それに私たちは別れる訳ではありませんし、絶対に何があっても別れません。少しだけ離れて、数年後に結婚するその時まで、お互いを磨くんです」 「大阪に行っても会えるの?」 「もちろん会えます。毎月1度は会いに行きます。必ず毎日電話もメールもします」 「・・・・・。何か、ウザイね」 「ウザくてもいいです。それくらいしないと、心配性で寂しがり屋のひかりは満足してくれませんからね」 「あぁ~ウザイ。ウザすぎて、涙が出てきちゃう…」  ひかりはプー○んのサングラスを顔にしたまま、両手で顔を覆うと、ボロボロと涙を流して泣き出した。 「ひかり、私が大学を卒業して就職したら、あなたを迎えに行きます。それまで寂しく悲しい思いは絶対にさせません。だから待っていて下さい」 「うんっ」 「ちょ、ちょっと、こんなところで抱き合っていたら…みんな見ていますよ」  ひかりはドナル○ダックの被り物をした私の首に腕を回すと、周りの人間に気にすることなく抱きついてきた。 「知ってる。見せたいの、世界中の人たちに。【上城真一は私の婚約者なんだよ】って。【私たち2人の間には入り込む隙なんて1ミリたりともないのよ】って」 「なるほど、それは名案です。だったらキスもしなければいけませんね!」 「んんんっ」  私は、泣き虫で意地っ張りの愛おしい人の唇にキスをした。世界は私たちを中心に回っているようだった。 −−今日は朝3時に起きた。  ひかりが海で日の出が見たいと言ったからだ。もちろん移動手段は自転車しかない。片道30分かけて目的のビーチに向かった。  時刻は4時30分。空は少しずつではあるけど、薄明るくなってきた。ようやく到着した。 「着いた〜」 「着きましたね」  ひかりは自転車を降りると、気持ち良さそうに伸びをしていた。 「しんいち〜」  ひかりは私の腕に掴まると、ベッタリくっついてきた。 「歩きづらくないですか?」 「そんなことないよ。これがベストポジションでしょ?」 「早くしないと日が出てしまいますよ」 「うわぁ〜〜砂浜だぁ〜」  ひかりは砂浜が目の前に迫ると、私をおいてダッシュで行ってしまった。 「うみ〜〜うみ〜〜」  遠くで叫んでいる声が聞こえてきた。そして靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ捨てると、そのまま海の中に突進して行った。海の中に入って遊ぶ姿は、まるで水浴びをしている小鳥のようだった。可愛いと思ってしまった。 ようやく追いつくと、ひかりは私に向かって水をかけてきた。 「しんいち、キモイいいよぉ〜」  だったら私も…靴と靴下を脱ぎ捨て、海に入った。 バシャ、バシャ… 「どりゃあ〜」  ひかりに向かって水をかけた。 「やったなぁ〜」  しばらくは水をかけあった。気づいたら水浸しになっていた。 「もう止めましょう」 「そうね、止めよう。寒いよ」 「こんなことしてる間に、太陽が出てきてしまいましたよ」 「そしたら、砂浜に並んで座ろう」 「はい」 「こういうの夢だったんだよね。恋人どうしで朝日を見るの」  ひかりは私に寄りかかり、目をつぶっていた。 「波の音に海の香り、サイコー! このまま時間が止まってくれたらいいのになぁ〜」 「本当にそうですね。こうしてずっといたいですね」 「しんいち、また来ようね」 「何度でも来ましょう。免許をとったら車でドライブしながら来ましょう」 「やったぁ」 「ひかり、結婚して子供ができても一緒に来ましょう」 「君はなかなか嬉しいことを言ってくれますね」 「絶対に絶対ですよ?」 「わかってるって」  絶対という言葉の重みと意味を深く噛み締めた。 「眩しい〜〜太陽の光があったか〜い」 「最高ですね。