第2話 抜いてしまった青年

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「人だ……。煙が、女の人に……!」 「どうやら驚かせてしまったようですね。次からは『出ま〜〜す』とでも宣言すべきでしょうか」  謎の女性は口元に手を当てて笑うと、金色の長い髪も揺れた。邪気は感じられないが、分かったのはそれだけだ。頭から足元まで眺めてみても、彼女が何者かは分からなかった。 「おや? 私の身体をマジマジと眺めるだなんて……。もしや発情期?」 「違っ! そうじゃない! 君は何者なの!?」 「私は精霊サーラ。女神ルシアーナの下僕(しもべ)にして、聖剣を守護する者です」 「精霊だって? 君がそうなのか、初めて見たよ」 「細かい話は後にしましょう。いつまでも抜き身の剣では格好がつきません。こちらをどうぞ」  サーラは顔を後ろに向けては、自分の腰回りをまさぐり始める。そして背後から何かを抜き取っては、ティベリスに差し出した。 「こちらが聖剣の鞘です。どうぞ受け取ってください」  ティベリスはようやく冷静さを取り戻した。今は喜びよりも、後悔のほうがずっと大きい。 「僕なんかが抜いちゃって良かったのかな……。何の取り柄もない、駆け出しの冒険者で、しかも労役中なんだよ。こういうのって、由緒正しき家柄の貴公子なんかが選ばれるもんじゃないの?」 「これまでにどんな経緯があるにせよ、手にした方が所有者です。すなわちアナタは光の戦士」 「僕が、光の戦士……?」 「もしくは破滅的なドスケベです」 「待って。温度差が酷い」 「果たしてどちらであるかは、アナタの行動によって判明するでしょう。以後、私も微力ながらお力に――」 「やっぱ無理無理! 返品しますゴメンなさい!」  ティベリスは、再び聖剣を台座に突き立てた。すると、サーラは霧状となって台座に吸われていく。登場シーンの逆再生をするかのように。 「えっ、待ってください! 戻すなんて有りえませんけど!?」 「ほんとゴメンだけど、無理だから。さっきのは無かった事にしよう」 「そんなヒドイ! 抜いたからには責任を取ってくださいよ!」  ティベリスは脇目も振らずに逃げた。台座の中から響く罵声に、耳を塞ぎながら。 「冗談じゃないよ、破滅的なドスケベなんて。そんなレッテルを貼られでもしたら……どんな目に遭(あ)わされるか」  考えるまでもない。この国に『プロパー・マナーズ』という法がある限り、激しく断罪される事は目に見えていた。  国王や兵士たちはもとより、一般人も許しはしないはずだ。 ――こいつ聖剣を持ってやがる。光の戦士にしちゃあ貧相だぞ。 ――じゃあ決まりだ。コイツは破滅的なドスケベに違いねぇ。 ――だったら殺せ、吊るせ、 痕跡すら残さずブッ殺せ!  そんな未来をイメージしては、身体を震えさせた。罪の重さはもちろんの事、敵意に満ち溢れた視線も恐ろしい。まるで世界の全てを敵に回したかのような感覚は、思い返すだけでも胸が騒がしくなる。 「聖剣が抜けたなんて、きっと何かの間違いだよ。あんなご大層なものは、本物の光の戦士に任せたら良いんだ」  そうして洞穴から出て、作業場へと戻った。劣悪な環境なのに、ホッと安堵する自分に驚いてしまう。 「まさかね、労役に安心感を覚える事になるなんて」  掘り進める方向を変えて、作業を再開する。掲げて振り下ろす。力強く掘る。だが、作業に没頭しているようでも、心は別の所にあった。 「あのサーラって人。もしかして、ずっと1人ぼっちなのかな」  ツルハシで岩を砕いた。弾ける小砂利が頬を打つ。チュニックの隙間にも砂が入り込んだが、やはり、思うのはサーラの事ばかりだ。 「まさかとは思うけど、台座の中にずっと引きこもったまま? お腹が空いたりしないのかな」  考えた所で答えなど出ない。精霊に詳しくないのだから、自問するだけ無駄だ。それでも脳裏には絶え間なく浮かんでしまう。  なぜこうも彼女が気になるのか。しょせんは行きずりの女性だ。ティベリスが思い悩む事など無いはずだ。やたらと心が引き寄せられる理由は何なのか。その答えは、ジワリとした実感とともに理解できた。 