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——次の日は曇天だった。
目覚めた私は、朝ごはんも食べず、両親が仕事に行くのも待たず、一目散に家を出た。お母さんの呼び止める声が聞こえた気がしたけど、振り返ることを放棄した。
たった一枚の紙だけを手に、私はあの橋を目指す。ランドセルを背負った子たちの間を掻き分けて、ただ走る。
橋の上には、すらりとした立ち姿の人がいた。昨日打たれた右頬をさすって、肩を落とす。
頭が橋の外に出た。そのまま首が、肩が、どんどん外に流れていく。このまま身を乗り出していけば、下に——
「あきづしま!」
和泉さんの動きが、ビクリと止まった。私の身体も急停止した。聞こえるはずのない音を、私が出したからだ。
目を丸くした和泉さんが、私に近づいてくる。
「今、声が……」
私は和歌の続きを歌おうとした。だけど、音にならない。
「どうしたの、そんなに怖い顔をして」
私はスマホを見せる。
『だって、死んじゃうと思って』
「ははは。ちょっと水面に夢中になってさ。こんな自分を律儀に映してくれるんだもん、なんか憎たらしくなって」
和泉さんは溜息混じりに笑う。私は確信する。
何でもないものが憎くなる感覚を、私はよく知っている。自分の好きだった歌を周りに嘲笑されて、声を封印した私には分かる。自分らしさを閉じ込めた、やり場のない感情をぶつけたくなる心持を。
和泉さんも、自分らしさに蓋をしてきたんだ。
『事情は分かりませんが』
『女の子であること、隠さないでいいと思います』
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