愛に飢えてるアイちゃん

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愛に飢えてるアイちゃん

◆◇◆ 「和人が打たれたイプシロンについて、前回の事件の時の分析結果を見てみたんだが、やはりマスク部分に時限性があるように作られていた。前回の比較のためには必要が無く調べていなかったんだが、どうやらこのマスク効果は最短半日、長くて一月と変化させる事が出来るらしい。そして、それは一錠分の話だ。和人が打たれていたものは、単純に計算しておよそ二年半程度のもの。予定より数ヶ月早いが、ちょうど効果が切れる頃だったみたいだな」  事務所が吹き飛んでしまっているため、復旧作業中は研究所でミーティングをすることになった。それが功を奏したのか、分析結果もサンプルを実際に見ながら説明を聞くことが出来たため、戻ってきた能力者たちもみんなその説明をすんなりと受け入れられたようだ。  ガイドがストレンジャーになって、急に元に戻るなんてことがあったのに、それを当然のことのように聞いている。何より、センチネルたちが和人と手を繋いでテレパスして遊んだりしていて、ガイドの力が戻ったことを喜びあっていた。  和人は、数時間眠ったのちに、どこにも問題のない状態で目を覚ました。入れ違いに看病で疲れていた田崎が寝落ちしてしまい、全員が揃って会議を始める頃には、全ての分析結果が出揃っていた。  大垣も、眠り続けているがそのほかに問題は無いのだという。研究所で最もセキュリティレベルの高い部屋に寝かせているため、しばらくは安全だ。 「そういうわけで、また能力者として働きます。しばらく体調が戻るまでは、仮事務所の準備を手伝いますけど」  和人がそういうと、田崎が「いや、数日は休めよ」と過保護に甘やかそうとしていた。俺と蒼はそんな田崎を見てニヤついてしまう。田崎もそんな俺たちに気がついて、「ス、スタッフの体を気遣うのは当たり前だろ!」と顔を赤らめていた。 「私のサポートには誰もついてくれないんですかー? ケガしたんだけどー」  左手の大きな傷を縫合し、念のためプロテクターをつけてもらっているミチが不服そうにしていた。確かに腕にケガをしたのに、サポートがいなくなっては大変だろう。  しかし、今はあまりミュートのスタッフを不用意に働かせるわけにもいかず、困っていた。 「江里さんに頼んではどうでしょうか。彼女は銃が使えますから、ミチさんの護衛も兼ねられますよ」  野本がそう言って、エスプレッソをゴクリと飲み込んだ。野本と江里さんは、銃の訓練で時折顔を合わせているらしい。大垣さんと江里さんの関係を最もよく知っていたのも、野本だった。 「そうだな、そうするか。江里さんは事務所の片付けをしているはずだから、和人と一緒に事務所に行っててくれ。ここが終わったら俺も行くから。あ、今日はこれが終わったら解散するからな。お前たちも体を休めないと。ミチの滞在先は翠の方から……」 「私の滞在先?」  ミチはポカンと口を開けて、間抜けな顔をして田崎を見ていた。まさかだが、自分の命が危ないと言われたことを、もう忘れたのだろうか。危険が蔓延る夜の街に長年生きていたからといって、命が危ないと言われたにしては危機感が無さ過ぎだろう。 「何ポカンとしてんだよ。命が危ないって言われたんだろ? まさか普通に家に帰るつもりだったのか?」  驚く翔平に、ミチは困惑した笑みを返していた。そして、やはり危機感のない一言を返す。 「う、うん……なんていうか、普通に忘れてた」 「はあ、嘘だろ!? だって実際結構なケガをさせられてるじゃないか。よくそれで忘れられるな……」  呆れる田崎をよそに、他のメンバーは「ミチらしいな」と言って笑っていた。 「でもな、ミチ。実際大垣が言っていたことが本当かどうかが分からない限り、お前を一人で家に帰らせるわけにもいかない。