声なき和歌

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声なき和歌

 鮮やかすぎる赤や黄色の紅葉を、私の部屋の窓は映さない。緑色の厚いカーテンが私を護ってくれるから。  ドアの向こうから、コトンと物音がした。朝ごはんを床に置くお母さんの表情は、出来損ないに頭を悩ませ歪んだものだろう。見えなくても分かる。  お母さんが階段を下りていく音を確認してから、私はそっとドアを開けて、白い茶碗を中に引きずり込む。  窓の外から耳障りな声が聞こえてきた。男の子。たぶん小学生。流行の歌を、抑揚激しく奏でている。私の眉間にしわが寄ったのが分かった。  私は歌が嫌いだ。いや、嫌いになった。  数週間前のことだ。中学一年生の秋、合唱コンクールの日までの私は、歌うことが大好きだった。小さい頃からテレビの前でアイドルの真似をしていたし、家族でカラオケに行くのも楽しかった。  小学校高学年になってからは、小説投稿サイトに自作の詩を書くようになった。この曲はビブラートを多めになどと解説をつけたり、曲のイメージに合わせて、景色やモノの写真を一緒に載せたりしていた。学校の帰り道、自作の歌詞にそれっぽいメロディを乗せて口ずさんでいたんだ。  そのくらい「歌うこと」が大好きだったんだ。  だけど、合唱コンクールの次の日の給食の時間。先生達が余計なことをしてくれた。  各クラスの合唱の映像を流したのだ。  ステージの上で歌う私は雷神だった。精一杯の歌声は轟音を叩きつける稲妻。めいいっぱい口を開けているせいで、顔はシワの厚塗り状態。  誰がどう見ても、どう聞いても、私は浮いていた。  クラスの皆が私を見る。クスクスという音を立てて突き刺さるナイフ。私は俯いて、スカートをきゅっと握った。  私は一生懸命歌っただけなのに。  こんなふうに恥ずかしい思いをしなきゃいけないなんて。  口パクすればよかった。歌わなきゃよかった。 「ねえ、大丈夫? 紫香楽(しがらき)さん」  先生が私の肩を揺する。私は答えられない。喉にダムができたんだ。急速に。  嫌だ嫌だ嫌だ。あんな声を出したくない。皆からケラケラ指をさされるような、汚い音を発したくない。……  私は声を失った。  そして学校にも行かなくなって、今に至る。
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