ひかりが…」  こんなシチュエーションですることと言えば1つだけ。 「んんんっ」  どれくらいの時間が経っただろう? 重なり合った唇をゆっくり離した。 「なかなか君はわかってるね。じゃあ、今度は私から…」  本当にこのまま時が止まってしまえばいいと思った。2人で撮った記念写真の私たちは、ずっと笑顔で永遠に幸せそうだった。 −−土曜日。  ひかりとあかりさんはDVシェルターから出て、新しい住所に引っ越すことになっていた。家具家電つきのアパートを借りたので、母親と一緒に住んでいた家から持ち出すものはそれ程なかった。それでも取りに戻らなければならないものがあり、ひかりは今日の午前中に1度自宅に戻ることになっていた。  1人で戻るのは危険だと思い、一緒についていくと言ったけど、あかりと行くから大丈夫だと断られてしまった。いつ母親が現れるかもしれない状況に晒されていることに、もっと慎重になるべきなのに…。でも、大丈夫と言うひかりを無視して無理矢理についていくことは出来なかった。 プルルルル――プルルルル―― 『もしもし、もう行ってきたんですか?』 『まだこれからだよ』 『それなら何で電話を?』 『荷物を取りに行ったあとにスタバに行きたいな。いい?』 『私は構いませんけど』  ひかりはSTARBUCKの抹茶フラペチーノにハマっていた。学校の帰りに駅構内のスタバで何十回と抹茶フラペチーノを買って飲んでいた。私はキャラメルフラペチーノにハマっていたけど、毎回とまではいかなかった。 『真一、ちゃんとお礼を言えてなかったよね』 『何のことです?』 『DVシェルターの申請をするために警察署の生活安全課に掛け合ってもらったり、新しい住まいを探してもらったり…本当にありがとう』 『今更ですよ。私に出来ることはやってあげたかったんです。死ぬ気で守ると約束しましたからね』 『そうだったね。でも、もし万が一私に何かあっても責任を感じないで。私は十分あなたに助けられた。愛してもらったんだから』 『やめてください。何もないから大丈夫ですよ。それより、早く荷物を取りに行ってきて下さい。駅の改札口で待ってますから』 『わかった。楽しみにしてるね。抹茶フラペチーノのことじゃないから。真一に会えることだから』 『私もですよ』  そして電話を切り、ひかりは荷物を取りに自宅に向かった。 プルルルル――プルルルル――  駅に向かっているとスマホが鳴った。渋谷のスクランブル交差点て信号待ちをしていた。電話の主はひかりだった。 『真一、私……もうだめ……うぅぅぅ……』 『ひかりっ…どうしたんですか? 何があったんですか?』  異常な状況下にあることは直ぐに察知できた。自然と手が震えてきた。 『あかりがっ……あかりが……』 『あかりさんがどうしたんですか?』 『死ん…じゃったの……』 『なっ、何を言ってるんですか? 状況を説明して下さい!』 『お母さんに…殴られて…はぁはぁはぁ…壁に頭をっ…ぶつけて…心臓が止まっちゃった…』 『・・・・・。ひっ、ひかりは大丈夫なんですか?』 『わたっ…わたし…お母さんのこと…包丁で…殺しちゃったのっ…うぅぅぅ…』  頭が真っ白になり、身動き1つ出来なくなった。交差点の信号は青に変わり、周りの人たちは一斉に歩き始めた。 『ひかりっ! そこでジッとしていて下さい。今から直ぐにそちらに行きます。だからそこっ‥』 『真一、ゴメンね…。私…もう、真一のお嫁さんには…なれないよ…。いっぱい…いっぱい…真一に好きに…なってもらって、結婚っ…の約束までしてもらったのに…はぁ…はぁ…はぁ……』 『ひかり、どうしました? 苦しいんですか?』 『だっ、大丈夫だよ…。真一、大好きだよ…。ずっと…一緒に…はぁ…はぁ…いたかった。