松下ビル前停留所

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松下ビル前停留所

プシュー ご乗車ありがとうございます。街道本町駅東口行き、発車まで少々お待ち下さい。 「すいません!乗ります!」 プシュー その人は突然、現れた。 「すいません、ありがとうございます!え、えー、と、これは・・・」 「大丈夫ですよ。あと一分くらいありますから。」 「ありがとうございます。バス、乗り方が、よくわかんなくて・・・」 昨日までいなかった、僕のバスに初めて乗る人。 まだ春と言うには寒いころ。その人だけ日向にいるみたいな、そんな顔で走ってやってきた。 「そうですか、じゃ、ここ、ピッて、はい。オッケーです。降りる時もピッてしてください。どちらまでですか?」 「あの、本町の駅の方の金ピカのビルの前あたりなんですけど。」 「あ、じゃあ松下ビル前と言ったら、席のアレ、ピンポン、押してください。」 「はい。ありがとうございます。」 彼は、松下ビル前で降車ボタンを押した。 降りるとにきにもう一度、僕に「ありがとう」と、溢れるような笑顔をくれた。 笑うと、パッとまわりに小さくたくさんの光がついたみたいに、キラキラ、ピカピカしてた。 こんな、いつでも主役みたいな人、いるんだな。僕とは住む世界が全然違うみたいだ・・・ その日から毎日、彼は同じ時間に乗って、松下ビル前で降りていく。バスの利用もすぐ慣れて、運転席を素通りする。 ピッ そして僕は風景にもどる。 暖かくなったころ、ボサボサの髪を切るため、いつもの駅の近くの床屋へ向かう。 「あ、れ?無くなってる・・・」 なんだよ、あのジィさん、やめたのか。 適当にやってくれて助かってたのに。 仕方がないので周辺の床屋を探すが、小洒落た美容室しか出てこない。丹念に見ていくと、商業ビルの中に入りやすそうな店があった。 「ここで良いか。」 店につくとすぐにカウンターがあって、その奥で、三、四人の美容師がお客を回していた。 十分くらいして、男の声が僕を呼んだ。 あわてて立ち上がる。 「こちらお座りください。カットのみですね、どのくらい切ります?」 椅子に座り顔を上げると、鏡越しに見えたのは、あの乗客の彼だった。 ドキ。 美容師、だったのか。道理で、いつでも主役みたいな、表舞台の人って感じ、してたんだ。似合ってるなぁ。それにくらべて僕は・・・ 「あの、四ヶ月くらいほっといちゃったんで、結構切りたいです。形は特には・・・」 鏡越しの彼は僕には気づいてない。 僕が仕事をするときは、制服にマスクと帽子、白手袋で殆ど人間的な部分が出ていない。それに、風景になる職業の人間は、誰の記憶にも残りづらい。 「わかりました。襟足ともみあげは・・・うーん、似合わせで、いい感じにしましょう。」 彼は、あの日と同じ笑顔を見せた。 キラキラ・・・ ピカピカ・・・ カットをしている姿はとても優雅で、流れるようで、彼のまわりだけ、空気に色がついているみたいだった。 やっぱり住む世界が違うんだな・・・ まあ、見るだけなら僕にも許されるよね。 僕の細くて癖のある毛を器用に梳いて、襟足も丹念に整えてくれた。時々首をかすめる指がくすぐったい。 あっ。 バレて、ないよね。 サイドをカットするとき、髪を挟んで抑えた指の背が耳に触れた。 これは、ホントに、困る。 落ち着け。 深呼吸しないと、心臓が割れそう。でも、深呼吸なんてしたら、それはそれで、マズい。すごく、マズい。 クロスの下で手の甲を思い切りつねって気を散らした。 「いかがですか?」 手持ちの鏡を開いて、後ろ姿の確認をしてくれる。 「うわぁ、すごく、きれいな襟足ですね・・・」 僕は自分の後ろ姿なのに、うっとりとしてしまった。ハッとして前を見ると、鏡の中の彼はまた、あの笑顔だった。 「マキタ様、あの、頭の形が良くて、首のラインも、この横のラインも、最高のバランスで、やりがいありました。とてもお似合いです。めっちゃイイです」 リップサービスにしても、言い過ぎだ。 美容師はこんな事までするのか。 だとしてもだ。 褒められれば、そりゃ、嬉しい。顔、普通にできない・・・はやく、はやく帰んないと。 会計をして、そそくさと店を出た。 彼は僕に気付かなかった。気付かれても困る、けど、気付いて欲しい、とも思う。 建物の外に出て、深呼吸。 あ。金ぴか。 松下ビルはここの向かいにあった。 「なんだ、ここだったんだ」 朝だ。 今日もバスに乗り、風景として生きる。 ピッ ピッ ピッ ピッ ICをタッチして乗客が流れ込む。 最後はあの、彼だ。 ピッ 「おはようございます。昨日、ありがとうございました。」 「え。」 「声聞いて、すぐわかりました。じゃ」 発車時刻。 プシュー (なに、いまの。) 松下ビル前〜 お降りの方はお忘れ物にご注意ください。 ピッ 「これ、あげます。じゃまた。襟足、きれいですよ」 プシュー (なに、これ。) また心臓が、割れそう・・・ もらったものは紙みたいだ。緊張と驚きと、あと、なんだ、わけわかんない。 見ないでそのままポケットに突っ込んだ。 休憩のとき、ロッカーでこっそり紙を見た。 それは名刺で、お店のやつだった。 「営業か・・・なんだ・・・」 期待した自分に腹がたつ。 ため息をついて裏を見る。 そこには手書きで携帯番号とメールアドレスが書いてあった。 『メシ行きたいから連絡ちょうだい』 なんてこった。 風景だった僕に、ピントが合う日が来るなんて。 End
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