「そうか、境遇がちょっと似てるのか。僕とあの人で……」  暗い坑道に追いやられた自分と、台座の中に押し込められたサーラ。そこにシンパシーが感じられたのだ。  彼女の苦労を思えば、胸が苦しくなる。1人きりで寂しくないか、辛くはないか。狭く暗い場所に閉じ込められて、自身の運命を呪ったりはしないのか。数々の疑問が生まれては消えていく。 「何だか、あの人には悪いことしたな……。あんな拒絶の仕方じゃ、傷つけちゃったかも」  ティベリスは既に罪悪感の虜だった。心の中で架空の対話を生み出しては、独り言の謝罪が繰り返された。気持ちがたかぶると、壁に向かって頭を下げるまでした。  そんなひとときも、衛兵の合図によって強制終了だ。   「作業ヤメ! 晩飯の時間だぞ、オウゥン!」  食事の配給を受けた。献立はいつも通りパンとスープのみ。飢えた囚人にとって待望の時間なのだが、ティベリスは気もそぞろといった様子だ。 「どうした度胸アニキ。食欲が迷子してんのか?」 「う、うん。何となくね」 「そういやオースチンの姿が見えねぇな。どこ行った?」 「アイツなら、鉱石をチョロまかしに行ったんじゃねぇの? もうじき労役終了(アガリ)だから」 「ハァ、よくやるぜ。見つかったら百叩きなのによ」  食事が終われば寝床へ行く。寝床と言っても、壁に横穴を掘り、人が寝そべるスペース分を平らにしただけだ。寝具は布の1枚もない。  囚人たちが皆、横になろうとした矢先の事。ティベリスだけはどこかへ出歩く素振りを見せた。 「どこに行くんだ、度胸アニキ?」 「ちょっと野暮用というか、歩きたい気分でさ」 「手短にな。少なくとも、点呼の前には戻れよ。またムチで引っ叩かれるぞ」 「分かってるよ。ありがとう」  ティベリスはそそくさと出ていった。そして坑道の奥へと足を運ぶ。懐に、食べかけのパンと、水筒の革袋を忍ばせて。 「こんな物しかないけど、あの人は喜んでくれるかな……」  目指すはサーラのもとだ。小走りになりつつ、聖剣の眠る洞穴まで向かう。静まり返った坑内は気味が悪く、自分の足音にすら寒気を覚えた。  そうして、彼が洞穴までたどり着き、奥へ潜り込もうとした時のこと。坑道に響き渡る程の、激しい怒号を耳にした。 「待て貴様! そこで何をしているッ!」 「ヒエッ! ごめんなさい!」  ティベリスはとっさに謝ったが、違和感に気付く。付近に衛兵の姿が見えないのだ。声の主は離れた場所に居るようだった。  壁から身を乗り出して様子を伺うと、2人の争う様子が見て取れた。ただし暗い。不十分な灯りの下で、衛兵と囚人は激しくもみ合っていた。 「ここで何をしていたオースチン! 言え!」 「別に何でもねぇよクソが、離しやがれ!」 「最後の警告だぞオースチン! ここから立ち去れ! ここからたち、たち、たちたちたたた……タチャアアアーーッ!」  言葉がいきなり不明瞭になった。聞き間違いだろうかと、ティベリスは前のめりになって覗き込む。  すると、2人が争う場所で閃光が煌めいた。太陽の日差しや松明とも違う、濃紫色の光だ。それを不思議なまでに、おぞましく思う。本能的に脅威を感じてしまい、肌に激しくアワがたった。 「何なの、今の光は……」 「ヒィィ! バケモノだーーッ!」    オースチンは悲鳴を撒き散らすとともに、こちらに向かって逃げだした。しかし倒れる。背後から迫る化物によって、力付くで転ばされたのだ。  その四つ足の化物は、巨大なトカゲらしき姿をしていた。岩石のような外皮と細長い舌を持ち、瞳は狂気の赤に染まる。身体は異様なまでに大きく、腕力も強い。実際、大柄なオースチンを片足で踏みつけるだけで、完全に制圧出来ていた。 「何だよ、このバカでかいトカゲは……」  ティベリスは眼の前の光景が信じられなかった。聖剣の事といい、長い夢の真っ最中だと疑いたくなる。  しかし醜き獣の吠え声が、現実に引き戻した。その響きは勝利を宣言するかのよう。あるいは、平和の終焉を告げるかのようだった。
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