お嫁さんにっ…なりたかったよ』 ガタガタガタッ―― バタンッ――  電話の向こうから物が壊れるような、もの凄い音が聞こえてきた。 『いっ‥今の…何の音ですか?』 『目の前…真っ暗で…フラフラして…血で…すべっ…ちゃった』 『血ってまさか…』 『手首を…切っちゃった…はぁ…はぁ……』 『なっ‥なんてことを…。今から行きまっ‥』 『待ってっ! はぁ…はぁ…もう間に合わ…ないよ。電話で…いいから…はぁはぁ…最期まで一緒に…いて』 『・・・・・』  息を吸おうとしても吸えないほどに胸が苦しくなった。血の気は一気に引き、目の前が真っ暗になった私は地面に崩れ落ちた。 涙が···涙が次から次へと流れ出した。 誰か助けて… 誰かひかりを助けて… 誰か…誰か…… 『私が…死んでもっ…悲しまないで…はぁ…はぁ…素敵な…恋を…して…ね』 『もう二度と恋なんてしません! あなたより素敵な人に出逢える訳ありません!』 『だっ‥大丈夫……私には…見える…もん。笑顔がとっても…可愛くて…はぁ、はぁ…私みたいに生意気で…寂しがり屋で…はぁはぁ…ヤキモチ焼きの女の子が…。いつか…その子が、あなたの心を…救って…くれるから…。はぁ…はぁ…だから…まってて……』 『ひかり…』 『はぁ…はぁ…真一、あいして…る……よ………………』 『私も…愛しています……』 『・・・・・』  ひかりの声が聞こえなくなった。ひかりの息づかいが聞こえなくなった。  ひかりはこの世界ではない、どこか遠くに行ってしまったのがわかった。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」  私は奇声をあげながら、何度も何度も地面に拳を打ちつけた。  私が、ひかりの自宅に駆けつけた時には、ひかりは息をしてなかった。ひかりの周りにはおびただしい量の血が流れていた。ひかりの横で倒れているあかりさんも息を引き取っていた。少し離れたところに、包丁で胸を刺されたひかりの母親が横たわっていた。  私は生涯この悲惨な惨劇を忘れることはないだろう。忘れてはいけない。  皮肉なことに、ひかりの母親は奇跡的に命を取り留めた。そして裁判で母親に下されたのは、終身刑。今も刑務所に服役している。 −−15年後  今日はひかりの命日。ひかりの妹のあかりさんの命日でもあった。お墓参りに来ていた。毎年、命日なると必ずひかりに会いにやって来た。  仏花と線香を供え、手を合わせていると足音が聞こえてきた。顔を上げると、奥村くんと鈴木さんと泉田さんが、こちらを向いて立っていた。彼らもまた、毎年欠かさずにお墓参りに来ていたようだ。 「皆さんお揃いで」 「上城くんにも声をかけようと思ったんだけど、仕事が忙しそうだから、別々の方がいいと思ったの」  鈴木さんは少し歳をとったものの、相変わらず上品でキレイな女性だった。 「気を遣わせてしまってすいません。来年はご一緒させて下さい」 「もちろん」 「うん」  二人は快く返事をしてくれたけど、泉田さんだけは何も答えずにお墓をジッと見つめていた。学生の頃から私にはこんな対応だったのを思い出した。 「相変わらずだね泉田さんは…」 「そうですね。でも、何か懐かしい感覚です」  奥村くんは誰にも聞こえないように私に耳打ちしてきた。奥村くんとは高校卒業して大学に進学しても時々会って食事をしたり旅行に行ったりしていた。それは私が精神科医になってからも変わることはなかった。私の唯一無二の親友だった。 「ひかりが今の上城くんを見たら何て言うのかしらね。弁護士か検事にはならずに、精神科医になってるんだもの」  お線香を供え終わった鈴木さんが笑顔でそう言ってきた。 「日比野さん、ビックリするだろうね」 「そんなに意外ですか? 