【短編】アウト・ライド

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鬱蒼とした森の中に月に照らされた川は一筋の光を放っていた。その川の真ん中付近に一艘の手漕ぎボートが浮かんでいて、ボートの先端には裸足の青白い女性が座っている。オールはゆっくりと水面を叩いて順調に水を掻いてはいるのだけれど、誰もそこにはいない。まるでひとりでにオールが動いているかのように見えた。私はそんなはずはない、と思って目を凝らすとうっすらと青白い手だけが宙に浮いていて、それがなんか頑張ってオールを動かしていた。その青白さは目の前の女性と同じ色に見える。  私は少し気味が悪くなって、どうにかこうにか動けないかと模索してみるものの、手足は縛られているし、口にはガムテープ。そして何よりも、その目の前の女性から目が離せないという状況に困惑していた。女性は素足を水辺に付けてバシャバシャと足を動かしている。  その様子をただ見守るしか出来ない自分がそこにいた。  ボートは下流から上流へと昇っていき、徐々に急流になっていくがそんなことはおかまいなしに進んでいく。不思議なまでに。なんという静寂だろうか。女性も一言もしゃべらない。青い静寂の夜。私は不安ではあったものの、どこか何かに期待してしょうがなかったのだけは覚えている。  しばらくそんな静寂を進んでいくと川辺に一つの明かりが見え始めた。どうやらあそこに向かっているらしい。だんだんと近づいていくとその明かりは大きい屋敷の街灯の一つであることに気が付く。こんな森の中の川辺に一体どんな金持ちが建てたのだろうか。屋敷は日本家屋とも、西洋家屋ともいえない何とも不思議な雰囲気を醸し出していた。  川岸に船が付くと、目の前にいた女性が立ち上がって背伸びをした。それを見つめている私に気が付くとこちらを振り向いた。 ものすごい・・・なんというか美しい顔をしている。  血色は悪く、やや青白く見えるがそれでも輪郭ははっきりとしていて、切れ長の目はこちらを鋭く見つめてくる。口元に何かを塗っているのか、月明かりに照らされて艶やかに輝いていた。しかし、私の予想通りその女性には両腕が無かった。しばらく女性はこちらを見ていたのだけれど、少しため息をついた後、無いはずの両腕が突然暗闇から出てきた。  おそらくオールを漕いでいた手だろうか、2本の腕は女性に繋がっているように見えるが、ちょうど二の腕あたりが透けていて向こう側が見える。まるで手だけが宙に浮いてるかのように。浮いている腕が私の方によってきて、体を掴んで上に引っ張りあげられた。とんでもない力だ。私の体をひょいっと持ち上げるとそのまま川岸に作られた桟橋のような場所に投げられるように置かれた。そうしてその手は私に繋がれたロープを持って、私に歩くように促す。仕方ないので私はその手と、女性についていくことになった。  夜道の桟橋を歩くその音だけが響き渡る。なんだか不思議な光景だった。川岸から少し庭のような森に入り、地面が土に変わると私は有ることに気が付く。靴を履いていない。土から伝わってくる冷気が足裏に伝わるのを感じる。どこか懐かしい感覚だ。やがて屋敷の前にくるとその女性は手と一緒にふと消えてしまった。大きな屋敷の前に置き去りにされて私は文字通り手も足も、口も出ず、ただ立ち尽くしていた。  私は今からでも逃げ出そうと考えていた。足だけは動くからそれは出来そうだなんてことを考えてはみたものの、こんな夜中に駆け出して崖から落ちたなんてことになれば一体誰が笑ってくれるのだろうか。私はこの屋敷の前でしばらく待つことにした。すると屋敷の中から音がして玄関のカギが外される。大きな扉が開くと中から男の人が出てきた。背の高い、髪の毛が真っ黒の男性。しかし、今度はその男性には足が無い。いや、足は有るのだけれど、さっきの女性と同じように太ももの部分が透けていて向こう側が見える。  背の高い男性は手にタオルを持っていてそれで私の足を拭いてくれた。どうやら屋敷の中に入れてくれるようだ。拭かれている最中、私は屋敷の中に目をやる。典型的なお金持ちの屋敷の玄関という感じで、赤い絨毯、高そうな壺、何世紀に活躍したのかわからない鎧や剣などが飾られている。  足を拭き終わると私は大きな広間へ連れていかれた。いかにも金持ちが好きそうな白いクロスのかかった大きくて長いテーブル。その端っこにはワインを片手にステーキをほおばる人物がいた。この屋敷の主人だろうか。手招きをされると背の高い男はロープを引っ張って私を連れていく。  遠目にはよくわからなかったがその主人らしき人物は女性のようだった。きれいな瞳に長い髪の毛。そして何よりも気になったのは食べているステーキの量。積み上げられた皿は1枚や2枚どころではない。  女性はこちらを見るとシガレットに火をつけた。 「・・・・いつまでそうしているつもり?」 私に語り掛ける。 「・・・それ、自分で縛ったんでしょ?それ、自分で口を塞いだんでしょ?」 「この30年間、何をしてきたの?」 私に語り掛ける。 「あんたのせいで、とは言いすぎかもしれないけど、あんたがそうやっていつまでもいつまでも被害者でいて、すごく気持ちいいことを知って、そうやって自縛して、動きがとれないようにして、それで・・・・」 女性は紫煙を吐き出した。 「誰かに救ってもらうのをまた待ってるの?」 私に語り掛ける。 「・・・神風はもう吹かないかもよ?」 その言葉を前にして私は固まってしまった。
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