よみがえり

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よみがえり

「剥製……人間の、ですか?」 「そうだ。……翠くん、それが君の父である野明良弥だということは、すでに証明された。君たちを救出後、別途向かった調査隊が、剥製をこちらに持ち帰って調査したんだよ。私もこの目で見てきた。あれは間違いなく、良弥だろう。未散によく似ていた。そして、海斗氏にも確認してもらった。間違いないそうだ」  俺は父さんへと視線を向けた。その目は、絶望を孕みながらも、内に強い光を湛えていた。おそらく、この事態を想定していたんだろう。  そもそも、虹川は殺人犯として投獄されていたと言っていた。その時点で、死んでいることはわかっていたはずだ。 「俺がお前を施設に預けて、良弥の捜索を始めてからそう日が経たないうちに、良弥が殺されたことはわかっていた。虹川は良弥のビジネスパートナーだったんだが、一方的に惚れ込んでストーカー化していた。良弥が実花と結婚した後、妊娠した実花に嫉妬して、何度もその命を奪おうとしていた。だから、良弥が行方不明になった時、容疑者は虹川に絞られていた。だからすぐに捕まった」 「じゃあ、なぜ行方不明者の捜索という名目で動いていたんですか? 犯人が捕まっていたなら、翠のそばにいればよかったじゃ無いですか」  蒼がややトゲのある言い方で、父さんに訊ねた。確かに、そう言われればそうだ。殺されたのなら、探す必要などないはずだ。それなのに、わざわざ俺を置いてまで捜索していたのは何故なのか、腑に落ちない。 「俺が探せと命じられたのは、良弥の遺体と、灰野の行方だ。灰野は実花さんを突き落とした人物……つまり、沖本のことだ」 「灰野……沖本も、身分を変えていたということですよね。そういえば、鹿本さんを探していた時、涼陽さんに容疑者の名前を教えてくれと言われてましたよね。あれは顔を変えた後の、成り代わった名前を教えてっていうことだったんですか?」  田崎はその日の会話を思い出しつつ、父さんに確認する。その時の会話には俺も蒼もいなかったから、田崎だけがそのことに疑問を持ったようだ。 「そうだ。沖本という名前がわかってからは、灰野を捕まえようと思ったんだが、あいつらの方が一足先に動いてしまっていた。それまでは沖本が動いていたところでも、虹川が行動するようになって、灰野の行方はほぼ追えなくなっていたからな。おそらく、また顔が変わっているだろう。どんな顔に変わっているかがわからないと、探すのに時間がかかるのは間違いない。ただ、あいつらがあいつらである限り、俺は匂いで判断することが出来る。だから、どうしても俺が生きている間に探す必要があるんだ」  そう言って、父さんは俺に向ける視線に熱を込めた。その目は、使命に燃えていて、俺はその気持ちに強く心を打たれた。  ただ、多少複雑な思いも抱いていた。愛されたいという気持ちに振り回される辛さは、俺にも経験があるからだ。  虹川は俺の実父を愛していた。ただ、父には母という愛する人がいて、俺はその二人の間に生まれた。その事実だけを考えると、俺はどうしても、虹川の気持ちを思いやってあげたくなってしまう。  それでも、愛する人を手にかけて、遺体を保存してまで所有しようとするのは理解できない。それも、そのために自分自身も死んだことにして、別の人間として生きていくなんて……。正気の沙汰ではない。 「ビジネスパートナーの弊害か……」  俺自身は、ビジネスパートナー制度が苦痛だった。高レベルセンチネルであるため、向かう現場はとにかくヒリついた空気の中ばかりで、どれほど自分を鍛え上げても、ガイドからケアを受けなければすぐにアウトしてしまうほど、いつも疲弊していた。  そんな状態であるにも拘らず、俺はどうしても好きでもない相手にケアをされるのが嫌で、ケアを受ける度に余計な苦痛を感じていた。完全な回復が見込めないのであれば、なんのためにガイディングを受けなければならないのかと、一人で泣いていた思い出しか無い。  疲れ果てていた高校三年の冬に、蒼に抱きしめられたことで、初めて完全な回復を経験した。そして、その時に強固なシールドの形成にも成功した。あれが無ければ、今頃俺も狂っていたのかもしれない。 「俺はビジネスパートナーは嫌で仕方がなかったけれど、愛してしまった相手に仕事で抱かれるのも、その後のことを考えたら苦痛なのかもな」  虹川は、俺の実父である良弥に抱かれていた。父はそれを仕事として捉えていたはずだ。家に帰れば、妻がいるのだから。その事実が虹川を蝕んでいったのだとしたら、悪いのは本当に虹川だったのだろうか……。 「また同情しているな、翠くん」  俺の様子を見て、菊神さんが俺の背中をポンと叩いた。愛されたいという気持ちは、俺にとっては鬼門だ。その気持ちを持っている相手を、冷たく突き放すことが、どうしても出来なくなってしまう。  危険な仕事をしている立場なのだから、この甘さは禁物だろう。