私は合ってると思うんですけどね」 「ひかりを助けてあげられなかった罪滅ぼしでしょ」  泉田さんは喧嘩腰にそう言ってきた。 「愛実、やめなさいよ」  口を開いたかと思えば、この場の雰囲気を一瞬で凍らせるような発言だった。 「そのとおりです」 「泉田さんはキツイなぁ」 「奥村くん、いいんですよ。本当のことですから…」 「でもね、ひかりを助けられなかったのには私たちにも責任はあるの。1番近くにいたはずなのに何もしてあげられなかった。だからもう、あなた1人で重荷を背負う必要なんてないわ。私たちにも背負わせて…」 「泉田さん…」  泉田さんは、そう言うと頬を流れる涙を手で拭っていた。そんな泉田さんを見た鈴木さんは肩を抱いてあげていた。  泉田さんは、ずっとひかりを大好きだった。大好きだったから、ひかりを取られた気持ちになって私にキツくあたっていた。いつもいつも、ひかりだけだった。 「実はさ、日比野さん僕の家によく遊びに来てたんだ」  奥村くんが突然聞いたことのないようなことを言い始めた。 「初耳です。そんなに仲良かったでしたっけ?」 「僕に会いに来たってより、猫に会いに来てたんだ」 「猫?」 「そう、公園に捨てられた子猫を僕んちで飼ったでしょ」 「でも、ひかりはそのことは知らないはずじゃ…」 「僕が言ったんじゃないよ」 「なら誰が?」 「日比野さん、全部見てたんだよ。上城くんが学校に行く前に子猫に餌をあげてたことや、僕が子猫を持って帰った時のことも…」 「ひかりはそんなこと私には一言も言ってなかったです」 「だろうね。僕たちには上城くんに言わないように言ってたくらいだからね。ちなみに鈴木さんも泉田さんも知ってるよ」 「そんなぁ…」  私は3人の顔を順々に見て笑った。 「もう1つあるんだけど」 「何ですか? 言って下さい!」  奥村くんが言葉を渋っていたので強く言ってしまった。 「日比野さんが万引き犯と間違えられて捕まった時があったでしょう? あの時、日比野さんは上城くんがいることに気づいていたんだ」 「まさか…」 「日比野さん、全く抵抗しなかったでしょ?」 「確かに、そう言われてみればそうだったような…」 「日比野さん、信じてたんだよ。上城くんが、きっと助けてくれるって」 「ひかりは男を見る目だけは確かだったからなぁ。上城くんの正義感の強さと優しさに誰よりも気づいていたんだと思う」 「うぅぅぅぅぅぅ……」  私は恥ずかしげもなく、みんなの前で声を上げて泣いてしまった。 涙が止めどなく溢れてきた。 もう1度あの頃に戻りたい。 ひかりに会いたい。 一緒にいたあの瞬間に戻りたい。 「上城くん…」  墓地を抜けて歩いていると、後ろから泉田さんに声をかけられた。 「何ですか?」 「ずっと言いたかったことがあるの…。ひかりのことを本気で愛してくれてありがとう。ひかりのことを大切にしてくれてありがとう。ひかりは最後の瞬間まで幸せだった。上城くんがいてくれたから幸せだった」 「・・・・・」 「上城くん、あれから恋は?」 「ひかりを亡くしてから15年経ちましたが、ようやく素敵な人に出会えました。ひかりが最後に言った、笑顔がとっても可愛くて、生意気で寂しがり屋でヤキモチ焼きの女の子に…」 「良かった。これで私も恋をすることが出来るわ」  泉田さんは私が初めて見る最高の笑顔でそう言った。 あなたは春に散る花びらのように儚く、切なく美しい人でした。 私たちは、あなたのことを絶対に忘れません。 ずっとずっと忘れません。 私たちが生きている限り、忘れません 私たちの中で生き続けます。 永遠に愛してます。 おわり…
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