最期の嘘

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「私、人間じゃないの」 「……雑な嘘だなぁ」  今日は四月一日。  呆れた目で答えた俺に、彼女である梨花(りか)は、小さく笑った。  梨花と出会ったのは高校入学後。同じクラスで、なんとなく気になって、俺から告白して、OKを貰った。  そんな風にごくごく普通にお付き合いを始めた俺達は、そろそろ二年生を迎える。  今は春休み。あまり金もないので、無料で見られる少し広い公園の桜を二人で見に来ていた。  弁当は梨花が作ってくれた。こういう時、彼女がいるって素晴らしい、と実感する。   「人間じゃないなら、なんなの?」 「うーん、なんだと思う?」 「聞くのかよ。なに、宇宙人とか?」 「それもいいねぇ」 「適当だな」  設定決めてないのかよ、と俺も笑った。  嘘をつく気なんかない、意味のない会話。それが楽しい。 「ね、本当に私が人間じゃなかったらどうする?」 「どうもしねーよ」 「嫌いにならない?」 「なるわけないだろ」  だって人間じゃないなんて、あり得ないから。  けどそんなことは口にせずに、女が喜びそうな回答を口にする。  即答した俺に、梨花は笑みを深めた。 「私の彼氏はかっこいいなぁ」 「なんだよ。おだてても何も出ないぞ」 「いいよ。(みなと)とずっと二人だけでいられたら、なんにもいらない」  そう言って俺の肩に寄りかかった梨花に、俺はむずむずした。  外だから、触るのは、我慢。    他愛ない日常の一コマ。穏やかで愛しい時間。  こんな幸せが、ずっと続くと思っていた。    そろそろ春休みも終わる。  連休が終わるかと思うと憂鬱だ。学校がそんなに嫌いなわけじゃないけど、早起きや勉強は普通にだるい。  ただ梨花は、休みの方が嫌だと言っていた。学校が好きなタイプではないので不思議に思って尋ねると、どうも家にいるのがあまり好きではないようだった。  学校がない方が外で会えるし、遊びに行けるし、楽しいこといっぱいしようぜ、と誘った俺に、梨花は曖昧に笑った。  明日も梨花との約束がある。早めに寝ようかな、と漫画を読んでいたスマホを置こうとした途端、スマホが震えた。  振動は続いている。通話の着信だった。画面を見れば、相手は梨花。 「もしもし?」  明日の話かな、と思って俺は特に疑問も感じずに応答した。  しかし、相手は黙ったままだった。 「あれ? 梨花? 音聞こえてるか? もしもーし」  スマホの向こうから、呼吸音が聞こえる。なんだか嫌な感じがして、眉を寄せながらも、俺は耳を澄ませた。 『……湊』  やっと、声が聞こえた。梨花の声だ。そのことに、俺はほっとした。 「梨花。こんな時間に、どうした?」 『湊、あのね、私』 「梨花?」 『お父さん、殺しちゃった』  思考が止まった。何を言われたのかわからなくて、間が空く。  落ちつけ、落ちつけ。こんなの、冗談に決まってるだろ。 「ば、っかだな。エイプリルフールは、とっくに終わったぞ」 『……湊。覚えてる? 私が、人間じゃなかったらって話』 「覚えてるよ、覚えてるけど」  なんだ突然。それは、エイプリルフールの話だ。  脈絡がなくて、俺は混乱した。 『私が人間じゃなくても、嫌いにならないって』  そうだ。確かに、そう言った。  梨花が何故それを今持ち出したのかわからなくて、でも、梨花は俺に何か言ってほしくて、だから電話をかけてきた。  父親を殺した。これが、仮定の話だったとしたら。 「ならねぇよ! 梨花が殺人鬼でも、化け物でも、俺は嫌いになったりしねぇよ!」  電話の向こうの梨花が消えてしまいそうで、俺はそう叫んだ。  何をしても、どんな風になっても、嫌いになんかならないから。  いなくなるな。 「なぁ、今どこ? 家? 行くから」  スマホを握りしめたまま俺は慌ただしく部屋を飛び出て、階段を駆け下りる。  母親の怒鳴る声が聞こえたが、後で説明するとだけ言い捨てて、俺は家を飛び出した。  梨花の家には行ったことがない。けれど住所は知っていた。電車に乗りながら地図アプリで場所を検索して、最寄り駅に到着すると急いで改札を出て、梨花の家まで走った。  そこは古びたアパートだった。息を整える間もなく、俺は部屋の呼び鈴を押した。  梨花の親に怒られる可能性も考えずに、何度も何度も連打する。何故か梨花が出てくるものと思い込んでいた。  やがてドアがゆっくりと開く。姿を現したのは、やはり梨花だった。出てきたことにほっとする。 「梨……」  名前を呼ぶ声は、尻すぼみに消えた。  外灯に照らされた姿は、普段の梨花とはかけ離れていた。  長い黒髪はぐしゃぐしゃに乱れ、衣服は破れている。  そして何より異質なのは、彼女は赤黒い液体に塗れていた。  もしもの話だと思っていた。  けれど、まさか。この扉の、向こうには。 「私ね、人間になりたかったの」  ぽつりと呟いた梨花と、視線を合わせる。  梨花の瞳は、思っていたよりも穏やかで、それが逆に恐怖をかきたてた。 「私、ずっと、お父さんの人形だったの。抵抗しない、文句も言わない、お人形。そんな私でも、湊は好きでいてくれるって、嬉しかった。でも、人間じゃなくても嫌いにならないって。あの言葉は、嘘だよねぇ?」  ぞくりとした。だって、あれは、冗談だっただろう。  人間じゃないなんて、あるわけないから。気楽に、口にした。  あれを梨花は、嘘だと捉えた。エイプリルフールの、嘘。 「だから私、やっぱり人間にならなくちゃって思ったの。お父さんがいる限り、私は人形のままだから。人間になるためには、殺すしかない。湊のためなら、できるって思った。それでね、やっと、殺せたの。私、ちゃんと人間になれたんだよ」  心臓の音が耳にまで響く。呼吸が浅くなり、息が苦しい。  梨花は。人を殺したら、化け物になるのではなく。  父親を殺すことで、人間になれると、思っていたのだ。 「湊。これで私のこと、ずっと好きでいてくれるでしょう?」  ぬるりと腕が伸ばされて、梨花が俺を抱きしめた。  鼻をつく生臭さに、吐き気が込み上げる。  俺は思わず梨花を突き飛ばした。 「……湊?」  じり、と足が後退した。  だって、だって、こんなの。  受け止めきれるわけがない。まさか本当に、人を殺しているなんて。  このままここにいたら、俺、共犯とかにされるんじゃ。  もう頭の中からは、梨花への愛しさは消えていた。  ただこの状況と、それを作り出した彼女に対して、恐怖があった。  逃げなければ。今すぐこの場から離れて、警察に。 「――嘘つき」  ドン、と梨花が俺にぶつかってきた。  衝撃の在処に視線を落とすと、深々と突き刺さった包丁が見えた。  視認したことで、急激に痛みを自覚する。  驚愕に目を見開いて梨花を見ると、彼女は泣いていた。  父親を殺しても泣いていなかったのに。俺を殺すのは、泣くのか。    どこから間違えたのか。俺が、彼女の嘘を、見抜けていたら。 「ごめん」  泣きじゃくる彼女に、俺は最後の力を振り絞って伝えた。 「梨花のこと、ずっと、好きだよ」  最期の嘘は、梨花に届いただろうか。  願わくば。この言葉が、君への呪いとなるように。
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