腐れども鯛の縁

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腐れども鯛の縁

 着物もドレスもスーツも歩く街で、袴を履いた私は困ってる。 「お嬢ちゃん、買い物帰り?」  まるで知らない人に話しかけられてしまった。  ゆったりとした男ものの和装の下にシャツを着て、革靴とカンカン帽を合わせている。 「おれ様の服、イイだろぉ。ハイカラ紳士な出で立ちだぜ」  香水を付けているのか、鼻先に花を押し付けられたような心地がした。 「ここらじゃ買えない香水だよ」  愛嬌のある笑顔に見下ろされる。私の頭の先はこの人の肩に届かない。 「重そうだけど一人で運んでるの? えらいねぇ。手伝うかい?」  大きい体を屈めてかける声は……女の人かな?  しどろもどろに「え、いや、大丈夫ですよ」と、馴れ馴れしい怪しいハイカラから逃げ出そうとした。 「ああ、怖がらないで。おれ様は君を怖い目に遭わせやしないよ。千代(ちよ)ちゃん」  三ツ谷(みつや)千代――私の名である。  あの、なんで初対面の私の名を知っているんですか?  こう聞こうか。いや、相手はカマかけているだけかもしれん。  でも、逃げれば認めたようなもんだしなぁ。どうしよう? 「あ! 悪かった! おれ様が君のこと知ってるのは事情が……そうだ、久遠先生の所へ連れて行ってくれよ。あの人からおれ様のことを教えてもらえばいい」  そうやって私らの家に危害を加えるつもりか? でも、久遠先生なら家にいるし、何かあったら何とかしてはくれるよね。 「君はしっかりしてるね。そうだ。おれ様が魔なら久遠先生がすぐにやっつける」  久遠先生の知り合いですか? 「そうだよ」 「すみません」  落ち着いた声が割って入る。  声の主は白い狩衣(かりぎぬ)に黒い指貫(さしぬき)、そして烏帽子(えぼし)を身に着けていた。  文明開化の音が響き渡る街には不釣り合いなのかもしれない。  だが、髪の短い女――千代は見慣れた人物の登場に安心していた。  古めかしい衣装の人物は、切れ長の眼の内に澄んだ瞳が置かれていた。 「ここではなく、清水(しみず)さんのいる所に行きませんか?」
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