桜の下

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「桜の下には、何が埋まってると思う?」 悪戯っ子みたいな顔をして、君は問うた。 桜が舞う。陽光は、仄かに淡く染まる。 「……虫の死骸」 捻りだした答え。君の話は、いつも突拍子がない。 「んふふ、違いない。だけど、僕が求める答えじゃない」 怖いぐらいに綺麗な微笑みを浮かべて、君はゆるゆると首を振る。淡い、淡い桜色の髪が揺れた。 毎年、桜が咲いて散るまでの間だけ、ぼくの前に現れる君。期間限定の知り合い。……友達、と称するには、君との関係は希薄で、濃厚すぎる。 黙り込む。君が投げかけた問いの意味は、花弁が舞う此の場所を、海月の様に揺蕩っていた。 「君の目は綺麗だね。満月みたいだ」 とん、と己の目元を示しながら君は言う。「でも僕は、蜂蜜の方が好きだな」なんて、訳のわからない言葉を投げかけられて、ぼくは眉を顰めた。 「桜、綺麗だねぇ」 満足げに頬を緩める君。……そういえば、ぼくは君の名前も知らない。 「……そうだね」 肯定。……ぼくは、君に触れたこともない。 「だけど、去年よりも色が薄くなってる」 「……そう、かな」 呟いた君の声がなんだかじっとりとしていて、晴れているというのに、ぼくは少し寒気を感じた。 君がまた何かを呟く。其れはごくごく小さな声量で、桜の舞う音に搔き消されてしまった。 「だってほら、殆ど白いじゃないか」 くすり、笑う君。そう言う君の頬の方が白いと思ったけれど、口を噤んだ。 「――嗚呼、もうすぐ、君と会えなくなってしまうんだね」 寂しそうな声。ぐわん、と、頭が揺れるような感覚。 「……なんで。桜はまだ、こんなに咲いてるじゃないか」 心臓が五月蠅かった。陽射しは、風は暖かい筈なのに、雪の中に放り込まれたような心地さえした。 「だけど、会えなくなるんだ。桜が散ってしまう前に。きっと、今年が最後さ」 余命宣告、否、死刑宣告を受けたような気分だった。一年のうち約一か月しか会えない君が居なくたって、ぼくの日常は何も変わらない筈なのに。 「ねぇ、ひとりは寂しいよ。……僕を置いていかないで」 泣きそうな声で、笑いながら君は言う。どういうことか呑み込めなくて、ぼくは意味もなく、散る桜を目で追った。 吹いた風に、後ろで一つに纏めた髪が揺れる。君の短くて細い髪も、花弁と一緒に靡いた。 「ねぇ、桜花。……なんで、僕を其方に連れて行ってくれないの?」 縋るように、君は微笑む。……彼は、何を言っているんだろう。 連れていくも何もないだろうに。むしろ、ぼくを置いていくのは君の方じゃないのか? 溢れる疑念と焦燥と不満は何れも音にはならず、唯、ぼくの中に沈み込んでいくだけ。消化しきれない沈殿物となって、暗澹の中を漂うだけだ。 「――嗚呼、やっぱり君は、忘れてるんだね。……酷いよ、桜花」 君は、誰に呼び掛けているんだろう。君が紡ぐ名前は確かにぼくのものである筈なのに、君は、僕を通して、ぼく以外の誰かを見てるみたいだ。 (……酷いのは、君の方なのに) 何を言ってるんだろう、君は。理解が出来なくて、苛々する。頭の奥ががんがん殴られてるみたいに痛んだ。 「……本当に、酷い。僕に君を殺させておきながら、君は僕を忘れて、置いていくんだね」 嗤う。君が、ぼくに手を伸ばして。 (……なに、を、) 何言っているんだという問いは、音にならないまま。 君の白い手が、伸びて。 ――ぼくの頬に、触れる。 「なぁ、名前を呼んでくれないか、桜花」 うっそりと笑った君の声は昏く、低かった。君の瞳は確かにぼくに向けられている筈なのに、其の桜色にぼくは映らない。 「僕の名前。……忘れた、なんて言わないだろう?」 咎めるように、しがみつくように、彼は微笑む。 忘れたも何も、ぼくはそもそも、君の名前を知らない。今日の君は、なんだかすごく変だ。 「桜花。なぁ、呼んでくれよ。昔みたいに」 こつんと額を合わせて、泣きそうな、怒ったような、そんな目でぼくを覗き込む君。其の淡紅色の瞳は、酔いしれてしまいそうな程美しい。 名前を呼べば、君はぼくを見てくれるだろうか。 頭の中にかかっていた靄が、すぅっと晴れていくような感覚がした。頭が、痛い。 『――交代だ』 脳裏に、そんな声が響く。 『お前は、もう要らないよ。……おやすみ、もう一人の“ぼく”』 くらり、視界が暗転。閉じた瞼の裏に見えたのは、にっこりと笑う“ボク”の姿だった。 * * * * * * * * * * * きゅぅ、と目を細める。柔らかな陽光。頬に添えられた手は温かい。 視界の端を横切る桜は白い。まるで、あの日の様だ。 「――桜花、……本当に、忘れて仕舞ったのかい?」 聴色(ゆるしいろ)の瞳から、はらはらと水晶の様な雫を溢す君。ボクは小さく笑って、後ろで一つに結わえられた髪を解いた。