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***
その日以降。
水葉のアパートを訪れるたび、その音は鳴るのだった。彼女の部屋で整頓を手伝っていると、必ずといっていいほど聞こえてくるのである。何かをひっかくような音、というのが嫌な予感しかしない。綺麗なアパートに見えたが、まさか事故物件とか、迷惑な住人が住んでいるとか、そういうことでもあるのだろうか。
ところが、彼女にチラシを見せて貰ったところ、“心理的瑕疵あり”なんて記載はどこにもない。それとなくネットで調べてみたが、事故物件専用サイトにもこのアパートの情報はないし(ということは、この部屋以外でもトラブルは起きていないということだ)、周辺住人からおかしな苦情があるというのもなかった。
では、あの音はなんだろうか。
隣の部屋の住人が嫌がらせでもしてきているのかと思ったら、何と彼女の両隣の部屋は空室。なんなら上の階も空室だった。それで、ここまではっきりひっかく音が聞こえるなんてそんなバカなことがあるだろうか。
――このアパート、本当に大丈夫なの?水葉、本当にここに引っ越して良かったの?
段々と心配になってきた。
何日か後、私はやっぱり言うべきと口を開いたのである。
「あのさ、水葉。このアパート、やっぱりおかしいんじゃない?ひっかくような音なんて、そうそうするものじゃない、し……」
「ええ?」
その時、私は自分がとんでもない思い違いをしていたことに気付いたのだ。水葉が一つのダンボールを抱えて運んできたせいだ。ダンボールには、タオル類、と赤い油性ペンではっきりと書かれているが――。
「この部屋、事故物件とかじゃないですよ?ひっかくような音……そんな音、全然聞こえませんけど」
かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり。
音は、彼女が抱えているダンボールから聞こえていた。
そう、私は勘違いしていたのだ。音は壁の向こうからでも天井からでもなく、彼女の私物の中からしていたということに。
「変な先輩だなー。よいしょっと」
「あ、ちょ、待って水葉!それ開けないで!」
遅かった。
私が止めるのを待たず、彼女は妙な音がするダンボールを開けてしまったのである。
何かがその中から飛び出してくる、おぞましいものが覗く、そういうことを恐れていた。しかし、彼女が開けたダンボールから見えたのは――綺麗に畳まれた、ピンクや白のタオルのみ。本当に、おかしなものは何も入っていなかったのである。
その代わり。
「ほら、何もないでしょ?怖がりですよ槙野先輩ー」
音は、移動していた。
半分開けたまま放置されている、別のダンボールの方に。今度はそちらから聞こえてくるのだ。
かりかりかりかりかりかりかりかり。
内側から、何かをひっかくような音が。
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