それは十分わかっているのだけれど、なかなか割り切れない時もある。 「まあ、君のその優しさは、いいところではあるけれどな。では、虹川に同情することを苦しまなくてもいいように、この事件の黒幕の存在を考えようか」  菊神さんはそういうと、あるデータを見せてくれた。それは、虹川と灰野が獄死したと言われている時期から、これまでの間に起きた薬物事件のデータだった。つまり、sEとイプシロンに関する事件の調査結果だ。 「虹川と灰野がどれほど周到に行動しようとも、これほど痕跡を残さずに身分を隠すことは、個人には不可能だ。身分がバレそうになるたびに、整形や身分詐称を繰り返しているのは間違いない。では、何故そんなことが可能なのかと言えば……」 「それは背後に池本がいるからですね」  澪斗さんがそう声をかけると「そうだ」と菊神さんは答えた。 「プラチナブラッドの遺伝子情報が必要なのは、その血液製剤の保管庫のロックを解除するためだ。このロックは、数字がわからなくても野明の血をカートリッジに入れて、それを差し込めば開くようにもなっている。良弥の体はそこにあって、血液製剤も一緒に保管してあったはずだ。虹川はその存在を知って、永心に対応するセンチネルを作り上げようとしていた池本に、それを少しずつ提供していたんだろう。そうすることで、対価として身分詐称の協力をさせていたと考えるのが妥当だ」 「でも、それはあまりにも推測の域を出ない話ですよね。例えば、それを渡している相手が池本だと言える証拠があるんですか?」  田崎の問いに、菊神さんはタブレットのデータをスワイプさせると、「それは、これだな」と言った。俺たちは、その画面を覗き込んだ。そして、そこに写っているものを見て、意図せず感嘆の声をあげてしまった。 「これ……、三十年経っているんですよね? こんなにキレイに保存できるものなんですか?」  それは、父だと言われた人の剥製だった。俺はもちろん、その人のことを覚えていない。だから、子供として感じるところなど何もなかった。違うベクトルで思うことがあるとすれば、その姿があまりにも自分に似ていて、まるで自分の遺体を見ているように感じていた。  背中にうっすらと冷気を感じ、空恐ろしくなっていた。 「翠……大丈夫か?」  思わず倒れそうになった俺を、蒼が抱き止めてくれた。俺は、父に驚くほど似ていた。そして、ふと思い出したのだ。  センチネル交渉課の課長である佐倉さんとは、これまで良好な関係を築いていた。捜査に関する連絡は、俺が直接あの人に電話ですることになっていた。  うちの会社はとても優遇されていたと、他の会社の連中から聞いていた。それは、ひとえに実績のおかげだと思ってはいる。  でも、もし、それが虹川による私的な感情による優遇だとしたら……? そう考えると、吐き気がした。 「俺は、虹川にどんな目で見られていたんだろうな……」  それを考えていると、体が震え始めた。グッと湧き上がる悪心をやり過ごそうとしていると、蒼が包み込むように抱きしめてくれた。  不安になると、それだけで激しく消耗する。それが進んでしまわないようにという思いが、繋がれた手からじんわりと流れ込んできた。 ——大丈夫。  そう伝えてくれる温もりがあることに、俺は今も救われている。 「このエンバーミング技術なんだが、これは、池本のグループ企業で独自に開発されたもので、特許を取っている。そして、これがまた高度な技術であるため、それを行える者ものはそういない。つまり、この処置を施した人物は、間違いなく池本の息がかかった人間だということになる」  真っ白に輝く背もたれの高い椅子に、ゆったりと座る格好で存在する、時の止まった人物。これを眺めるためだけに、虹川は影を生きる道を選んだ。 「こんなことをしてまで、良弥を手に入れたいと思っている男だ。この技術の提供と、身分を保証すると言われれば、他のものはなんでも犠牲に出来るんだろうな」  父さんがそう呟くと、菊神さんは頷いた。 「この体と一緒に保管してあった血液製剤を使って、作られたsEが存在することがわかった。それを使用された人物なんだが……」  菊神さんは、今度は一枚の写真を取り出した。それを見て、誰よりも驚いたのは、それまでじっと話を聞いていた和人だった。 「これ……どうして、母さんが……?」  それは、その場にいる人間が皆一様に思ったことだった。俺は、この場に晴翔さんがいない理由を、その時悟った。菊神さんは、このことを、事前に晴翔さんに知らせていたんだろう。  そうでなければ、今のセンター長である彼が、こんな大きな事件の会議にいないのはおかしい。 「この完成度の高いsEを使用され、現在世界最高峰レベルのセンチネルと認定された人は、大垣晶。三年前に未散と翔平くんの父だった男に殺されたはずの、あのセンチネルだ」
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