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和泉さんは目を見開いて、息を止める。私は黙って和泉さんを見つめる。
「……これが、天才の観察眼か」
和泉さんは3回手を叩いた。降参のポーズをした和泉さんは、つらつらと語りだす。
「自分のお母さんは、他の男と駆け落ちしたんだよ。で、お父さんは言うんだ。お前はあの女にそっくりだって。爺ちゃん婆ちゃんも、あの女狐みたいだって、穢らわしいってさ。だから男っぽくしてさ、ちょっとでも殴られる回数を減らしたくて。声も低く作ってさ。だから、自分の見た目も声も大嫌いでさ」
和泉さんは、どこか他人事のように苦笑している。
「自分の部屋に逃げて、インターネットの世界に逃げてさ。そこで素敵な歌詞に出会ったんだ。私の中のプラスもマイナスも、余すことなく綴ってくれた。その歌詞の最後に、この橋の写真が載ってて。それで、この橋に通っていたら、会えたよ。極上の歌詞を口ずさむ女の子にさ」
和泉さんの眼差しが私を射抜く。私は、歌が好きだった時の自分の行動を思い返す。
「これが、君を和歌に誘った理由だよ」
和泉さんは、ずっと前から私を知っていた。
「自分も、君も、声が嫌いな者同士だけどさ、それでも歌える和歌がある。それで、世界中の誰かを救ってやろうよ。自分が、君の歌詞に助けられたみたいにさ。そうすれば、自分も君も、声がちょっと、好きになるかもしれない」
和泉さんは、すっと手を差し出した。私はコクリと頷いて、その手を握る。
私の好きなものを認めてくれた和泉さんを、私は包みたいと思う。世界の誰よりも、和泉さんに笑っていてほしいと思う。
「ねえ、さっき歌いかけた和歌、最後まで聞かせてくれる?」
私は首を左右に動かした。
『この和歌は、私の声で届けたい』
和泉さんは一瞬キョトンとしたけど、すぐに朗らかな顔に戻った。
「そっか。じゃあ、君の声が戻るのを待ってる」
私の頬が緩くなったのが分かった。
声のない和歌を歌い続けて、世界の誰かを幸せにすることができた時。「歌を好きな自分」を肯定してあげることができた時。
私は、世界で一番大切な和泉さんを、私の声で幸福に導きたいと思う。周囲が嘲笑うような音であったとしても、この声で、和泉さんに伝えたいと思ったのだ。
『あきづしま 大和の国に ただひとり 白なる君や 憎き声聞け』
(この日本で、私にはただ君だけだよ。何色にも染められてしまうほど、己を押さえつけている君に、私の気持ちを届けたい。この醜く憎い声であろうとも)
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