――もう、此の世に“ぼく”は居ない。。 「……まさか。忘れる訳ないじゃないか。酷いのは君の方だよ?――十六夜」 微笑う(わらう)。大きく見開かれた目から零れる雫を指先で掬うと、君は漸く嬉しそうに笑った。 「――あぁ、桜花だ。僕の、桜花。月じゃない。僕の大好きな、蜂蜜だ」 桜花、桜花、と繰り返しボクを呼ぶ彼の頭を撫でてやる。戯れに其の薄い唇と自身の唇を重ね、指先を絡めた。冷え切ったボクの手とは対照的に、君の手は、生きている人の子らしい体温を有している。 「あぁ、そんなに泣いたら目が溶けてしまうよ。其の前に、ボクが君の瞳を食べてしまおうか」 「構わないよ。むしろ、本望だ」 恍惚とした笑みを浮かべる君を苦笑しながら小突いて、「そんなことを言うものじゃないよ」と宥めるように髪を梳く。自慢の桜色の髪は、最後に見たときよりも艶を失っているように見えた。勿体ないなぁと目を細めて、毛先に口づける。 ふわり、桜が香って、君の髪が艶やかさを取り戻したのを見たボクは、上機嫌に口角を上げた。君は乙女の様に頬を染めてはにかむ。其れから、大きな朱鷺色の瞳を不安げに潤ませた。 「――ねぇ、連れて行ってくれるんでしょう?そういう約束だったもの。何年も待ったんだよ、僕。君が言った通り、桜が白くなるまで。……もう、いいだろう?」 「ああ、そうだね」 頷く。一層嬉しそうに眉尻を下げる君の手を、誘うように取った。 「おいで、十六夜。此方だよ」 日は、いつの間にか暮れていた。 月明かりが影を作る。桜の舞う中、酒に酔ったようにふらふらと歩く少年の影一つ。 白い花弁が視界を掠める。君の紅潮した頬をそぅっと撫でると、零れるような花が咲いた。 (――可哀相に) 愉悦に上がる口元。 蜜色の瞳に宿る冷ややかな温度に、君は気づかないまま。 * * * * * * * * * * * 「ねぇ、桜の色はね、人の子の血の色なんだよ」 笑った君は、ぞっとするほどに綺麗だった。僕の大好きな蜂蜜色をとろりと溶かして、君は桜に視線を向ける。夜色の髪を風に靡かせる君は、人ならざるモノに見えた。死に装束の様な着物に身を包んで、細い指先を桜の幹に這わせる。 「――嗚呼、桜が白くなってしまう。急がないと」 熱に浮かされた様に、君は呟いた。君の瞳に、僕は映っていない。 「……白くなったら、どうなるの」 返ってくる言葉はわかっていた。だけど、口にせずにはいられなかった。 心臓が五月蠅い。体温がどんどん低くなっていくのがわかる。ぎゅっと、短刀を握る手に力を込めた。祈るように。 君が、振り向く。蜜色が、僕を見る。透明な蜂蜜に、僕はまだ映らない。 ふわり、人形のように端正な顔に浮かべられた笑みは、凄絶だと言う他なかった。 「内緒。……さぁ、早く。約束、守ってくれるんでしょう」 おいで、と言うように腕を広げる君。どうしようもなく、泣きたくなってしまった。 「……うん」 ぎこちなく頷いて、鞘から刀身を抜く。震える手を押さえつけて、深呼吸。 ――君を、刺した。笑顔の君を。 一度じゃ殺せなかったから、三回刺した。心臓を、刺した。 血の匂いがした。君の血は赤かった。温かかった。舞う白い花弁は、真っ赤に染まった。 君を殺した。綺麗な君を。大切な君を。 此の手で殺した。刺し殺した。 息絶える其の直前、大好きな蜂蜜が、湖面に僕を映した! 君の死体はぐにゃりとしていて、抱き上げたら、力なく腕が垂れた。死んだばかりの君は生温かくて、冷たかった。 君を埋めた。桜の根が張る地面を掘って、太い根と根の間に君の体を横たえた。君が着ていた着物は、真っ赤に染まっていた。 「……嗚呼、」 大好きな蜜色は、もう見えない。 体をくの字に折って、君と唇を重ねる。君の血の味がした。蜂蜜の様にほんのりと甘くて、頭がくらくらした。 「――桜が、白くなったら、」 きっと、迎えに来てくれる。君は、きっと僕を其方側に連れて行ってくれる。そう約束をした。 そうしたらきっと君は、僕を傍に置いてくれる。其の瞳に、僕だけを映してくれる筈だ! 「……ふふ、」 漏れた微笑。そぅっと君の輪郭をなぞる。 狂っていると言われたって構わない。誰に何と言われたって、もう、どうでもいい。 君が、僕を見てくれるのなら。君が、其の目に僕を映してくれるなら。 僕は、桜に此の身を捧げよう。 ――はらり、紅い桜が、舞う。 * * * * * * * * * * * 花弁が舞っていた。ぞっとするほどに紅い色の花弁は、桜の形をしていた。 月明かりが辺りを照らす。蜜色の明かりが零れる。金色(こんじき)に縁どられた大きな木は、誇るように花弁を散らせ、枝を揺らしていた。或いは、歓迎するように。或いは、嘲笑うように。ざわざわと身を揺らし、はらはらと笑い声を溢す。 ――其の、桜の下には、
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