それに、一連の話の中で、お前の命が危ない可能性を考えると、逆算的にもう一人危険に晒されてる人物がいるよな?」  翠はそういうと、タブレットを取り出した。そして、ディスプレイに映る髭面の初老の男性を指さした。  その男は背が高く、髪や髭の中に白いものが混じる割には、筋肉質な体つきをしていた。髪は短く刈りそろえられていたが、不遜な態度と品の良さが、育ちの良さを表していた。 「あ、明菫(あきずみ)さん!?」  ミチはタブレットを覗き込むと、ディスプレイに映る顔を指先で撫で始めた。そして、男の背後に映るものを見て、あることに気がつく。 「これ……ペントハウスじゃないですか? 翠さんたちのお家のお客さん用の部屋の調度品が写ってる。……どういうことですか?」 「ミチの命が危ないって大垣が言ったってことは、田坂がミチの命を狙ってるってことだろう? じゃあ、なんで田坂がお前の命を狙う必要がある? そう考えたら、ミチと田坂をつなぐものを考えるよな。そうなると、答えは明菫しかない。明菫は田坂の息子である池本と繋がっていた。息子と起こした事件も、まあ結構な不祥事だっただろ? でも、田坂は無傷だ。そんな田坂が、ミチの命を狙うほどに恐れていることを、明菫も知っていたとしたら……いや、むしろ明菫が知っていることがミチにも知られているとしたら……そう考えて口封じを画策してる可能性は高いよな」  田崎がそういうと、ミチはやや逡巡して答えた。 「そう言われれば、確かに。でも……この年齢の人が、私みたいな若いのに、そんな大層な秘密をそう易々と話さないでしょ? いくら恋人だからって、隠すと思わない? 実際、明菫さんとは面会しかできないんだし、たいしたことは教えてくれてないと思うよ」  ミチはそう言って、言ってしまったことを悔やんでいるようだった。俯きながら「自分で言ってて悲しくなってきた」と泣きそうになっている。 「刑務所に入る人と付き合ったんだから、仕方ないだろ。面会の時は話してる内容は全部聞かれてるからな。そんな状態で深い話なんて出来る分けない。 お前に非は無いよ」  蒼がミチの背中をポンポンと叩いて慰めた。ミチは「そうだけどー」と言いながら、涙目になっている。俺はミチが蒼に抱きつきそうになっているのを見て、「んんっ、あー、それでだな」と下手な咳払いをして威嚇した。  いくらミチでも、くっつき過ぎはダメだ。 「あ、ごめん。もう、翠さんったら、そんな可愛いヤキモチ焼かないでよー」 「う、うっさいな。ほら、それでだな、お前が危ないなら、明菫も危ないだろう? 刑務所も安全と言えば安全だが、こっちでしばらく預からせてもらうことにしたんだ。だから、明菫はお前のいう通り、うちの客間にいるよ。だから……」  俺の言葉を聞いていたミチが、ポロポロと涙をこぼし始めた。相変わらず察しのいいやつだ。俺が全てを言い終わる前に、ちゃんと理解している。 「そ、そこで私も一緒に保護してもらえるってことですか?」 「……そうだ。命の危険があるとはっきりわかっている民間人を保護するのは、VDSの仕事でもあるからな。数日はいられるだろう。心置きなく恋人生活を楽しめ。客間は俺たちの生活スペースとは切り離されてるから、好きに過ごしていいぞ。……ただな、ミチ。わかってるよな。その前に、一つ頼みたいことがある」  俺がそう言うと、聡いミチは大きく頷いた。わざわざ刑務所から移送して保護するのだ。ただミチにいい思いをさせるだけの為な訳がない。それをあいつはちゃんとわかっている。 「池本が環さんに作らせてたイプシロンが、なんで不良品ばかりなのかを聞けばいいのよね?」  俺は頷いて、ミチの頭を撫でた。その目は、しっかりVDSのスタッフの目だった。やらなければならないことを、しっかりと遂行する。そして、自分の人生をしっかり楽しむ。そのためには労力を惜しまない、そういう目をしていた。 