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そしてまだ、この時はこの世界の全ての人間は善人に違いないという感覚が残っていた。
「小夜ちゃんも一緒に遊びたい」
「むり。」
一緒に遊ぼうの返事は「いいよ」だけだった小夜は、雷に打たれたような衝撃を受ける。
目と口を大きく開いて固まる小夜を見向きもせずに、彼はまた蟻地獄の方へと顔を戻してしまう。
「なんで一緒に遊べないの?」
「なんでも」
「一緒に遊ぼしたらみんなで一緒に遊べるんだよ」
蟻がまた一匹、地獄へと吸い込まれていく。
半分泣きそうになっていた小夜に、隣の男の子は容赦なくトドメを刺した。
「うざい。しつこい。嫌い。どっか行け」
「ガ────ン」
絵本でよく見る効果音を、小夜は思わず口に出していた。
きっと、そうでもしない小夜の精神は崩壊していた。
ガラガラと音を立てて、素晴らしき世界が崩壊していく。
小夜の善人しかいない世界は、隣の少年によって見事に打ち砕かれたのだ。
「小夜ちゃーん、お姉ちゃん迎えに行くよー」
呆然と固まる小夜を迎えに来た母は、隣の少年を見て「あら」と嬉々とした声を上げた。
そして、小夜の手を取ると、見た目だけは実に愛らしい隣の少年を眺めながら言った。
「小夜ちゃん、隣のお家の羊くんともう仲良くなったの?」
そう。これが、芥川羊との出逢いである。
つまり、小夜の人生で初めての悪との出会い。
✌︎
(朝から嫌な夢を見た……)
昨日の体育のサッカーをサボっていた時に蟻地獄を見てしまったせいだろう。
久しぶりに幼馴染との出会いを夢に見た。
すでにこの世は悪人だらけだと悟った小夜には、悲しみも苦しみもない。
朝の準備を終え、家を出る。
「小夜。おはよー」
小夜の家の門の前に突っ立っていた背の高い男が、朝から爽やかな笑顔を向けてくる。
小夜は夢の元凶を半目で見やる。
「うざい。しつこい。嫌い。どっか行け」
完全なる小夜の八つ当たりに、相手は一瞬だけ目を丸めて驚いたものの、すぐにニコニコと笑う。
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