声なき和歌

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『合唱コンクールがあったんです』  私はすべてを吐き出した。歌を嫌いになった理由、私の声を憎んだ経緯……スマホにぶつけていくうちに、瞼が震えて、目尻が決壊して、スマホの画面に雨を降らす。  その場に崩れた私のことを、和泉さんは優しく、力強く支えてくれた。 「ありがとう。話してくれて」  私の顔を覗き込んだ和泉さんは、首を横に動かした。 「でも自分は、君の歌が綺麗だと思うよ」  和泉さんの長い指が、私の頬を伝う雫をすくいとる。 「自分も、自分自身の声が嫌いなんだ」  私は思わず息を漏らした。私に声があったなら「え?」という音になっていただろう。  職人の手で造られたチェロのように、堂々として、それでいて耽美な調べを奏でる声音なのに、この声を嫌いな人がいるなんて。しかもそれが、本人だなんて。 「自分の見た目も好きじゃなくてさ、周りからも色々言われて。でも、歌は好きで。声を使わなくても歌う方法はないかなーって、そう思ってたどり着いたのが、和歌だった」  私の手を取った和泉さんは、私を立ち上がらせてくれる。その瞬間、和泉さんの鎖骨が見えて、私は息を呑んだ。 「君の歌は綺麗だよ。自分には分かる。だから、歌が嫌いになりきれないなら、一緒に歌おうよ。和歌で」  和泉さんと私の目線が絡み合う。この人にも、私と同じ悩みがあるのだと思ったら、私も、この人と同じ世界に入ることで救われるのではないかと思った。  だから私は、和歌で歌うことにした。  それから私は、和泉さんと一緒に和歌を歌った。休日になっても、月がかわっても。お父さんもお母さんも、急に外に出る回数の増えた私を怪しんだけど、深くは訊いてこなかった。心なしか、ほんの少しだけ安堵しているようにも見えた。「娘は外に出ることができた」という事実に、希望を感じたのかもしれない。  その希望をくれたのは和泉さんだ。和泉さんは私に、外に出るきっかけをくれた。新しい歌い方を教えてくれた。  だけど私は、和泉さんに何も返せていない。和泉さんも苦しんでいるはずなのに、私は何もできていない。……
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