「大丈夫、ちゃんと聞いてきます。っていうか、最初に聞いてしまいましょう。明菫さんもそのために連れてこられてることはわかってるんでしょう? それなら早いほうがいいし、一緒に行きましょうよ」 「でも、いいのか? 俺が一緒にいたら、目の前に彼氏いてもくっつけないぞ。……俺の前でくっつくなよ?」  俺がからかってそう言うと、ミチはケラケラと笑い始めた。 「まだ何年もくっつけないと思ってたんだから。数分くらい我慢しますよ! その代わり、話が終わったらすぐ出ていってくださいね。そのまますぐ飛びついちゃうかもしれないから」 「わかった。すぐ出るよ」  俺はそのミチのまっすぐなところを見ていると、明菫に対して複雑な気持ちが生まれる。 ——鈴本の犠牲の上に生まれたカップルだもんな……。  二人とも鈴本環を想っていた。その鈴本を亡くして、傷つきあって、いつしか想い人同士になっていた。それなのに、素直になるのが遅かったから、壁越しにしか会えない日々が続いている。  明菫の刑期は七年だ。出てくる頃には還暦を迎えている。それまで会えないのがわかっているのに、ミチはあいつの恋人になる道を選んだ。  しかも、二人が付き合い始めてから、深く触れ合うのは、おそらく今日が初めてになる。 「ゆっくり過ごせるように、早く話を終わらせような」 「はい。さ、行きましょう!」  ミチはそう叫ぶと、俺の手を取って走り始めた。 『マイちゃん、コウさんかっこいいね。二人ともラブラブで羨ましいなあ』  ブンジャガの潜入捜査の時のミチを思い出した。あの時は『愛に飢えてるアイちゃん』と呼ばれてたミチ。ようやく出来た恋人が、過去に抱えた問題をこれから暴かなくてはならない。 ——普通なら、辛いだろうな。  でも、ミチなら大丈夫だ。ミチは、田崎の助けを得て、問題から目を逸らさずに立ち向かう強さを得た。それからずっと頑張って生きている。 「入るぞ」  俺はペントハウスの客間のドアロックを解除した。そのノブを回し、中へと入る。ドアを開けて中へ入ると、明菫は立ち上がって待っていた。 「白崎明菫さん。VDS社長の鍵崎翠です。……お久しぶりですね」  俺が声をかけると、明菫は深々と頭を下げて「お久しぶりです。鍵崎さん」と答えた。そして、その頭をなかなか上げずにいた。 「白崎さん?」  明菫は頭を上げないまま、小さく震えていた。凶悪犯ではないとはいえ服役中なので、念のために手錠をしてもらっている。その両手が震えると、ガチャガチャと金属が触れ合う音が響いた。 「会わせてもらえると思ってなかったもので……」  絞り出すような声でそういうと、パッと頭を上げて前を見据えた。 「……アイ」  明菫が発した小さな声が、ミチの自制心を吹き飛ばした。俺の後ろから飛び出すと、まっすぐに明菫の胸の中に飛び込んでいった。そして、おそらくここへついてから着替えさせられたのであろう、明菫の着ているこざっぱりした真っ白なシャツにしがみついて泣き始めた。  明菫は手が動かせないので、抱きしめ返すことが出来ない。ミチの髪に頬擦りをして、何度もその存在を確かめていた。 「いつもありがとう。お前にどれだけ支えられてるか……」 「……明菫さん! 良かった、元気で。……嬉しいよ、触れられる!」  二人は抱き合ったままさめざめと泣き始めた。さすがの俺も、これを中断させるほどヤボではない。証言ならゆっくり取れる。今は二人の時間を優先させてあげようと思い、ドアへと歩を進めた。 「……ミチ、五分だけだぞ」  俺がそう声をかけると、ミチは振り返って何度も頷いた。明菫も俺の方を見て、今度は大きな声を出した。 「ありがとうございます。……ちゃんと話します。ありがとう」  二人の涙声混じりのお礼の言葉を聞きながら、俺は後ろ手に客間のドアを閉めた。
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